goodbye summerboy
 実家のすぐ近くにある森の奥に、使われていない古い小さな礼拝堂がある。
 森をしばらく進むと出会うその礼拝堂は、そこだけぽっかり開けていて、小さい頃は秘密の遊び場としてよく通っていた。外の壁はつたが絡まり、分厚い扉を引くと錆びた鉄が軋む音がして、礼拝堂に響き渡った。石造りの中はひんやりとしていて、丸い飾り窓から陽射しがヴェールのようにきらめいていた。真ん中を挟んで長椅子が三列、その一番前の長椅子に、ワタルさんは座っていた。

 ワタルさんに初めて会ったのは、小学校四年生の夏休みだった。近所の子たちとかくれんぼをしていた。森を走り回っていたら偶然と礼拝堂に着き、そこに隠れようと扉を開け、前列の長椅子の影に縮こまりじっと待っていた。
「かくれんぼをしているのかい?」
 と声が聞こえ、わたしは慌てて顔を上げた。さっきまで誰もいなかったはずなのに、若い男の人が長椅子に座っていた。
「ご、ごめんなさい」
 わたしはびっくりしてしばらく固まっていたが、言われたことを思い出すと、楽しい気分が身体から急速にしぼんでいった。
「いや、いや、いけないことではないよ」
 男の人が言った。クセのある黒い髪で、白いズボンに白いシャツを着ていたが、裸足だった。ズボンと同じくら白い足首が覗いていた。
「久しぶりに人に会ったから、嬉しくてつい話しかけてしまった。驚かせてごめん」
「かくれんぼしていいの?」
「いいんだよ。今はだれも使っていない礼拝堂だからね」
 と言うと、男の人はやわらかく微笑んだ。花がふんわり揺れるような笑い方だった。わたしの胸に、甘い風が爽やかに駆け抜けた。
「きみの、名前は?」
 わたしはユカリ、と答えた。あなたの名前は、と聞くと、その人は「ワタル」と言って微笑んだ。

 それからすぐに扉の開く音がし、友達がわたしを見つけた時、ワタルさんはいなくなっていた。ワタルさんの座っていた場所だけ、きらきらとした粒子が舞っているように見えた。

 次の日も、その次の日も、何度あの礼拝堂に行っても、ワタルさんに会うことはなかった。そうして夏が過ぎ、冬が過ぎ、年月が経ち、わたしは大学生になっていた。ワタルさんとの出会いは小さい頃の思い出となっていたが、ワタルさんを忘れたことは無かった。夜眠りに就くまどろみの中でも、あの礼拝堂でワタルさんがわたしに向かってやわらかく微笑んでいる姿をありありと思い浮かべることができた。

 大学一年、上京して初めての夏になった。数ヶ月離れただけなのに、懐かしい気持ちを抱えながら実家に帰った。昼下がりの陽射しが強く照りつけ、森から聞こえる蝉の鳴き声が、熱を持った空気に充満していた。
 わたしが家の玄関の前で蒸し暑さに顔をしかめながら、担いできた荷物を降ろしているところに、九歳の弟がわたしに駆け寄ってきた。
「お姉ちゃん」
「ただいま。どうしたの?」
「ぼく、ワタルくんと友達になった」
 わたしは自分の耳を疑った。
「お姉ちゃんのことを知ってる人だよ。お姉ちゃんに会いたいって言ってるんだよ」
 弟は真っ直ぐわたしを見つめてきた。わたしは渇いた喉に無理やり唾を飲み込んで、額の汗をぬぐった。 速く脈打つ鼓動が耳に共鳴していた。
「森のあそこで待ってるって伝えてって、言われたよ。ワタルくん、待ってるよ」

 気が付けば、なりふり構わず駆け出していた。すぐに息が上がり、森の中に入ってからは歩いた。けれど鼓動はずっと速いままだった。木々が日陰を作ってくれているおかげで、森の中は涼しかった。蝉の声はうるさいのはずなのにとっても遠くから聞こえた。ここにはわたし以外の生物は誰もいないのかもしれないと思うほど静かだった。自分の息遣いと、踏みしめる土の音だけが、やけに耳に響いた。
 礼拝堂は昔と変わらなかった。つたは外の壁を絡みつくし、周りは雑草だらけだった。わたしは重厚な扉を、ゆっくりと引いた。変わらない軋む音が礼拝堂に響いた。ひんやりとした空気が、サンダルを履いたわたしの足に絡みついた。飾り窓が埃に覆われているせいか、中は以前来た時よりも薄暗かった。奥の長椅子に、人が座っている姿を見つけた。全身に甘酸っぱい血液が駆け抜けた。
 ふと、外から心地よい風が開けた扉から入ってきて、わたしの髪がそよいで、それからワタルさんのクセのある黒髪がわずかにそよいだ。ワタルさんがゆっくりと振り向くのを、わたしは音を立てずにじっと見つめていた。

  ふんわりと花が揺れた。礼拝堂の扉が軋みながらも優しく閉まっていった。



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ひと夏の思い出企画より。参加させていただきました。


bkm
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