無防備な指先

<1>

 今日、ぼくは中学校へ入学する。昨日までの最上級生の立場から一気に先輩だらけのところへ行くというので、少し緊張している。
 幼馴染のあかりも一緒だ。
「あこがれの中学生になれるなんて夢みたい」
 入学式後、教室へ移動して席につくとあかりが興奮して言った。
「あんまり大きい声出すなよ」
「なんで?」
「怖いヤツに目つけられたくないだろ」
「何言ってるの。そんなの気にしてたらこの先やっていけないよ」
「すぐいじめられるんだぞ」
「あんたみたいな根暗なやつがいじめられんのよ。じゃあね」
「えっ。じゃあねって、まだ休み時間じゃないのに」
「他の友達んとこ行くの。今まで隣の家のよしみで付き合ってきたけど、もうあんたとはあんまり喋らないから」
 あかりはそう言って手をひらひらさせると、長いプリーツスカートをひるがえして行ってしまった。


<2>

 ぼくは剣道部に入った。親に勧められたからだ。正直、先輩も先生も怖くて剣道着も汗臭いからやめたい。
 あかりは女子テニス部に入った。あかりはこんがり焼けて、少し脚が細くなった。
「翔太、剣道部なんだってね」
 放課後の練習後、いつも通り一人で帰ろうとしてあかりに話しかけられた。
「かっこいい先輩いっぱいいるって噂なんだけど、やっぱり皆かっこいいの?」
「分からないよ。いつもお面つけてるから」
 お面をつけるなんて練習の間だけだったけどそう答えた。第一先輩の顔なんて眉をつり上げて怒っている時しか覚えていない。
「ねえ、先輩達のアドレス持ってるんでしょ。わたしにも教えてよ」
 あかりはねだるようにぼくの腕を掴んだ。掴むあかりの腕を見てぼくは指さして言った。
「毛がないじゃん。どうしたの」
 あかりは慌てて手を離した。
「あんた普通女の子にそういうこと言う? いまどきの女子中学生は、腕にも脚にも毛なんかないの」
 あかりはつるつるした腕をさすったが、幼稚園からずっとあかりと一緒だったぼくには分かる。剃ったのだ。
「あんたって、ほんとデリカシーないのね。サイテー」
 そう言い捨ててあかりは走り去っていった。ぼくは家に帰ったあとしばらく考えたが、先輩達のアドレスは送らないことにした。


<3>

 中学に入ってから一年が経った。ぼくにも後輩が出来た。剣道部の新入部員は随分生意気なので、ぼくは三年の先輩の目を盗んで時々しかる。ちょっといい気分だ。
 クラス替えもした。あかりとは別々のクラスになった。新しいクラスはみんな温和でぼくとしてはありがたかった。あかりは女子テニス部をやめた。部内の同級生同士でいざこざが起きて、何人かと一緒にやめたらしい。
 厳しい部活の目が無くなって、あかりは髪を伸ばし始めた。眉毛が薄くなって、目の周りが黒くなった。休み時間や放課後には、数人の同級生と廊下の隅っこに座り込んでいる姿を見るようになった。たまに廊下ですれ違って目が合うけど、そこに何も見えないかのようにあかりはぼくを無視する。風の噂によると、三年のタバコを吸っている先輩と付き合い始めたとか。
 夏休みに入った。三年の先輩は引退して、なんとぼくが部長になってしまった。同級生の誰よりも部活に熱心だと思われたらしい。本当は、サボったりして目をつけられるのが嫌だったからちゃんとやっていただけなのに。
 夏休みが明けて、また廊下であかりとすれ違った。するとあかりはぼくに近づいてきた。
「翔太、最近モテるんだって?」
「えっ?」
「剣道部の部長になったんでしょ。背高くてカッコイイってわたしの後輩が言ってた」
 そう言えば背も伸びた気がする。今まで同じ位置の目線にいたあかりを見下ろしていたのにぼくは気付いた。
「あんなに根暗だったのに、あんたも変わったね」
 あかりは黒く縁どった大きな目をぱちぱちさせてぼくを見つめた。
 ぼくは何も変わってない。変わったのはあかりのほうだ。
「それ、パンダみたいだね」
 ぼくはあかりの目を指さして、ずっと不思議に思っていたことを言った。
 途端にあかりはショックを受けたような顔をした。そして、みるみるうちにあかりの目から涙が溢れた。
「やっぱり嘘。あんたなんにも変わってないのね。サイテー!」
 右頬に痛みがはしる。あかりがぼくをぶったのだ。
「最悪なヤツだって皆に広めてやるんだから!」
 と叫ぶと、あかりは鼻をすすりながら走っていった。
 ぼくはしばらく茫然と立ち尽くしていた。中学に入ってからあかりを怒らせてばっかりだ。けれども、ぼくが変わっていないと思い直してくれたあかりに、少しだけ安心した。


<4>

 冬が過ぎて、春になって、ぼくは三年生になった。剣道部も最後の大会に向けて大詰めだ。高校をどうするかも考えるようになった。あかりは、どうするのだろうか。
 あかりはあまり学校に来なくなっていた。付き合っていた先輩に、卒業と同時に別れを言われて、それから来る気力がなくなってしまったらしいという噂を聞いた。
「田中。悪いが、今日の放課後に中村あかりのところへこれを届けてくれないか」
 ある日の数学の授業の終わりに先生に話しかけられた。あかりの担任だ。ぼくが何かを言う前に、プリント二、三枚を押しつけてどこかへ行ってしまった。
 放課後、ぼくは先生の言う通りにあかりの家へ向かった。あかりのお母さんは「まあしょうちゃん、久しぶり」と、ぼくを快く迎え入れた。あかりは最近ずっと風邪っぴきで寝込んでいて外には出られないだろうから、部屋に入ってもよいと言う。
 家に来るのが久しぶりなぼくはもちろんあかりの部屋に入るのも久しぶりだったので少し緊張した。扉をノックしたが返事がない。少しだけ開けて中を覗くと、どうやら寝ているみたいだった。部屋の前にいてもしょうがないので、ぼくは音を立てないよう恐る恐る部屋に入った。
 部屋は汚かった。薄手のTシャツや短いズボンが無造作に放り出され、教科書やノートは机にバラバラに置かれ、ポーチから色んな形の化粧品が飛び出し、数え切れない雑誌の山が一角を占領していた。あかりは部屋の真ん中に敷かれたせんべい布団で小さくうずくまっていた。金髪になったさらさらな長い髪が掛け布団からのぞいている。髪は最近染めたらしいと噂で聞いた。あかりは、どんどん別の人になっていく。
 じっとしていても暇なので、近くにあった雑誌を開いてみた。あかりに似た格好をした女の子たちがページいっぱいに載っている。小麦色のつるつるな肌も、薄い眉毛も、パンダみたいに黒い目の周りも、目の覚めるような金色の髪まで。あかりそっくり、いや、あかりそのものだ。何かから自らを守るように、あかりは自身をがっちりと塗り固めていく。
 あかりはなかなか目を覚まさない。見やると掛け布団が少しズレて、あかりの顔と指先が布団から出ていた。額に冷えピタを貼っている。寝ているというのに目はばっちり黒いままだ。
 ふと、あかりの指先に目がいく。ぼくはハッとしてもう一度雑誌に目を通した。雑誌の彼女たちの装飾がほどこされたキラキラした爪が、あかりにはなかった。
 あかりはまだ目を覚まさない。昔からの変わらない指先を広げて、ぐっすり眠っている。不完全で無防備なあかりは、ぼくの傍でぐっすり眠っている。




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御題は安住奈智さまより。ご馳走さまでした。
ある方に影響を受けてディスタンスを変えてみました。


bkm
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