同じ日々の繰り返し。特に疑問を抱くことはなかった。だってそれがわたしの日常だったから。それに不満を抱いたことも、満足することもなくて、ただただ決められた予定をこなしていくだけ。ありきたりな日常と言えるかもしれないけど、それでもわたしはしあわせだった。 上司にいらっとしつつもお客さんの笑顔に癒されて、時折同僚と歯目を外して…仕事は充実してる。家に帰れば少々騒がしい家族が迎えてくれる。まあ、プライベートという時間はかなり少ないけども、それでもいつでも誰かとわいわいできる時間がすきだった。 何より、一番の癒しは我が子!なんて言うと語弊があるかもしれない。赤褐色に白色のぶち、零れんばかりの大きな瞳を輝かせて駆け寄ってくるわたしのお姫様。この子が今のわたしにとって一番の癒しだ。元気すぎるのがたまに傷だけど…わたしが凹んだときには傍に居てくれるし、少々荒いけれどべとべとになるほど舐めまわして元気づけてくれる。そんなこの子がだいすきで、間違いなく救われている。 そんなこの子との散歩は一日たりとも欠かしていない…と言えたらいいけど、雨が降っている日やわたしの帰りが遅くなってしまった日はいけないこともある。ずっと傍に居られないのがひどくもどかしいくらいには溺愛しているんだ。 コース自体はお決まりの、30分程度の道のりをゆったり歩く。少々強気な我が家のお姫様は自分の体格よりも大きい同類にも勇敢に向かっていくし、吠えまくる。それはもう、こちらが陳謝してしまうくらいには歯向かっていく。飼い犬は飼い主に似る、っていうけど……一体誰に似たんだか。わたしにはそんな勇敢さはない。 まあ、小型犬が散歩するコースなんて、たかが限られているし、周囲に住んでる人たちはほとんど顔見知りだ。この子がぎゃんぎゃん吠える度に頭を下げて歩くのは、ある意味わたしの日課の一つとなっている。 "あら、今日も元気そうでよかったわ。"、"本当にかわいいわね。" なんて言って微笑んでくれるすてきなマダムたちのようなおおらかさがほしいと何度願ったことか。彼女たちが連れている子は我が子の威嚇などなんのその、澄ました顔でしゃんと立っている……やっぱり飼い主に似るのかも、なんて思って複雑な感情に苛まれた。 そんな繰り返しがわたしの毎日だった、そう、このときまでは。 わんわんわん! 「あ、ちょ!…待って、!」 夏の終わりだからか時折吹く風は冷たくて、少し遠回りをしていつも行かない公園へ足を向けてみようと思うくらいには、過ごしやすい。見慣れない風景やモノが多くあるからか、お姫様も大興奮状態だ。元気で楽しそうな姿を見てしまえば自然と頬が緩んで笑っていた、その時――僅かに気が抜けた瞬間を狙ったかの如く駆けだしていくお姫様。しっかり掴んでいたはずのリードはあっという間に掌を滑り落ち、一瞬にして距離が空いてしまった。 慌てて追いかけるけれど、運動音痴なわたしが彼女に追い付ける訳がなく、あっという間に息切れしてしまう。それでも見失う訳にはいかないから、一生懸命両手両足を動かして、唯一頼りになる彼女の鳴き声の聞こえる方へ足を進めた。 「っ…い、いた!もう、急に走っちゃ…だめ、でしょ…?」 漸く追い付いたときには、ぜえはあぜえはあと荒い呼吸を余儀なくされ、普段の運動不足をありありと痛感されられるほどに疲弊していた。軽く前かがみになって息を整えつつ、お姫様に向かって窘めていたものの、わんわん!と解かっているのかいないのか、どこか黄色い声を含んだ元気な声だけが返ってきた。 「わん、じゃわからないよ……もう、しょうがないなー。」 ここで許してしまうのはやっぱり親ばかなんだと思う。毎回振り回されているだけに少しは飼い主らしく威厳を保とうと毎回思うが、この子のこの顔をみてしまうと勝てたことはないに等しい。 「……あーあ、怒られちゃったっスね?」 「…え?」 吐き出そうとした溜め息を呑みこみ、突如聞こえてきた第三者の声に慌てて顔を上げる。眩しいほどにきらきらとした金糸が茜色に染まり、これまた容姿に負けず劣らず眩しいほどの笑顔を湛えた男の人が、彼女を撫でている。 何故気付かなかったんだ。初めてみるモノや苦手なモノには近づかない。勇敢な反面誰よりも繊細で敏感だった彼女がわたしを振り切ってまで走るのは、彼女にとって興味のある対象や気に入ったモノ、人(主にイケメン)がいるときだけだ。それが彼であることを理解するや否や、わたしの失態を見られたことを実感して恥ずかしさのあまり熱を持つ頬を取りつくろう暇もなく、口をぱくぱくと開閉するしかなかった。 「オレって犬にまでモテちゃうんスかね?なーんて。ダメっスよ?ちゃんと飼い主のオネーサンの言うこと聞かないと。」 なぜだ、何故ここに、あの、黄瀬涼太がいるのか。わたしと同じ年の女の子ならほとんどの人が知っているであろうほどの人気者。昨日も発売された雑誌の表紙になっていたのを見かけたし、それをちゃっかり購入して読破したくらい…わたしの憧れの、人。 まるで有名人の自覚がないのか…暢気に彼女を、その大きな両手で撫でながら話かけている。できることならその場所を変わってほしい、と我がお姫様に言いたいほどにその手つきは優しくて、彼女を見る瞳は柔らかく甘い。 まさか、会えると思っていなかった彼。ぽかんと口を開いたまま突っ立っていたわたしの反応は至極当然だと思う。けれど、そうは思わなかったらしい彼は女の子が羨むくらいに長い睫毛を数回瞬かせて、大きな瞳をわたしへ向けた。 「あれ?…オネーサン?大丈夫っスか?……ああ、もしかしてどこか痛めた?」 そう言って彼女をそっと抱えて、覗き込まれてしまえば…わたしの視界を埋め尽くす金色と甘い香り。心配そうに下げられた眉尻と気遣うようにそっと頬を撫でる大きく骨張った指の感触。既にキャバシティーを越えた状況に意識が遠のいたのは必然だった。 これがモデル、黄瀬涼太とわたしの出逢い。 |