秘密と初恋
 ルイスは秘密がとっても好きでした。秘密というのはもちろん、あの、手のひらを口に当て相手の耳元でそっと囁くと、虹色の飴玉を舐めた時のように胸が高鳴ってしまうあの、どんなことでも大切に扱わなければいけない、あの秘密というものです。なかでもルイスは、自分しか知らない、自分だけの秘密が大好きでした。彼の秘密は決して大きなできごとではありません。たとえば、朝、登校する時に、お隣りに住むマーサおばさんが、あやまって水のチューブを自分に向けてしまい、ずぶ濡れになっているところを見たことですとか、飼い犬のジョバンニが、庭のすみっこに大好物の骨を埋めているのを見たことですとか、そういうものでした。そしてそれらを自分だけの秘密にするのですが、何分おっちょこちょいなもので、友だちのチャーリーやジョンにうっかり話してしまいそうになり、言いかけては気付き、口をつぐむ、というのもしばしばでした。そのくせ、自分で決めた秘密は頑なに秘密のままにしておくことが、ルイスの一つの信念のようにも見えました。先週だってそうです。夜に、ふと家の二階のベランダをのぞくと、まんまるいビー玉のようにきらめくお月さまが、暗く晴れた夜空にぽっかりと浮かんでいました。ルイスは感動のあまりため息を漏らしたにも関わらず、お父さまやお母さまに告げずに、その晩はただ、自分だけで見つめていました。そうして、翌日の学校で、昨日は月が綺麗だったと皆が騒いでいても自分だけじっと黙って、あの時間にあの場所からあの夜空を見たのは自分しかいないのだと、わくわくしているのでした。

 ある日の放課後、ルイスは一人で花屋に向かいました。ルイスの家は街の端にあります。家の裏側に青く生い茂る林を少し入ると、花屋はそこにあるのです。ルイスの家族と、お隣のマーサおばさんくらいしか知らない、学校の友達は誰も知ることのない小さな花屋でした。そこには林でしか咲かないいくつもの花が並んでおり、ルイスにとって自慢の、自分だけの秘密の一つでした。ルイスが花屋へ向かったのは別に用事があったわけではありません。こうやって、時間を見つけては花屋をのぞきに行くのがルイスの楽しみなのです。用事があるといえば、そこに住んで花屋を営むローラさんと、お話しをすることぐらいでした。

 林に出来た獣道をぬって花屋が見えますと、ルイスは普段ここでは見たことない誰かが、花屋の奥で座っているのを見つけました。膝辺りまで生えた雑草の間を通って、花屋の前まで来ますと、その「誰か」はどうやら自分と同じ年ほどの女の子らしいとルイスは気付きました。淡いスミレ色のワンピースを着、ウェーブのかかった栗色の長い髪、モスグリーンの大きな瞳。よく見れば、何と可愛いらしい子だということにも気付きました。

 きっと街でこの子が歩いていたら、すれ違う婦人の方々は、まあ可愛い子だこと、と囁き、いつも騒いでばかりいるルイスのクラスメイトは頬を染め、どこの家の子なのだろうと胸踊らせたに違いありません。ところが、ルイスは大変恥ずかしがり屋でありました。学校の男の子とはこれといったこともなく楽しくやっていますが、あまり喋ることのないクラスメイト、特に女の子とは、ルイスは全くと言っていいほど関わりがありませんでした。友だちのチャーリーやジョンに、お前は男じゃない、などとからかわれても、女の子が近くにいるだけで肩がむず痒くなり、爪先をもじもじと動かさずにはいられないのです。少し目が合うとぶたれたように頬が真っ赤になってしまうので、なるべく目が合わないように下を見ながら歩いたりするものですから、ルイスはやはり、チャーリーやジョンにからかわれるのでした。

 女の子は白い木の椅子に座って読書をしていたので、少しのあいだ、ルイスに気付いていないようでした。何やら革のカバーがかかった分厚い本を読んでいます。伏せられた長い睫毛からのぞくモスグリーンの瞳は、ガラス細工を光りに透かした時のようにつやがあり、ページをめくる手がまるで陶器のように白くなめらかで、ルイスは思わず息をひそめました。しばらくその子に見とれていたルイスでしたが、彼女がふと顔をあげ、二人の視線がかっちり合うと、ルイスはとっさに自分の足元を見つめてしまいました。「どうしよう」ルイスは口の中で呟きました。もっとも、女の子と同じ空間に二人きりでいることは彼にとって初めてでしたし、無言で立ち尽くしていた自分は、はたから見れば変なやつに違いなかったと、急に不安になったのです。何か言われやしないか……と、どきどきしていましたが、声は聞こえてきません。二人ともが何も喋らず、時だけが過ぎていきます。ここが鳥のさえずりや枝の擦れる音が溢れている林でよかったとルイスは心底思いました。

 どうやら花屋にいるのは女の子だけで、いつものローラさんは姿が見えません。折角来たのに立っていることしか出来ないルイスは思いあぐね、残念ですが、来た道を帰ることにしました。顔は上げぬまま軽く会釈をして、ルイスは後ろを振り向こうとしました。その時です。

「待って」

 鳥のさえずりかと聞き間違えるほど、可愛らしい声が聞こえました。ルイスはびっくりして思わず顔を上げかけましたが、茹でたこのような自分の顔が、みるみるうちに頭に浮かび、とても出来ませんでした。

「お願い。わたしがここに住んでいることは、秘密にしてほしいの」うるさいほど自分の胸が鳴っていましたが、ルイスには確かにそう聞こえました。



 名前も知らない女の子の秘密を、どうしてルイスが皆に言いふらすことが出来ましょう。それより何より、はやくここから消えてしまいたいという気持ちの方がルイスの心の中でぐるぐると回っていました。ルイスは素早く何度も頷き、花屋に背を向けて歩きだしました。走ってもいないのに息が切れ、途中で立ち止まろうかとも思いましたが、それとは裏腹にさっさと動くので、ルイスは足が自分の足じゃないように思いました。

 林を抜けやっと自分の家の裏に着きました。次第に速度が落ちゆき、ようやく立ち止ると、鼓動だけがやけに大きく聞こえて、耳の奥で心臓が暴れまわっているかのようです。鳥のさえずりがその音のあいまにほんの少し入ってきます。ルイスは深呼吸を二、三度した後に、恐る恐る振り返って、今戻ってきた道を見つめました。花屋は林に隠れて見えなくなっていました。

 恥ずかしさこそ消えていましたが、あのベランダからの夜空を見た時のような高揚感を、ルイスは今まさに感じていました。そうして早足で家に帰り、お母さまの声にろくに返事もせずにベッドに飛び込みました。それから天井を見つめては、あの女の子を思い浮かべ自分の胸の音を聞いているばかりなのでした。こんな気持ちは初めてでした。ルイスの中であの子は、朝露のしずくのように貴重で、繊細で、輝いているように見えていたのです。ぼくは秘密を守らなければいけない、とルイスは思いました。名前も知らない女の子とのほんの短い出会いでしたが、それはルイスが初めて誰かと共有した、一つの秘密でした。




 次の日にルイスがあの女の子に学校で出会い、驚いたあまりに転んでまたもやチャーリーとジョンにからかわれるのは、また別のお話。




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ルイスくんシリーズ。


bkm
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