dream | ナノ


わたしが普通の女の子だったらネイルやメイクに一喜一憂したり、指や耳を飾るアクセサリーを心躍らせながら選んでいたりしたかもしれない。わたしが普通の社会人だったら、毎日単調な日々をそれとなくこなして、お茶汲みやコピーなんかの雑用で一日の大半を潰して、数年経った頃になんとなーく結婚して過ごしていただろう。だけど、現実はそうじゃない。

今のわたしがおかれている状況はまさに絶体絶命のピンチ。抱く感情はとにかく、寒い。苦しい。腹部が赤く染まっているのはお昼に食べたオムライスのケチャップを零したからではない。常人ならばきっと一生目にすることはなかったであろう、鈍色の鉛玉によって体内を損傷したからで…わたしを生かすために巡っていた血液が溢れだしてきている。

失敗したわけじゃない。ただ単に、相手が一枚も二枚も上手だっただけ。この世界では強さが物を言う。いろいろな考え方や精神論はあるだろうけど、結局は強い者が勝ち上がっていくシステムに変わりはないんだ。



「かはっ、」



どくどく流れる血液はまるでわたしを急かすかのように激しく溢れだして、スーツを染めていく。黒かったそれも今は吸収した赤を纏って一段と歪な褐色を強調するのに一役買っている気がする。

身体がだるい。指先を動かすことさえ億劫になるほど、重い。一応わたしのすべきことは完了したわけだから、連絡を入れないといけない…のだけど、スーツの内ポケットに納まっている通信機を取り出すことすらしんどい。このだるさは子どもの頃に40.0℃近くの熱を出したときよりも大きい。身体に穴が空いてる割には痛みなんて感じないから不思議だ。ただただ熱くてじんじんとした疼きと、冬将軍も真っ青な寒さに身体が震える。きっと周りから見るとわたしもオブジェとなり果てた一体のうちのひとつ、になっているんだと思う。まあ原形をとどめているという意味では一番きれいな存在だろうけど。



余計なことをへ思考を飛ばしていた罰なのか、不意にぶるっと胃が震えた。正確には胃付近に当たる、内ポケットに納まっていた通信機が着信を知らせている。相手を確認しなくても解かってしまう辺り相当この世界に長く身を置いているなあ、と思うと同時に相手の表情が至極険しくなっていることも想像できて、ますます連絡を取る気が失せた。
いちいち細かいのだ、あの男は。いや、本人を目の前にしてそんな口を利けるような人物ではないけれど…とにかく普段へらへらした頼りなさげな雰囲気を醸し出す男と同一人物かと疑いたくなる。むしろ双子でした、とか…実は二重人格で、とか…言われた方が納得できるくらいには別になるときがあるのだ。






「何してるんだよ!電話にでないと思って来てみれば…!」


「っ…、ぼす…。」


「ああもう、喋るな。でも寝るなよ!」



走馬灯、というにはちょっと違うけれど…散々振り回されてきた日々が脳内を過っていたところに届いた、声。珍しくどこか切羽詰まったような、焦っているような、不思議な音色をしていたように感じる。こんなに身体がだるくて仕方がないというのに、寝るな!なんてずいぶん横暴なことを言う人だ。まあ、わたしにとっては上司――それも、一番上の人。課長や部長なんかじゃなくて、一般的には社長とかCEOとか言われるレベルの人だ。横暴なのは朝飯前だし、理不尽なのも当然なんだろう。この人を相手にわたしの返答なんて「はい」か「YES」しか用意されていないのだから。



浮遊する身体は自分のものじゃないみたいに軽くて、ふわふわしたような感覚だ。ほんのり、じんわりと温もりが伝わるだけだったけれど、そのあたたかさが思いの外心地良くて、こんなにも安心できるものだとは思わなかった。さすがボス。全てを包み込んで抱擁する、とかなんとか言われるくらいだから当然かもしれないが、わたしからするとそれだけで敬意を抱く存在になり得る。

上瞼と下瞼の引力が強くて、危く視界が真っ暗になりそうだったけれど…その度にじんじん疼く腹部から、火が出るんじゃないかと思うほど熱くなって血液が流れ出す。それを見たボスが謝りながら傷口を強く押さえてくる。謝る必要なんてないのに甲斐甲斐しいほど律義に面倒を見てくれたボスのお陰で、なんとか意識を保てたまま見慣れた屋敷へ戻ってきた。それに安心したのか、将又、血を流し過ぎたのか今度こそわたしの世界は黒く染まった。






久しぶりによく眠れたと思ったのはほんの一瞬だった。真っ白な天井と睨めっこしながらここはどこだろう、と思案を巡らせるよりも先に、押し潰されるようなだるさが全身に圧し掛かってくる。眠気はないのに、瞼を持ちあげることがやっとな状態で、寝返りをうつために腰を浮かせようもんなら途端に腹部へ激痛が走る。お陰でここが医務室だということはわかったし、色気もへったくれもない悲鳴をあげることにはならなかったけど、覚醒したことを後悔するくらいにはしんどい。

毎回一仕事終えた後は思いっきり好きなことをして過ごすと決めていたが、どうやらその計画は諦めなくてはいけないようだ。今回こそはずっとお預けをくらっていた某名店の新作ケーキを買い込んで、一人気儘なお茶会を開こうと思っていたけれど、身動き一つとるのに苦労するようでは到底買い物なんていけないだろう。

おかしい…記憶が飛んでしまう前までは痛みなんて微塵も感じなかったのに。むしろ出血していく度に身体の熱を失い、身動きもとれなくなっていくことに焦りを感じた。何より普段はゆるゆるの締まりない表情でサボタージュすることばかり考えているダメダメな上司の神妙とも無とも言える表情が恐かった。止血をするために腹部を押さえる指先は全く震えていなかったし、駄々っ子みたいな我儘を言うこともなくて、ただ只管わたしの意識を繋ぐように手を握ってくれていた。その温もりが小刻みに震えていた気がするのは車の振動だったのか、将又、わたしの寒さが伝染したのか…最早覚えていないけど。



「目が覚めたみてーだな。」



パズルのピースのように散らばっていた記憶の欠片をかき集めていたところに響いた声は、思いの外柔らかくて静かに部屋へ溶け込んだ。気配どころか音も立てずに登場するのは毎回なことだけど、その度に驚いてしまうのは一種の脊髄反射と言っていいと思う。



「……、リボーンさん。」


「前から危なっかしいヤツだとは思っていたが…まさか自殺志願者だったとはな。」



ベッドに吸いついているのかと錯覚するほど、わたしの意志に反し微動だにしない身体。油を点していないブリキの玩具みたいにぎこちなく漆黒のヒットマンへ目を向ける。ボルサリーノの隙間から見える切れ長な瞳はどんな闇よりも深く感じて何とも居た堪れなくなる。最強と言われる存在が放つ言葉は相変わらず辛辣なものの、最近は動揺する回数も減ったから漸く慣れたと思っていたが…今回飛び出した単語は聞き捨てならないものだった。



「どういう意味、ですか…?たしかに今回はわたしの力不足でこんな形になりました……だけど、任務は全うしました。」



結果的にこうやってベッドに臥せっているとはいえ、目標自体は達成している。ボンゴレ管轄内で違法取引が行われているとリークがあった場所を探ってくること、それが今回わたしに与えられた任務。常に最悪を想定して戦闘になってもいいように準備はしていたからこそ、こうやって不格好ながら生きているというのに。



「お前、本当にそう思ってるのか…?本来ならば今回の任務は――、」



本当も何も悪魔よりも恐ろしいヒットマンを前に嘘をつくはずがない。読心術を使えるのだからどうせバレてしまう。そんなことは誰よりも解かっているだろうこの男の口元には、いつもの人を喰ったようなニヒルな笑いは一切なくて、むしろ解せないと言った面持ちで眉間に皺を寄せている。そんな反応をされるとは思ってなかったから、わたしだって戸惑いを眉間に乗せざるを得ない。そもそも本来なら、とはどういう意味だろう?わたしはいつもの如くボスのお願いと言う名の我儘を聞いたに過ぎないのだから。



「目が覚めたって、本当!?…心配したんだからな!名前!」


「煩せーぞ、ダメツナが!」


「わっ、タイムタイム!怪我人の前じゃ危ないって!巻き込んだらどうするんだよ!」



何とも言えない微妙な雰囲気を一蹴するように派手な音を立てて扉を開きながら駆けこんできたのは、案の定というかなんというか…情けないほどに眉尻を下げた我らがボスだった。空気が読めないのか敢えて読まないのかは解からないけど、ボスの登場で室内は一気に騒がしくなった。既に教え子を愛でるモードに入ったせいで最後まで聞けなかった言葉が気になる一方で、その先を知ってはいけないような気がした…戻れなくなってしまいそうで。どこに、なんて解からないし根拠もない。女の、といよりわたしの勘だ。



「ごめんね、名前。オレの判断ミスで怪我させちゃって…ゆっくり休んでくれていいから、しっかり治して。ね?」



先生の愛ある鞭のお陰なのか、将又、ボスの前にも関わらず身体を起こすことすらできないわたしの醜態に心を痛めているのか…どちらであってもボスという立場には相応しくないほどに大きな瞳を潤ませ、今にも泣きそうな顔で覗き込んでくる。甘ったるいような、それでいてどことなく鈍い光を孕んだ瞳は、子どもの頃にお祭りで強請った鼈甲飴に似た虹彩だ。その味はもう忘れてしまったけれど、きっとこんな風に琥珀色をした蜜を含んでいるんだろうなと思わせられる。

よしよし、という効果音が付きそうな手つきでわたしの頭を撫でてくれる大きな掌は、髪を梳いて頬を滑りそっと瞼を擽ってくる。その仕草が堪らなく気恥ずかしくて、それでも安堵感を与えてくれる温もりが心地良くて…今はボスの言葉に甘えてゆっくり瞼を下ろした。急速に遠退いていく意識の中で微かに聞こえたふたつの音は、対象的な明暗を孕んでいたけれど、睡魔に呑まれたわたしにその意味を理解するほどの思考力は残っていなかった。





琥珀のまどろみ





(「どういうつもりだ、ツナ。」)

(「ん?何のこと。」)

(「惚けるな。こうなることは解かっていたはずだ。」)

(「オレたちの生きる世界に絶対なんてないだろ?だから、掌から零さないよう手を打っただけ…まあ、やり方はちょっと強引だったかもしれないけど。」)

(「………。」)






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遅くなりましたが、真希さまに捧げたお話です。
沢田さん(24)と部下の女の子という設定+αとなっています。
解かる人には解かる+αです。でも10年経った沢田さんはこのくらいやってくれると信じています。むしろ願望です。
楽しく書かせて頂きました、ありがとうございます(*´∀`*)

この作品に限り、真希さまのみお持ち帰りOKとなります。



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