dream | ナノ


「お前、最低だな。」



そんなこと言われなくてもわたしが一番解かってる。解かっていても、止められないことってあるでしょ?ほら例えば、あなたがいかがわしい雑誌を見たくなるのと同じで…年齢的にはいけないことだけど、どうしても手に取って見てしまう。その感覚と一緒なのに、どうしてわたしだけが一方的に責められないといけないの?そう口にしたら、目の前の男はどういう反応をするのだろうか。喉元まで出掛かっているのに、結局唇を噛みしめて声を殺すことしかできないわたしは、ひどく愚劣な存在だろう。

この男にここまで言わせてしまう要因はわたしにある。さっきも言ったように、それは自覚している。自覚しているからと言って直すか、と問われると答えはノーだけど。別に反抗期だとか、天の邪鬼だからとか、況してや好きな子だから困らせたいとか…そんな思春期特有の感情ではないし、単純なことでもない。わたしだって負のループから抜け出せるならどんなことだってやりたいし、幾らでも投資したい。けれど、これはそういうのとはちょっと違う。確かに苦しくて根本的な解決には至ってない。それでも…苦しさ以上に味わっていたい"何か"があるし、解決していないもののその一時はたしかに心安らいでいるのだ。それでわたし自身を保てていると言えるほどに…。






「名前さん…また、ですか?」


「だって、……だめ?」


「…だめ、じゃ…ありません。」



男の人にしては長い睫毛を伏せ、普段ならば印象強い澄んだ空色の瞳を隠して答える彼は、儚く今にも壊れてしまいそうな脆さを感じさせる。躊躇いがちに開かれた腕の中へそっと身を寄せると、緩くやんわりと背中に回る大きな掌。全体的に色素が薄い彼は、極々平均的な体躯だと思う。ただ彼の周りにいる男たちが規格外なだけ。一般的に見れば決して小さくはないはずのわたしがすっぽりと収まってしまえるくらいには広い胸板であるし、目線だって首を曲げないと合わないくらいには差がある。

お互い何も言わず、ただ、こうやって身を寄せ合うと、大きく吸い込んだ酸素に混じって石鹸の香りと微かな汗の匂いがわたしを満たしていく。きっと部活が終わってすぐに駆けつけてくれたんだろう。普段はきっちり止められているシャツのボタンは、一番上が役割を果たしていないし、ネクタイだって本来ある位置ではない鞄の端からひょっこり顔を出している。そんな彼らしからぬ様子にどこか安堵して、さっきまでのぐるぐるした不快な感情は少しだけ溶けていった。



「どうして、伝わらないんだろう、ね。」



わたしが落とした呟きに返事は、ない。わたしとしても答えを求めていたわけじゃない。ただ、この持て余してしまうほどに遣る瀬無くてどうにもならない気持ちのやり場がわからなかっただけ。かと言って行き先が決まってしまったら、それはそれで、このぬるま湯に浸かっているような心地良い空間から抜け出さなくてはいけなくなる気がする。そんなのは望んでない。
幾度も自問自答しては結論が出る前に解からないふりをしてしまうわたしは、大多数の人間に理解されないんだと思う。気付くとこうやって彼の元へ逃げてしまう。こんな関係は周囲から見ると大層歪に映っているのだろう。特に彼の周りには一曲も二曲もあるうえに、情に厚くてお節介な人たちが多いから。



「あおみねくんにも、おこられちゃった…。」


「そう、ですか…。」


「そろそろあかしくんにもおこられちゃうかなあ。」



目尻に溜まる水分は意図的ではないけれど、それでも彼の前で隠さなければ!なんて取り繕う気は毛頭ない。だって、ほら、眉間に皺を寄せて逡巡しつつも彼の長くてごつごつした指先が優しく拭ってくれる。瞬きひとつ、ぽたりと一滴。もう一度瞬くと頬を撫でるのは雫じゃなくて、温かくて優しい指先。その微かに震える指先が堪らなく心地良いのを知ってしまったから。
案の定、彼は裏切らない。そんなに丁寧に触れなくていいのに、と口にしたくなるくらい懇篤な手つきで触れてくるから、彼だけはわたしを裏切らない…なんて思ってしまうんだ。こんなところで彼を試してしまうわたしは、人として最低だ。自分でもそう思えるくらいの認識はある。だからと言って彼から離れることも、解放してあげることもできないのだから本当にどうしようもない。



「もし、赤司君に…いえ、赤司君だけじゃなく誰かに何かを言われたときは…また、ボクのところへ来てください。……あの人じゃなくて、ボクの、ところに。」



今にも消えてしまいそうなほどか細く掠れた声で落とされた言葉は、ちゃんとわたしの耳へ届いた。ちらりと視線を上げると視界に映る、一段と深くなった眉間の皺と歪められた口元。見ているこちらが痛くなってしまいそうな表情でいる彼は、ほぼ無意識なんだと思う。そんなに苦しいのならば言わなければいいのに、毎回そう思いつつも彼の透明感ある声色が聴こえなくなってしまうことを想像してしまえば、至極気分が悪くなった。わたしの身体の中を、意思とは関係なしに引っ掻き回されているような、不快感。

わたしがこんな感情を抱くのはお門違いと言われるかもしれないけど、わたしをここまで堕落させた張本人は目の前の彼なのだからその責任を取ってもらうくらい、いいだろう。そもそもあの人にこんな泣きごとは言ったことがない、というより言えたことはない。きっと向こうも聞く気はないだろう。あの人にとっては何の生産性もないことだから。

様々な思惑が詰まった言葉に素知らぬふりをしてわかった、と頷いた途端、緩んでいく眉間の皺と僅かに吊り上がる口角。だけど、澄んだ空色を象徴する瞳は昏く濁った輝きを宿していく。この瞳を見る度、罪悪感が胸を刺すものの言動を改めようとは思わない。わたしはもちろん、きっと彼も、このどうしようもないほどに胡散臭くって馬鹿らしい空間がひどく愛おしいと感じているんだ。



「ありがとう、黒子くん。」


「お礼なんていりません。ボクは……ボクが、したいことをしているだけです。」



送っていきます、そう言いながら彼の節くれ立った掌がわたしの頭を撫でて、空いた片手はわたしの指に絡まる。既に数え切れぬほど交わしたこのやり取りは今回も変わらずに行われる。明日も、明後日も、1か月後も、一年後も…ずっとずうっと続いて行くだろう。それと同じように、わたしの未来はあの人に捧げて過ごしていくことになるんだ。追いかけることも縋ることもできないくせに諦めだけは人一倍悪くて、またこうやって彼に甘やかしてもらって笑顔を浮かべて過ごすのだろう。これは誰が口を出したってどうにもならないこと…きっと全てを統べる、あの赤い人にも割り込めない絶対領域で、抜け出せない罠。




もがけばもがくほど、







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