こんぺいとうの雨が降る夜
「お星さまってどんな味がするの?」

 昔の私が思っていた同じようなことを聞かれた。
 それは、眠くないと言いながらも瞼をぱたりと下ろしては擦り、を繰り返す娘を寝かしつけようとベッドまで手を引いてやった時だった。お気に入りのピンクウサギのぬいぐるみを右手に抱え、大げさに首を傾け私を見上げている。
 ゆっくり腰を降ろし同じ位置に視線が来るようにすると、娘は小さくてまんまるの頬を膨らませて、その赤い唇をすぼめた。そのさりげない動作に愛しい気持ちが溢れだしてしまうのは親馬鹿というやつなのか。思わず抱きしめたくなったが、眠い状態の娘が機嫌を悪くするのは十二分に解っていたので、柔らかい髪を優しく触ってからかけ布団を広げてやった。
「お星さまはね、手の届かない、遠い遠い宇宙にいるんだよ。だからショーコに食べてもらえなくて、悲しくて涙が出て、雨を降らすんだよ」
 私が小さい頃から母に言い聞かされていたことだ。
 娘は大人しくベッドに潜り込んで、大切に大切にピンクウサギを枕に乗せる。自分も枕に頭を置いて布団を鼻まで引き寄せるとじっと私を見た。寝付きが良くなるように額を撫でてやると、だんだんと娘の瞼が閉じてゆく。これから食器を洗ったら、明日の予定を確認してお風呂に入ろうと考えていると、もう閉じていた瞼の奥にあるつぶらな瞳がうっすらと私を見ていた。
「じゃあ……お星さまの涙はどんな味なの?」
 どうしてもおいしいのかが気になるらしい。
 私はそうだねえ、と首を傾げた。
「こんぺいとうみたいな味をしているんじゃないかな」
 娘はふうんと布団の中でくぐもったか細い声を出し、眼を瞑ると共に規則的な寝息をたて始めた。
 私はそこでようやく一息つく。その小さな鼻にちゃんと透明な空気が通るように、娘の首元まで布団をずらしてやる。
 音を立てぬようにベッドに手をついて立ち上がると、ドアにもたれかかる背の高い影に気付いた。
「おかえりショーヘイ」
 名前を呼ぶと、彼の後ろにある廊下からの弱い電光を受けた顔が確かにだらしなく緩んだ。
「ユキちゃんただいま。ショーコはもう寝ちゃったんだ?」
 今さっきね、と返しながら彼に近づき、丁度私の目線にあるネクタイが僅かに崩れているのを見つけた。そういえば、今日の朝は寝坊していたっけ、と思い出す。私の視線を感じたのか、不思議そうに首をかしげるショーヘイに、心臓を柔らかく掴まれたような気持ちになった。
「本当はショーヘイが帰るまで待つって言ってたんだけどね、絵本読んで聞かせたら眠そうにしてたから寝かしちゃった」
 私越しにベッドを覗く彼と同じ方向に目をやると、娘は毛布に包まり、ピンクウサギに頬を寄せて気持ちよさそうに眠っていた。明かりのついていない部屋は、窓からの淡い月光と廊下からの暖かい電光とが緩やかに差し込んで、静かな沈黙を呼んでいる。
 気がつくとショーヘイの緩んだ笑顔が私を覗き込んでいた。それから無意識に娘をじっと見つめていた自分に気付く。
「ショーコが生まれてユキちゃんは変わったねえ」
 良い意味でね、と付け足して頭一つ背の低い私の髪を撫でるショーヘイも、娘が生まれて変わったと思う。昔は彼と結婚することさえも考えていなかったのに、今こうして私の前にいるのが彼で良かったと心の底から素直に思えてしまうのは、愛というやつだろうか。
 ……いや、もう分かっている。若い頃のようにはぐらかすことなんて今の私には出来ない。
 彼と時間を共にしてゆくうちに、そして娘と共に過ごしてゆくうちに、私の周りはいつのまにか溢れ出す愛情できらめいていた。
「これでも一児のお母さんですから」
 口元がにやけるのを抑えずにそう言いながら、彼の曲がったネクタイを丁寧にほどいてゆく。ちゃんと結ばなきゃ変な皺が残っちゃうのに。するりと外そうとして、私より一回り大きな掌で手首をいきなり掴まれた。思わず顔を上げると、先程のだらしない笑みとはまるで違った熱っぽい瞳がすぐ近くにあった。そこに映る私自身を見た瞬間、緩やかだった鼓動が一気に体中を駆け巡る。彼の吐息が私の乾いた唇にそっとかかる。触れる肌が焼けるように熱い。

「ショーヘイ、ショーコの前だから……」
「もう寝てるよ」

 息だけで出された言葉と彼の瞳に、心臓が音を立てて私の身体を揺らした。途端に流れる血液が甘酸っぱくなる。
 こういう時だけ有無を言わさないところは昔から全く変わらないなんて、彼はずるいと思う。
 鼻先が触れて、私の手首を掴んでいない方の手が後頭部に回る。ゆっくり触れあう唇。私は立ち尽すことしか出来ない。緊張で身体が動かない。子供も生まれたのにキスでいっぱいいっぱいの私のこういうところも、もしかして昔から変わらないのだろうか。

 離れた吐息の先を見上げると、お星さまの涙が、こんぺいとう味の雨が窓に静かに当たっている音に気付いた。次のキスが近づいたので、それを見ることは出来なかったのだけれど。



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御題は笠木さまから。ご馳走さまでした。この二人はお気に入り。


bkm
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