※腰井=主人公の会社の社長です

「それは業務に入りますか?」
そう答えると社長は『なんかそういうタイトルの漫画ありそうだなぁ。がっつり定時後の時間外だけどさぁ』と、電話の向こうで呻いた。
「嫌ですよ。定時後なら」
『わかった。今度の昼飯、鮨連れてってやる。いいとこの鮨。いい所の人が、いい所の人を接待するのに使うお鮨だよ』
「酔ってます?」
『シラフシラフ。今日はどうしても行けなくって。ならボーナスも……ちょっと増やす』
「行きます」
定時後に入ったお願いは、指示された書類を社長担当の派遣スタッフが待つ渋谷のホテルに届けるというものだった。社長から送られてきたデータは私にはよくわからない会社や個人のリスト。電話を聞いていた隣の先輩が心配そうに私を見る。
「今日ハロウィンだけど大丈夫?」
「……あ!」
忘れてた。失敗した。他の先輩達も時間差で頼まれて、私だけがOKしたらしい。

渋谷のハロウィンの治安は日本でも最悪の部類だろうけど、お鮨とボーナス増しでお釣りは来るだろうと言い聞かせてタクシーで着いた渋谷駅は、予想以上にハロウィンコスの老若男女でごった返していた。老もいるの元気すぎる。平成の百鬼夜行じゃん。メイド、猫耳、血みどろナース、吸血鬼、狼男、元ネタのわからないもの。
真横を早足で全身真っ黒な何かが歩いて行く。この前の夜に出会ったアレがちらついて、少し背筋が寒くなった。あれから少し「何かよくわからないもの」が苦手だ。目の前をアメリカ大統領コスのおじいさんが歩いていく。百鬼夜行に巻き込まれてしまったアメリカ大統領……。

そして今から会う社長担当のスタッフも老である。社長担当はどの人もクセが強く、今日会う人は特に強い。データは紙がいいと頑として彼は譲ってくれず、いつも社長が必要な情報を手渡しに出かけている。ここまで特別対応なのは、彼がかなり優秀で手放したくないスタッフだかららしい。
何度かその人からの電話を取ったけど、やけに絡んでくるので苦手。今日は何も知らない社員が代理で行くと伝わってるので専門的なことは聞かれないだろう。私が担当のスタッフとやっている技術的な話を社長が分からないように、私も社長が担当のスタッフと話す内容は全く分からないのだ。
百鬼夜行から逃げて適当に入ったデパートをぶらぶらしていると、ピンク色のブラウスが目についた。思わず二度見してしまう。あれは虎杖くんが似合うって言ってくれたブラウス。
ちょっと試着してみるだけ……とお店に入って、20分後。買った。雑誌で見たよりピンクは甘さ抑えめで、ついでに合うパンツも買った。これでちゃんとお姉さんに見えるコーデができる。

店を出た足でそのまま指定されたホテルに向かう。近くのコインロッカーで荷物を預け、ホテルに入ると、外の喧騒が完全にシャットアウトされた所だった。流石5つ星ホテル。こんなホテル泊まったことない。5つ星ホテルって蛇口からシャンパン出すらしい。
冗談はさておき、待ち合わせ場所のレストランはビジネスマンから家族連れまでいて、仕切りの低い開けた空間だった。助かった、個室で会うのは疲れるから。
カウンターでスタッフの名前を告げると、すぐに案内された。彼はすでに来ていて、目の前には空いた皿がある。来ていたっていうか、居る時間に来させられたのか。

「お食事中すみません、粟坂さん。●●会社のみょうじです」
すごい勢いでステーキを頬張る粟坂さんは、あ?と首を傾げ、数秒経った後「ああ、その声、電話取る人か」と、どうでもよさそうに言われた。近くにいたウェイターが粟坂さんに呼び止められて「これ全部下げてくれ」と投げるような指示を受け、ステーキが空になった皿が無くなった。
「社長が来れないからアンタが来るって聞いてたな。そうだそうだ」
丸々とした黒い眼を囲むように太い眉と髭があり、それはこちらを値踏みするような眼をより大きく見せていた。書類を渡すと、彼は封筒を乱雑に破いて中身を確認した。
「……この中身の書類についていくつか聞きたいんだが、アンタたしか分かんないんだよな」
「はい、申し訳ありません。ご質問はお伺いして後日、腰井よりご連絡いたします」
「そうか」
じゃあ、と粟坂さんが書類を私に向けようとしたとき、彼のスマホが鳴った。電話に出ると、最初は単調だった返事が次第に乱暴になり眉がつり上がっていく。「なら孫をこっちにちょっと貸してくれ」と物騒なことを言って通話を終えて、私に口だけで不気味に笑いかける。
「せっかちだな。ババアはいつでもせっかちだ……待たせるくせに、待つ気がねえ。せっかちは良くない。そう思わんか?」
曖昧に笑ってごまかすと、呆れたようにため息をつかれた。
「アンタ、ここに来るの時間外だろ?色つけてもらってんのか?」
「いえ、まさか」
そうです、と言えるわけがない。粟坂さんは、ふぅん、と目を細めてニヤついた。
「アンタの会社は3期連続黒字なのに、こーんな所にこーんな若い嬢ちゃん寄越してタダかよ。ガメついなアイツも」
俺なら月給の倍もらっても来ないがな、とテーブルの端にあった爪楊枝を歯の間に差し込んで、肉の切れ端をほじくりだした。
「もう出ねえと。でも後で社長に聞くのも面倒だ。アイツの電話、いつかけても後ろがザアザアうるっさくて何言ってるか分からねえし、話し方も勿体振っててよ。だからアンタに質問伝えるから待っててくれ」
「……もちろんです。いつ頃お戻りになりますか?」
嫌とは言えない。けど、やけにニヤついた顔に値踏みするような目つき。嫌な予感かしない。仕事に行ったら社長に電話してさっさと逃げよう。
粟坂さんは立ち上がると、肩を回す。コキコキと関節がこすれる音がした。
「仕事が終わったら起こしてやる」

▼  ▼

私が目を覚ましたのは、ホテルの1室だった。
大きすぎるベッドがある部屋の……隅っこの床にいた。右と後ろは壁、目の前テーブル、左ソファ。上以外は全てを塞がれた狭いスペースに座りこんで眠っていた。

なんでこんな所に?
抜け出して、手近にあったテーブルの引き出しをあさる。思ったとおり宿泊約款の分厚い冊子が出てきた。ベッドに腰掛けてめくると、そこに記載されていたのはCタワーの名前。ここはCタワーの上階にある部屋なのか……。
最後に見た粟坂さんの表情と言葉を朧気に思い出す。社長への質問。仕事が終わるまで待ってろ。終わったら起こす。……何かされたような感覚はないけど、もしあの人がこれから何かをするためにここに私を入れた……なら、ベッドに寝かせた方がずっと楽だろう。何故こんな面倒な位置に?

違う。……考えても意味なんてない。
早くここから逃げなければ。座り心地のいいベッドにこのままいると、恐怖でずぶずぶと動けなくなりそうだ。
部屋を出て、フロントに行って助けを求めて、それから社長に連絡して……これからやるべきことを考えていたら、遅れて来た混乱と怖気が足に出て、まるでいつもより倍の高さのヒールを履いてるみたいに足が震えだした。

ドアから顔を出す。外は誰もおらず、足音ひとつしない。まっすぐな長い廊下の途中に左に曲がるスペース。宿泊約款に載っていた非常経路図によると左はエレベーターだ。
あそこまで走ろうと部屋を出た、と同時だった。
廊下の1番奥の窓が外から突き破られて、大きいものが中に転がり混んできた。静寂の恐怖から、突然の雪崩のような音に心臓がどくどくと跳ねて、出しなれていない自分の悲鳴で喉が痛い。走ろうとした足が棒のように止まってしまう。隠れようとドアノブに手をかけたがオートロックに閉め出され、汗でずるりと手が落ちる。
長い廊下の奥から視線が離せず、自分の荒い息がうるさい。
パリパリとガラスの破片が踏まれる音。ダウンライトしか照明がない薄暗い廊下では真っ黒い塊にしか見えず、詳細がつかめない。いや本当にあの夜のアレのように、詳細もなく黒いだけなのかもしれない。

ゆっくりとこちらに近づいてくる。
Cタワーの客室ってかなり上階ゾーンだ。
もう夢であってほしい。入って来たのが人間であることより、この可能性の方がずっと高い。見つからないように壁に張りつき、できるだけ小さくなる。足音が近づいてくる。この前の真っ黒なモノ以外、こんなこと無理に決まってる。
黒い塊の動くスピードが速くなる。ギリギリで浮いていた腰が、床にぺたりと落ちた。恐怖で立てない。
加速しながらこちらに来たそれは、この前の全身を黒いビニールで覆った四つん這いの何かでも、見たこともないような人間以外のモノでもなく、黒い制服に赤いパーカーの少年だった。

「え!?」
「はぁ!?なまえさん?!」
それは虎杖くんだった。
彼は走ってくると私の前にしゃがみこんだ。猫みたいな目を大きく丸くして、汗の匂いにヘアワックスの青リンゴの匂いが混ざっていた。いつもの彼の匂いだ。夢じゃない。
「え、え。君、外から入ってきたの?!」
「いや、それいいから!なんでここいるの?」
「私も分かってなくて……長い話になるけど。だ、大丈夫?……」
「なら降りながら聞かして!とりあえずここ危ないから外に出る。乗って」
虎杖くんが私に背を向ける。言われるまま背中に抱きつくと、彼は私を背負った突端、走り出した。
エレベーターへ向かわず、非常階段に出ると駆け下りて行く。いや飛び降りるような速さで下っていく。2段、3段飛ばしなんてもんじゃない。壁を蹴り、踊り場で勢いを殺して、下に下に落ちていく。虎杖くんのスニーカー裏がスピードに耐えきれず高い音を出して、私の口から漏れる短い悲鳴とシンクロする。とてもじゃないがこの状況で話せない。
そして降りる途中の非常階段ドアから出てきた、変なもの。
コスプレ?被り物?ホテルのハロウィンイベント?全部違う。コスプレはあんな鉄臭かったり、膿臭かったりしない。血と内臓らしきものがべっとりついた壁、何かが引きずられて行った血の跡、這いつくばって人らしきものを食べていたモノを虎杖くんは蹴り飛ばす。
「なまえさん、やっぱ話は後でいいから目つぶってて」
虎杖くんの声は、いつも食事中にする他愛ない雑談と同じ声だった。

▼  ▼

Cタワーを出て、虎杖くんに言われたとおりホテルの庭の植木に隠れた。
「片付けてくることあるから、すぐ戻るけど絶対ここから動かないで」
彼はいつも注意やお願いをするとき、眉尻を下げて困ったように言うのに、今日の“絶対”は有無を言わせない強さがあった。
木々の隙間から道路を確認するが、やっぱり人ひとりいない。さっきの変なモノもいない。スマホに電波は来ておらず、警察も呼べなきゃ、社長に状況の確認もできない。
普通じゃない世界が突然始まったのか、元々あったものに私が足を踏み入れたのか。もたれかかったCタワーの外壁は冷たい。この中で一体何人が死んでるんだろう。人を食い、死体を引きずっていたアレは何なんだろう。

「なまえさん」
深く考え込んでいたせいか、突然の声に肩が震えるほど驚いてしまった。見上げると虎杖くんが心配そうに私を見下ろしていた。
「もう終わったの?」
「……まだ色々あるけど、一旦は」
「怪我してるじゃん。制服も破れてるし、ほっぺた……」
話が終わる前に虎杖くんが抱きついてきた。ぎゅうーっと音がしそうなくらい正面から抱きつかれた。腕は太くて、体は温かくて、私は自分の手をどうするか迷って、虎杖くんの肩に置いたり頭をなでたりすると、私の首と触れ合っていた彼の喉が震えて、小さな笑い声が漏れた。
「なに」
「なまえさんこそ笑ってんじゃん」
「虎杖くんの抱きつき方、初めてのお使いで帰って来た子供みたいだなって」
「……その感じ方は複雑すぎっからマジでやめてほしい」
ぎゅうっとまた力が入るのが、さらにそれっぽい。
「なまえさん、もう震えてないね」
「この前、助けてもらったアレみたいなやつ……いっぱいみたから……慣れたかな」
「俺としてはあんま慣れてほしくなかった」
「私より虎杖くんの方が怪我してるし、心臓ドクドクいってるけど大丈夫?」
「……それはダイジョブ。友達、紹介するからこっち来て」

ついて行くと、車道のど真ん中に黒髪がツンツンと立ち上がった男の子がいた。制服が虎杖くんのとデザインが近いから同級生の子かな。この子も顔に怪我してるし、少し先には大破した車が横転、アスファルトは相当重いものが高い所から落下したような割れ方をしていた。
「写真に写ってた人ですよね」
男の子の声は、顔立ちや雰囲気と同じでひどく落ち着いていた。
「写真?」
「虎杖が……」
彼の視線が虎杖くんへ向かう。私達の視線が揃うと、虎杖くんは目を逸らした。
「見せて」
「はい」
見せられたスマホ画面に映っていたのは、一緒に映画に行った日の待ち合わせ場所で私達が話している写真だった。少し遠くから拡大して撮られているような写り方。
「センパイガ、グウゼンミツケテ……トッテクレテ………」
「ふーん……後で共有して」
「ウス」
「君は、虎杖くんと温泉に行った子かな?動画見せてもらいました。こんにちは、みょうじです」
「多分そうです。伏黒です」
突然の異常な世界からやっと気を緩められたと深くため息をついたとき、伏黒くんの背後に見えるガードレールの隙間に無理やり視線が引きつけられた。
だってそれに、強烈に見覚えがあったから。腹巻きにスパッツ。もうテレビでしかみないようなスタイルだなと、思ったから。

「粟坂さん……?」
似ている。腹巻きにはどす黒い血が染み込み、ガードレールの反対側で支柱にくくりつけられていた。彼なのか確かめたくて近寄ろうとすると、急に虎杖くんに手を引かれた。
「アイツのこと知ってるの?」
「たぶん……」
断定できずにいると、虎杖くんはガードレールの向こうに行って、フラッシュとシャッター音がした。モノクロに加工された写真に写っていたのは顔がひどく変形していたが、間違いなく粟坂さんだった。
どっと汗が吹き出る。指先がうまく動かない。カチカチに凍ったような感覚がした。
実感した。今まで分かった気でいたが、まだ非日常過ぎてどこか信じきれていなかった。食べられていた人も、食べていたモノも知らなかったから。信じたようで、まだどこか映画の撮影現場のように思って、受け入れきれていなかった。だけど今日会って、そして数週間前にも会社で電話を受けた人がこんな風になって、現実感が押し寄せてくる。日常と非日常がはっきりつながってしまった。
「……まず……私は人材派遣会社に勤めてるの。派遣で働きたい人と、働いてくれる人を探してる企業の間を取り持つのが仕事。……この人は社長が担当してる派遣スタッフ。今日は、社長の頼みでCタワーのレストランでこの人に資料を渡して帰る予定だったんだけど……」
ここに来た経緯と彼との関係を話すにつれ、虎杖くんの眉間に皺が寄って行く。
「なまえさんが無事でよかった。……いや無事じゃねーけど」
「君のおかげで無事。虎杖くんに会えてホントよかった。私だけなら多分エレベーターから出た所で死んでた」
「……話の腰折りますけど、みょうじさん。その渡した資料の内容は分かりますか」
今まで黙って聞いてくれた伏黒くんが口を開いた。
「内容はこの人の新しい派遣先だって言ってた。予備がバッグにあるんだけど、コインロッカーに預けてて」
「じゃあ、俺が取ってくるよ。場所教えて」

コインロッカーの場所を教えると、虎杖くんはあっという間に道の向こうに消えていった。私の足で5分くらいで戻れる位置なので、きっと虎杖くんならすぐ帰ってきてくれるはず。
「あの……みょうじさん」
伏黒くんが、気まずそうに私を呼んだ。
「虎杖はみょうじさんと会った時は楽しそうなんで……いやいつも大体機嫌いいヤツなんですけど。鼻歌デカくなるんで、すぐにバレて先輩達にみょうじさんのこと喋らされたんです」
「そうなんだ……」
「アイツのことよろしくお願いします」
伏黒くんがそう言ってくれたとき、虎杖くんがバッグ振り回しながら戻って来た。本当に早い。
「私がいっぱい助けてもらってるから逆だよ。それより、虎杖くんって足早すぎじゃない?」
「50mを3秒で走るらしいです」
「ボルト2人がかりでも勝てないじゃん……」
「ボルト2人がかりでも速度変わりませんよ」
虎杖くんと雰囲気が真逆だと、ツッコミも真逆なんだな。

▼ ▼

予備の予備として持っていた資料を伏黒くんに見せると、彼は最後のページまで見て、苦々しい顔をした。
「この書類の最後のページにあるグレーアウトしてる人、ここ1ヶ月くらいで死んでます」
「……どういうこと?」
私の質問と同じ内容を、先に虎杖くんが口に出した。
「虎杖は自分担当外の任務も見とけ……。聞いたことがあるんですが、殺しの依頼を仲介する仕事をしてるヤツがいるんです。この資料に載ってるの全部、多分殺しのリストです。みょうじさんの会社の社長は、その仕事をやってるんだと思います」
「え!?いや!なまえさんの会社、普通に昼間もやってたし、看板出して堂々とあるけど!?」
「何で虎杖くん私の職場のそういうこと知ってんの!?」
「最初に会ったベロベロに酔っ払ってたときに、なまえさんが名刺くれたから、近く通りかかったとき見えた」
「やばいな……」
私の危機管理能力もやばいし、会社もやばい。社長もやばい。
「……堂々とあるからいいんだろ。そういう表の仕事が社会的に認められてるほど、簡単に逃げられないと依頼者も殺し担当も思う。実際そう思わせるためにも仲介人はそういう仕事をやってる。仲介人に求められるのは確実な金の受け渡しだからな」
「つまり、粟坂さんは、殺し屋……?」
「そういう認識でいいです。そして今日は、渋谷であぁいうのが人を襲う日だと事前から計画されてました」
伏黒くんは道の脇で死んでいる、ブヨブヨした首の長いアレを指差す。
「仲介人が知らないわけないでしょうから、その社長はみょうじさんに行く役を押し付けた」
「私……つまり、使いっ走りってことか……」
伏黒くんは気まずそうに頷き、私に向けてなにか続けて言おうとしたが――彼の目線はそのまま上に向かった。

「……猪野さん!?」
伏黒くんが叫んだ途端、彼の足元から仮面をつけた大きな鳥が突然現れて飛び立った。その先にはCタワーの上から人が落ちてきていた。鳥の翼に人はぶつかって、落下のスピードが緩和されて、その下に回り込んだ虎杖くんが抱きとめる。全身真っ黒の人が虎杖くんの腕に収まって、顔から血が大量に滴り落ちた。
「し、知り合い…?」
「俺たちの先輩みたいな人です……」 
「伏黒!こっち来て!なまえさんはそこで待ってて!」
伏黒くんが下の道に降りると鳥がこちらへ飛んできて、私の服の袖をひっぱって粟坂から距離を取らせた。鳥に触ってみると柔らかくて、翼も軽い。けど何も無い所から出てきたあたり、きっとこれも普通の鳥じゃない。

話し合いを終えた虎杖くんが戻って来て、鳥は入れ替わるように伏黒くんの方へ向かって行った。
「伏黒がなまえさんを渋谷の外まで連れてって、会社のこと相談できる人までつないでくれるから」
「虎杖くんは?あの人大丈夫?」
「大丈夫じゃないから、渋谷の外まで結構走ると思う……俺は急ぎでやらなきゃいけないことがある。送れなくてごめん」
「そうじゃないのよ。虎杖くんも、こんな危ない所から出るべきでしょ……」
「……なまえさん、なんとなく俺のこと分かってるでしょ」
そうだよ。前からなんとなく思ってたよ。多分虎杖くんが普通の子供とは違うっていうこと。人並みはずれた運動神経と、普通の人とは違う目つきと視線。でもこんな形で、こんな場所で、予想に当たってほしくなかった。
渋谷を見上げる。混乱と恐怖が薄まって平常心を取り戻して来ると、さっきまで感じなかった寒さに体が冷えていた。そして静かな夜風の中に、かすかな悲鳴がいくつも混ざっているのが聞こえた。

「……それでも君は子供だよ、こんな危ない所にいたらダメ」
虎杖くんは返事をしなかった。その代わりに下を指差す。その先にあったのは、虎杖くんがコインロッカーから取って来てくれた買った服が入ったショップバッグだった。
「今度飯に行くとき、その服着てきてね!」
返事も聞かずに彼は飛び出して行く。
虎杖!と伏黒くんも呼ぶが、彼は振り向かない。
「来月!絶対!またどこかに遊びに行くからね!」
力いっぱい呼びかけたけど、やっぱり彼は振り返らずに、小さく手を上げただけだった。

2021-05-01
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