※架空のアイドルがいます
※少し未来の平和なif




高田ちゃん、ライブで突然のアイドル卒業宣言、その翌日に一般男性と交際を発表。
東堂の咆哮は3日3晩続いたらしい。

日本中を騒がせたライブの翌朝、東堂は学生同行任務についた。咆哮する1級術師を見た学生のメンタルを心配し、補助監督が私へ連絡をした。
私は海外任務に出ていて、高田ちゃんの卒業も、交際も、東堂の咆哮も知らなかった。だから任務を終えて、すぐに日本へ戻る飛行機のチケットを手配した。

▲ ▲

東堂は高専の同級生であり、親友だ。
東堂は女性アイドルの高田ちゃんを推していて、私は男性アイドルのU-TOを推していた。
アイドルのファン活動は深くハマればハマるほど生活に影響を及ぼす。週末の予定はもちろん、日々のスケジュール、衣食住、収入、人間性、人間関係、すべてがファン活動に向かっていく。上手くやれる人は両立できるだろう。私はできないタイプだった。だから推しを推すほどに周囲からは引いて見られ、私はアイドル好きを隠した。

しかし東堂と出会い、高田ちゃんへの愛を一切隠さないその姿勢に感動した。マイノリティの塊の世界で趣味を共有できたことは心強く、また術師として自由に使える収入を得て、私はより一層ファン活動に熱を入れた。そして異性の理解者というのはお互い都合がよかった。
まず、異性向けのコラボアイテムのレビューを頼める。例えば高田ちゃんコラボのナイトウェア、マスカラ、ブラなどは東堂が使えない。U-TOコラボのメンズ用パンツ、メンズ専用ジムなど私は無理。だから交換して使い、使用感を語り合う。
結果「やはり推しがコラボしたものは質がいい……」と運営の神采配を堪能した。それに握手会に同行してもらうことで、自分では知り得ない同性へのファンサを間近で見られたし、ライブに一緒に行けば感想を聞くことだってできる。数え切れないほど同行しあった。

何度、2人で「コンビニで対象商品を買ってもらおう」のチョコ菓子や栄養ドリンクの消化を虚ろな目でやったか。
何度、ライブ後の感想をファミレスで夜が明けるまで語り合ったか。
何度、デッキが壊れるほどお互いの推しの映像を見せあったか。
楽しかった。青春の輝き。東堂がいなければ私のファン活動はもっと色あせたものになっていた。


だけど学生生活最後の2月。この関係は終わった。
東堂と2人での任務を終えて、車で補助監督を待っていたときだ。
私はその前日にスクープされたU-TOと女優のお泊まり報道に落ち着かず、車外でうろうろと歩きまわり、東堂は車内から私に車へ戻るように促していた。U-TOが必ず、彼の口から説明をくれるはずだと何度も彼のTwitterアカウントをスワイプし続けた。
12時きっかり。表示されたのは1枚の画像。中身は報道された女優との婚約発表とアイドル引退、ファンへの謝罪。私は膝から崩れ落ちた。
地面衝突前に東堂の術式で柔らかい座席に入れ替わり、車内で伏せって泣いた。顔から出せるものすべてを出してシートを濡らして泣いた。東堂はそんな私の顔を、ミントの香りがするハンカチで優しく拭いて肩を抱いてくれた。

「みょうじ、オマエはいい女だ、高田ちゃんの次にな。だから泣くな。俺達と違う世界に生きている男に、マイシスターの真の価値は理解できない。オマエの心に間違いはない。U-TOが変わった。ただそれだけだ。そして結果としてアイツは、オマエにたどり着かなかった。これは悲劇か?そうだ、オマエという存在を逃した、U-TOのな……」
一気に8キロも痩せ細り、格下呪霊に負けた私を心配して歌姫先生が連れて行ってくれた居酒屋で、東堂はろくろを回す手つきで私に言った。
「つまり、オマエにはもっといい男がいる」
「高田ちゃんが結婚してもそんなこといえんのか……」
「オマエの言いたいことはよぉーく分かる。だが高田ちゃんは俺と結婚するから前提が違うだろう。オマエはアイツと結婚を誓っていたか?」
「誓ってない……」
「だろう?根本的に違う。そんな悲しい間違った比較はやめろ。オマエを傷つけるだけだ。シスターに傷ついて欲しくない」
「……うん」
私が握るメロンソーダのグラスに、東堂は烏龍茶をぶつけた。カンッと乾杯の音が鳴る。歌姫先生と桃と、加茂くんは私達を見つめていた。

その帰り道で、東堂君が言ってたこと変だけど大丈夫?と桃に言われて正気を取り戻した。確かになんかキメてんのか?という論法だったし、私達を見つめていた3人の視線は感動でも慰めでも同意でもなく、ドン引きしていた。

冷静になって考えると、東堂の言うことは私の感情とズレていた。
阿鼻叫喚のU-TOラストライブでサイリウムを振りながら私はそう確信した。
私が悲しかったのは、U-TOに恋人がいたことではなく、彼がアイドルを辞めてしまうことだ。静かに涙をこぼすと、隣の東堂が執刀医の汗を拭うかのように涙を拭いてくれる。
ライブの後、答え合わせに生まれて初めて買った週刊誌をファミレスで開く。いつものアイドル衣装じゃなくて私服の彼を見て、1ミリもときめかない。向かいでドリアをつつく東堂は「持ち歩くな。無理はよせ」と雑誌の上にマルゲリータピザを置いた。


「焼かないのか」
グッズ燃やす。と居酒屋で告げたので、ライブの翌日の夜に東堂は灯油を持って部屋に来た。段ボールいっぱいのU-TOのグッズを抱えたが、今は捨てたい気持ちにはならなかった。
「このU-TOは今も好きだから、大切にするよ」
「そうか……シスターの気持ちが1番だ」
「もし、高田ちゃんがU-TOみたいになったらどうする?」
「妻のアイドル期間の結晶を大切にするのは夫のつとめだ。額に入れて飾るな」
「……東堂」
「なんでも言え、シスター」
「これだけ燃やしておいて」
「任せろ」
東堂は寮の庭で、私が持っている唯一アイドルじゃないU-TOを焼いてくれた。
紙の束はよく燃え、火がパチパチと音をたてて弾ける。その様子を、私は寮室の窓から見下ろした。煙の香りは風に流されて、心地よく感じるほどにしか香らなかった。赤い炎に照らされて、黒い影が顔に濃く落ちる東堂が私に向かってウインクする。とても穏やかな時間だった。

東堂がトンデモ論法を展開していても、彼は私を親友としても、術師としても、人としても評価してくれていることは確かだった。
そして私は東堂に惚れた。
ヤケクソでも錯覚でも代替でもなく、自然なことだった。
けど東堂の親友以上の何かになりたいわけじゃない。ただこの感情を見つけてしまった。それだけである。
誰よりもそばで東堂のファン活動を見てきた私は、東堂が普段は絶対に浮かべない笑顔や、出さない声を、高田ちゃん1人にだけ向けることを知っていたから。


▼ ▼


飛行機から降りて、機内モードをオフにした途端、東堂からの連絡が通知に入る。
指定の駐車場に向かうと、ひときわ目立つジムニーがライトを2度点灯させた。
無骨さにかわいいをほどよく絡めたそれは、「今度のお出かけ、またレンタカー?山にも海にも行けちゃう、あの子がいいな」と高田ちゃんがこちらへ囁くCMで売り出された限定カラーだ。東堂は買ってから免許を取った。
東堂の心境のように、のっそりと助手席ドアが開く。
「久しぶりだなマイシスター。最後に会ったのは、去年の今頃にあった飲み会だったな」
運転席にいた東堂は、目の下がどす黒い以外は1年前と変わらない。
「ちゃんと生きててよかった」
「数日寝られていないが……すでにアサインされた任務もあったしな。あの時のみょうじの姿を覚えていたから食事は腹に入れている。とは言っても最低限だが……で、あの居酒屋でいいか」
「U-TOのときの居酒屋なら、潰れちゃったよ」
「な……!?何故教えてくれなかった!」
「…………忙しくて」

嘘だ。
高専を卒業して、東堂は私を高田ちゃんファン活動に誘わなくなった。U-TOを思い出すことに繋がるから辛いだろう、と。
そしたら一気に東堂と会う機会がなくなった。だからあの居酒屋のシャッターに貼られた閉店の2文字を見つけた時、写真におさめて、東堂に送ろうとして、やめた。
『親友以上になりたいと思わない』
それは、なれないと知っていたからの感情だと、燻る思いを胸の中でくゆらせながら考えた。
体は任務で忙しくても、頭はU-TOのファン活動がなくなってぽっかり隙間ができたから、東堂のことを考える時間は学生時代より多くなっていた。
もう私のこと忘れてないか?突然これを送る意図は?言ってなんになる?多分連絡したら久しぶりに飲みに行く約束をすることになり……高田ちゃんのことを話そうとしない東堂は、きっと誰とでもする当たり障りのない任務の話を振ってくるだろう。マイシスターと呼んでくれた関係はもう失われたかもしれない……。そんなことを思って、送れなかった。

東堂はアクセルを踏み込み、流れるようなハンドルさばきで車を出した。暴力みたいなコミュニケーションをとるのに、運転はとても丁寧だからそのギャップに桃が「怖すぎ」と言っていた。
「腹は減っているか」
「いや。あんまり」
「奇遇だな。なら、俺達の墓標に行くか」

▼ ▼

成田から車を走らせて約1時間。
運良くなにも開催されていない日本武道館の前は人がまばらで、閑散としていた。
奇しくも高田ちゃんとU-TOの卒業ライブは同じ会場だった。
東堂は車を停めて窓を開けた。昼は暑いが夜は涼しく、澄んだ空気が車内に入ってくる。東堂はハンドルにもたれると、窓の外を眺めた。静かだった。U-TOの最後のライブ以降来ていなかった日本武道館は、記憶よりずっと小さい。
短くない時間が過ぎ、東堂はぽつりとこぼした。
「マイシスター。言ってくれ、俺があの日言った……言葉を」
「変わったのだ……って話?」
「……あぁ」
絞り出すような声だった。東堂は外に顔を向けたまま、こちらを見ようとしない。
高田ちゃんは変わった。
高田ちゃんが変わった。ただそれだけだ。そして結果として高田ちゃんは東堂にたどり着かなかった。これは悲劇か?そうだ、東堂という存在を逃した、高田ちゃんの……。
……悲劇なのか?
自問自答をする私の視線が、東堂と合う。彼は泣きそうな目を向けて来た。

そうだ。高田ちゃんは変わった。

「高田ちゃんは変わったよ。でも悲劇じゃない」
東堂の目が見開かれた。
「……マイ、シスター……?」
「人は変わる。人は変わって、他人との関係も簡単に変わる。それからできた感情を、身を持って知ってるのは私達じゃないか」
「マイシスター……!!」
「変わるのは、当たり前なんだよ」
「……言うな……やめてくれ……。分かっている。だが今は慰めがほしいんだ……」
東堂がハンドルに突っ伏す。ハンドルは支えきれない重さに鈍い音を出した。
「今回の高田ちゃんの変化に悲劇はない。東堂だって、本当は心の奥ではわかってる」
「頼む言うな!!……オマエに言われたら……!」
「東堂が1番最初から“解って”たじゃないか。もっとずっと前から、2回も振られて、それでも食らいついてきた!!!でも愛は叶わないって1番“解って”たのは東堂だろ!!」
「やめろおおおお!!!!」
東堂がハンドルを殴る。吠える。クラクションが響き渡る。
存在しない中学時代に虎杖君に見守られ、高田ちゃんに振られた。東堂は進学して、初めてできた異性の親友、私、みょうじなまえから女の子の気持ちを学ぶ。そして存在しない女子高に進んだ高田ちゃんに告白して、また振られた。
存在しない世界でさえ願望を叶えられない、東堂。だから本当はずっと“解ってる”。

外から「クラクションがうるせぇ!!」と怒鳴り声がしたので、東堂を引き剥がして外に放り出すと、東堂は足もつかず空中で1回転して立ち上がり、両手を広げ私の前に立ちふさがった。
「マイシスター!!俺を殴ってくれ!」
「グー!?パー!?」
「グーで頼む!!」
東堂の腹に全力の拳を叩き込む。東堂は弧を描きながら10メートルほど吹っ飛んで、1度バウンドし、地に伏せった。あの2メートルを超える巨体がアスファルトに倒れているのに、とても小さく見えた。
「東堂……」
「流石だ、いいパンチだマイシスター……」
「ガードしてよ……全力でいっちゃったじゃん……」
「いいんだ全力で……この全力が良い。俺に喝をくれるのは、同じ思いを抱えたオマエだけだからな。ブラザーでは優しすぎるし、叱ってくれる高田ちゃんはもういない」
「東堂、鼻血が」
「気にするな。興奮しすぎただけだ」
東堂の目と鼻から溢れたものは、ししどに顔面を濡らし、こめかみや頬を伝い地面を濡らした。
もしU-TOがこんな顔をしたら。ライブ会場なら感動してもらい泣きするだろうけど、こんな道の真ん中で失恋してだったらドン引きする。でも東堂にならしない。つまり。
「これがガチ恋ってやつか……」
「そんーっな言葉で、俺を括るな」
「違う、私の話」
東堂は足を投げ出したまま起き上がった。

「教えてくれみょうじ。アイツを失ったあと、何を道標にした?俺はこれからどうすればいい……」
「別の人を好きになるのよ。私達は10代という最も多感で、最も恋に夢を見られる期間を推しに捧げた。こんな10代送ったら、もう私達は好きな人がいない生活は無理」
「オマエは……そう“なった”のか」
「“なった”わ……」
「何故話してくれなかった!!水くさいだろう!!!」
そう言うと、東堂は体を捻り私を見上げた。
「俺は当分そんな気にはなれんが……オマエの新たな推しは知りたい。誰を好きになったんだ。名前を教えてくれ」
東堂はスマホを取り出し検索サイトを表示する。そうだろうアイドルにあそこまでハマった人間なら、次もまたハマるのはそういう世界の人間と思うだろう。
「東堂……葵……」

とうどうあおい が検索ボックスに打ち込まれ、ネット上のとうどうあおいさんが表示された。

「この野球漫画のキャラクターか?」
「それは別のとうどうあおいくんだ。……東堂……。その……君だよ。私の親友で、高田ちゃんを愛する、東堂葵」
東堂はまた私を見て、スマホに視線を戻し、時間をかけて深く頷いた。
「驚いたが、納得だ。それは仕方がないことだな……」
そうね、と相槌しそうになって。いや、そうねではない。
きっと勘違いしている。東堂がいい匂いをまとい、常に清潔に身繕いをし、術師として才能に溢れ、強く、厳しく、たくましく、自称スーパーコンピューターを超える頭脳。それらを愛しているわけではない。私は、東堂が私を評価してくれて、誰よりも優しくあのとき受け止め、慰めて、気遣ってくれた人間性を好きになったのだ。
「失恋を慰め、オマエを誰より評価している俺を好きになってしまうのは仕方のないことだ……」
「いや、なんでそこだけ正しく理解してんの……」
「オマエはただひとりのマイシスターだから当然だ。だがその気持ちに応えられるか、今は全く分からん」
「いいのよ。別に。」

両思いになりたい気持ち、なかったし。

そう、続けようとしたのに。
東堂の表情を見てしまった。
高田ちゃんに振られた時と同じ顔。こんなにも高田ちゃんが好きなのに、幸せな未来が迎え入れてくれないことを知って、どこに行っていいか分からない打ちひしがれた顔。
東堂の前に座り込む。視線が合う。東堂の顔はびちょびちょだ。ハンカチを差し出すと、すまない、と東堂は涙を拭い、自分のハンカチで鼻を拭った。
「ねぇ東堂」
「なんだ……?」
「……高田ちゃんは、男の子は馬鹿な方がいいって言ってたけど。高田ちゃんにフラれてすぐ、慰めてくれた女の子に転んじゃうのって、ずいぶん馬鹿な男の子なんじゃない?」
「言ってる意味を、解っているのか」
今日聞いた中で1番はっきりとした声だった。鼻を拭う、光のない東堂の目に光がさす。
「解ってる」
東堂はポケットからティッシュを取り出すと、鼻を押さえ、大きくのけぞったまま、数分動かなかった。
「……やはり俺は高田ちゃんのことを忘れられるか分からん。みょうじのことは、もしかしたら一生2番目かもしれん。それを解って、か?」
「何年親友やってるの。愚問でしょ」

東堂に手を貸すと、手のひらがぶつかって5本の指が強く握ってくる。分厚い掌。指1本1本も肉厚。普通の女の子だったらこの衝撃は手のひらを弾かれたと思うかもしれないし……そもそも4年間も東堂についていけなかった。普通の女の子じゃなくてよかった。

東堂は小さく笑い、みょうじ、ありがとう。と呟いて私の手をもう1度強く握った。
決めた。高田ちゃんのために馬鹿な男の子になろうとして、高田ちゃんより私が好きになっちゃった。そんなとんでもない馬鹿な男の子に、絶対にしてやる。

2021-04-22
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