珍しく任務がない日になんと授業までない。でも休みじゃない。伊地知に押し付けられない雑務が溜まっている。しょうがない。やるか。その前に作業をしながら飲む新作フラペチーノを買うために伊地知に車を出すの頼も。ついでに硝子にも注文を聞くかと部屋を訪れると、キーボードを叩くその手首に光る金のバングルがあった。解剖台、流し台、キャビネット、冷蔵庫。大体の物が銀色の部屋で、それはかなり目立った。

「硝子、珍しいものつけてるね」
間があって上の空で返事が来る。キーボードを叩く手は止まらない。バングルはタイピングの揺れを受けて鈍く光っていた。硝子が手にアクセサリーをつけるのは珍しい。しょっちゅう手術やら治療をさせられるから、指輪や腕輪の類いを仕事中にしてることはほとんどない。
しばらくして硝子は2度エンターキーを叩き、やっとキーボードから手を離した。僕はまあまあ、硝子は結構、ワーカホリックの気あるよね。そうならざるを得ない業界だから仕方ないけど。硝子は手首を上げて、まるで今気づいたかのようにバングルを見た。
「さっきもらったから。今日は何も無いからつけててもいいかなと。次の休みも遠いし。うん、いい。気に入った」
「へえ。プレゼント?」
「なまえ先輩とおそろいでもらった」
「お、おそろい……?」
「あぁ」
「おそろっち……?」
「無理に若者ぶるなよ」
「……うそ……硝子がもらって、僕がもらえない?……見して」
「持ち逃げするなよ」

貸してもらったバングルは薄くて小さい。僕には絶対入らないサイズだし、刻印されたブランド名も聞いたことがない。でも金ならいけるんじゃない?小さなバングルの隙間に手首を噛ませ押し込もうとしたら、硝子から拡張すんなとボールペンが飛んできた。
「誕生日まだまだ先だよね?」
「この前買い物に行った時にこういうのいいねって話して。そこから。デカい怪我を治したお礼だって」
「……ズルくない……?」
「ズルではない。五条も色々もらってんでしょ」
「僕がもらえるの圧倒的に消え物ばっかだからさ。やっぱり、あの人僕以外には消え物やってないよね?」
「知らん」
いーや、やってる。
1番もらってそうなのに聞いてやろ。電話するとしばらくかけてやっと出た。待たせるなぁ。歌姫っていつも電話に出るの遅いよね。スマホどこに置いてるのかな。
『何?』
「ちょっと聞きたいんだけど、なまえ先輩からここ1年でもらったもの教えて」
『なんで?』
「いいから。言わないと電話し続けるよ」
『…………誕生日プレゼントに財布、クリスマスプレゼントにアンタに言ってもわかんないコスメを色々。部屋に泊めた時にハンドマッサージ機。あとよくプレゼント交換とかするけど?』

めっちゃもらってるじゃん。
電話を切ると、硝子がため息をついた。
「五条も買ってもらったものあるだろ」
「あれは支払いをその場で代わってもらっただけ。あとは消え物ばっかよ。僕はね、今回の硝子みたいにちょっと前に話したのを僕のために考えて、僕のために買ってきてくれる。そういうのが好きなの」
「はあ」
あいづちは硝子があけた炭酸水のペットボトルの空気漏れより小さくて適当だった。なんか飽きてきてるな。しょうがない見せてやるか。
「見てこれ」
クレジットカードと身分証明書の間に入れてるこれ。必ず使うものしか入ってない僕の財布の中で、唯一入ってる使えないカード。硝子はまじまじとソレを見ると、目頭を押さえた。もしかして感動して泣いちゃった?
「……1年の時の誕生日プレゼントに、なまえ先輩からもらったヤツ?」
「当たり!すごく健気じゃない?」
「狂気だろ」
「しかしよく覚えてたね」
「当時ネチネチ言ってたからな……。そもそも具体的なプレゼントがもらえないのは、五条が欲しい物を聞かれても匂わせばっかするからでしょ」
まあ、確かに。そこは学生の頃の僕の悪い所だった。全部言わなくても伝わると思っていたし、親しい相手ほどそうあって欲しいと願っていた。若いっていうのは無謀なことだね。

「ところで何か用事だったのか?」
「あぁ、スタバ行くから欲しい物ある?」
「……コールドブリューコーヒーのグランデ、氷抜き」
「了解、行ってくる」
「おい、バングル返せ」

▼ ▼

あの頃の僕は、欲しい物は何でも手に入る……と思ってたわけじゃない。むしろ手に入らないものは手に入らないと、ちゃんと分かってたよ。
僕ができる、できない、していい、してはいけないを、しっかり匂わせてくる家だったから。
その空気が嫌で、高専の頃の僕はおかげでかなり素直で言いたいことはガンガン言った。弱いやつは弱い、強いやつは強い。でもそれ以外も、以上も、意味はなかった。欲しいものは欲しい、いらないものはいらない、でもその結果は文句をいいながらも受け入れてきたわけ。聞き分けは良かったんだよ。あの僕の振るまいからしたらすごくない?京都人の消える変化球デッドボールみたいな、ねちっこいことは言わなかった。嫌いなんだよ、ああいうの。散々言われて来たから。

高専1年の時、僕より1ヶ月誕生日が早い硝子が、なまえ先輩から名前入りの口紅をもらった。2本も。ちゃんと硝子の好みをリサーチしてのプレゼントだと知って、僕も来月が誕生日とアピールした。そしたら当日にくれたのは、きっちりラッピングされた平たい名刺サイズのなにか。僕はなにかのカードだとは分かったが、他人にやるカードなんて子供の頃に持たされたテレカしか検討がつかない。でもガラケー持ってる人間にテレカはない。特別なものだと思って、部屋に戻って最短でラッピングを破り、出てきたのは5000円分のスタバカードだった。
僕は静かに先輩の部屋に行って、先輩にチョークスリーパーをかけたらやり返されてベッドに沈められた。僕が1・2年の頃は先輩の方が体術強かったからね。

今思うと、あれは僕の中で初めての感覚だったかもしれない。期待して、裏切られたと思ったけど、同時に納得もできた。硝子と先輩は4月から付き合いがあるけど、僕とのちゃんとした付き合いは2ヶ月くらいだった。だから当たり障りないスタバカードになる「納得」と、硝子くらい僕を可愛がってくれているという「勘違い」の間にあった隙間に落とされた気分。信じてたことがひっくりかえる予感への焦燥。
だから先輩との関係が僕の思い込みじゃないと証明するために、先輩にチョークスリーパーをかけた。
先輩は驚いた顔をしたあと、悪ノリして僕をベッドにぶんなげてチョークスリーパーで返してくれた。嫌われた後輩だったら、じゃれて遊んではくれないだろう。だから僕が思う関係は間違いじゃなかった。
そしてこの時初めて感じた「ひっくりかえる予感への焦燥」の極大を2年後、傑から味わった。
その時からずっと、あの感覚を2度と味わいたくないと思っている。だから定期的に先輩に僕はじゃれついてる。先輩の感情を試してる。あの人は最高を与えてくれないけど、いつだって僕の欲しい最低限は必ず補償してくれる。最低限と最高の間の振れ幅がどうなるか、それを追いかけてる。

「俺が好きなもん知ってんだから、それちょうだいよ」と当時は形容し難い感情を、怒りのふりして伝えたら、クリスマスには焼き菓子の詰め合わせをもらった。並ばないと買えない限定品だったけどさ。
傑は枕をもらってて、僕はその晩、傑にチョークスリーパーかけて枕を取った。これは純粋な嫉妬のチョークスリーパー。翌朝返したけど。人のプレゼントとりあげても意味ないし。
いじらしいねえ。青春だったよ。で、やっと腕時計もらえたときは嬉しかったよね。


「伊地知はなまえ先輩からなにか誕生日の時もらった?」
学生時代を思い出しながらフラペチーノをすすると、赤で停車した伊地知とバックミラー越しに目が合う。
「……ま、そうだよね。3つも離れたら在学中は面識そんななかったか。……は?マジ?七海とかもスタバカードもらってたの?うわ……あいつ今度あったら下ネタとかで嫌がらせしよ。……へえ、それで?……あぁ、あるね。オマエの横の空きデスクって色々置いてる所ね。電気ポットとかある、いつもいいお菓子とかラーメンとか入ってる。……え、マジ……?は?毎月………?伊地知、ちょっとそこで車止めて」


▼ ▼

そろそろ寝ようかという夜遅くにインターホンは鳴った。
「今から行く」という連絡から3分も経たずに来られると、予告しながら家に近づいてくる人形の都市伝説を思い出す。ドアチェーンをかけたままに鍵を開けると、小さな隙間にスマホの液晶がぬっと現れる。持っている人も黒ずくめ、外も真っ暗。スマホが浮いているようだ。そこに映っていたのは、硝子ちゃんと買ったバングルのメンズ向けの商品画面。

「僕もこれ欲しい」
「と!と、と、特定すな!!」
「3人でおそろっちしようよ」
「なんでだよ。ドア開けるからちょっと下がって」
ドアを開けると、ただいま〜と五条は自宅のように入ってきた。大きなサイズの靴が自宅の玄関にある景色はもう見慣れた。
「女子はプレゼント交換好きじゃん。悟ちゃんも好きなわけよ。でも確かに3人でお揃いってなったら硝子が怒るから、先輩が僕に最高に似合うと思うもの欲しいな」
「ボーナスがもうそんなにないね」
「値段じゃなくて、気持ちなの。僕がつければハイブランドもノーブランドも大差ないから」
「前半はイイこといったのに後半でダメにする」
食事用のダイニングチェアに座る五条は足が長すぎて、向かい合った私の椅子の下まで余裕でつま先が入り込んでくる。僕の脛らへん足置きに使っていいよ、と言うけど人を踏むのはちょっと。
アイマスクを外した顔は、可愛い悟ちゃんアピールにキラキラと上目遣いで輝く。曇りない白眼に、丸く浮かぶ澄んだ青い瞳。おねだりにアイスティーを出すと、勝手にキッチン下の収納からガムシロップのチューブを出してきて入れた。あんなの家にあったんだ……。

「……欲しいって言われても、五条の持ち物の趣味っていまだによくわからないんだよね。いつも服装はシンプルだし」
「確かに、特に好きなブランドもモチーフも無いね。店でも勧められたもの買っちゃうし」
「裏付けするようで各ブランドには申し訳ないけど、ハイブランドもローブランドも何着せても似合うから、逆に選びようが無いというか……」
「じゃあ先輩の好みで僕を染めてよ。平安時代からの流行りのアレ」
「一部のコアなアレを流行と呼ぶな。……ごめん、今日眠いんだよ。もう1時だし。話の続きは明日の朝。五条はお風呂入ったの?」
「まだ」
「着替え出しとくからお風呂行って。寝よう。私は結構朝が早い」
あくびを噛み殺し、渋る五条の両手を引っ張り立ち上がらせる。五条に接してるとホントに力が強くてよかった。背も高いし、オーバーサイズ着てるからわかりにくいけど、筋肉量すごいからウエイトもある。
「そういえばここに置いていった、五条のダボダボの寝る時のTシャツさ、あれ着てた時、脇腹のタグで肌すれて赤くなってたよね。タグ自体もほつれて取れそうだったし、切っといたから」
「え、そうだった?」
何気ない会話だったはずなのに、なぜか五条の返事には隠しきれない笑みが溢れていた。クローゼットから着替えを取り出して振り返ると、表情はもっとわかりやすかった。
「……五条ってプレゼントもらいたいんじゃなくて、気にかけてもらうのが好きなんじゃないの?」
「大正解。そのとおり」
「……五条のこと私は大切にしてるよ。だから風呂に行って」
「今日さ、先輩からプレゼントもらったランキング作ったら、伊地知が1番だった。毎月差し入れで食べ物あげてるらしいね」
「五条が山ほど仕事させてるのに伊地知くんしかさわれない部分が多いから、もう差し入れくらいしか彼を応援できないからね」
「それさ、奥さんが夫の代わりにお歳暮を送るみたいで……いいね……」
本来は五条がすべきなんだけどな。差し入れじゃなく、仕事を。

「いやーしかし、今日は妬いた妬いた」
五条は私から着替えを受け取るとベッドに座る。頼む、風呂に行ってくれ。
「そうなの?そんな風には見えないけど、また唇をどつくのはやめてね」
「あの時はわりと演技があった。ああいうのが効くかな?って思ったけど、効かないからもう次はしないさ。色々やっても考えても、先輩は好きなように動くし、僕も結局のところそれでいいと思ってる。それを制限する関係でもないしね。……僕さあ、これもらったとき、先輩にチョークスリーパーかけたじゃん」
五条が薄い財布から取り出したのはスタバのカードだった。端っこは削れて、傷はたくさんついて年季が入っている。私が悩みに悩んで、五条に渡した初めての誕生日プレゼント。
「あの時、僕は硝子や傑みたいに先輩に可愛がられてるって確認したかった。でも最近の僕はずっと、先輩は誰も選ばないかもしれないけど、異性として1番は僕ってことは分かってる」
「1番」
「実際そうでしょ」
「たとえば、もしそれが変わるときがきたら?」
「ま、無いね」
視線を泳がせることも、考え込む時間もなく即答だった。

「でももし、それがありえたら言うよ。やめてってね。ずっと言っているけど僕を1番にしとけって。それ以外は伝えても意味ないし、なまえ先輩が好きになった相手をどうにかするのなんてもっと無意味。実際それが1番効くでしょ?」
ね?と首をかしげる五条は穏やかに笑いながらも、けして喜びの微笑みではない。どちらかといえば挑発、理解しているという揺るぎない自信。確かに、脅しより、圧力より、怒りより、普通に自分を選べと言われるのに弱い。この部屋、この状況、この返事ができない間が、五条の言ったことの正しさを証明していた。
「……でも、明日合コンがあったら行くなとか言うんじゃない?」
「明日合コンあるの?」
「ないけども、もしあったら言うだろうと思って」
「恋する男の子だから、時々は不安になっちゃうの!」
高い女の子の声真似で答えて浮かべた今度の笑顔は、高専の頃からほとんど変わってない。高専の頃より成長したと語られた内容の方は、確かに私の心を掴んでる。

五条は上ともう数えきれないほど論争してる。なんの罪悪感もなく傑のことをネタにするような奴らを五条はいなして転がして、対立してる。その五条に“交渉”されることは世の中に転がる嫉妬の結果のどんな行動より、私には効果的で、抗えないだろう。
気に入らないことがあったらすぐに「イヤだ」と言っていた彼。不機嫌そうな雰囲気で他人をコントロールしようとした彼。誘いを断ると傷ついたような顔をした彼。もうみんないないんだな。

「僕にして」と言われたら、私は五条を取るだろう。だろう。する。するはず……場合によっては確信できないかもしれない。守らなければいけないものが増えた。けど優先順位の中では彼はかなり上だ。でも五条は確信してる。私よりずっと、私のことを知っているのかもしれない。
でも五条が私より私のことを知っているように、私が他の誰かを選んだとき、きっと「やめて」というだけでは済まないと確信している。平和に、穏便に、血なまぐさいことなどなく、彼はきっと「やめて」以外のことを言う。そしてそれに、私は抗えないだろう。
自分のことは、自分が1番分からないのだから。

2021-06-24 リクエスト企画作品
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