彼とわたしの関係は希薄と言える。別に付き合っているとか、肉親だとか…況してや彼のために全てを捧げます、と言いだしてしまう部下でもない。ただ、幼少期から知っている…それだけ。一般的には幼馴染という分類だろうけど、物語に出てくるような甘いものでも、全幅の信頼を置けるようなものでもない。 小さい頃はそれなりに仲良くしていたと思う。一番素直だった時期だからか、恥ずかしげもなくすきだと言えたし、手だって握れた。けれど、成長するにつれて思春期とかいう訳の解からないモノに振り回されて、彼との繋がりは蜘蛛の糸よりも細く薄いものになっていった。 小学校を卒業する前くらいから、わたしと行動を共にすることを嫌がり始めて、言葉を交わす回数も減っていった。わたしも彼以外の、女の子の友達と遊ぶようになっていたし。別に、彼を責めたいわけじゃない。ただ、少しだけ寂しかった。いつも傍にあったモノが急になくなってしまうなんて、予想もしてなかったから。 でもその程度なんだ、幼馴染なんて。どこぞのドラマや小説にでてくるような腐れ縁だとか、一番の親友とか…まかり間違っても恋人、なんてものになる要素はミジンコ程度もない。少なくとも彼とわたしの間には存在しなかった。 中学に上がれば彼は良い意味でも悪い意味でも目立つ存在になった。派手な容姿と粗野な言動で何かと話題になる銀髪少年とか、人望が厚く運動神経抜群な野球少年とか…時折校内一、いや並盛一恐れられている風紀委員長とつるんでいる姿を見かけるようになった。 クラスが離れていた、というのもあったけれど…それでも廊下ですれ違うときや家の前でばったり鉢合わせても、挨拶すら交わすことなく目を逸らし合っていた。別に喧嘩をしたわけじゃないし、嫌いになったわけじゃないのに。あの頃のわたしにとっては大切な友人で…一番長い付き合いだったから、それなりに信頼もしていたんだ。 どうしてだろう、なんて悩んだ時期もあったけどマドンナである少女に恋をした、と友人伝いに知ってからは彼のことを考えるのは辞めた。 そうして過ごした中学時代は驚くほどに記憶がない。というと語弊があるかもしれないけど…子どもの頃のような擽ったい想い出が一つもないんだ。それなりに友達はいたし、いろんな遊びを覚えて、メイクとかファッションとか、少し背伸びしたお洒落だって始めたけれど…どれも鮮やかさに欠けていた。 決して楽しくなかったわけじゃない…ただ、記憶に留まることはなかった日々。 そんな日常に転機が訪れたのは、彼との過去もきれいな想い出に変わっていた頃。突然、訳の解からない集団に追っかけまわされるようになった。見た目からして堅気じゃない。というか日本人ですらなさそうで…いったいわたしはどこで人生を間違ったのか。そもそもあんな人たちのお世話になるようなことはしていない、はず。 聞きなれない言葉を投げつけられて、困惑する隙も与えずに物騒な凶器を手に迫ってくる…意味が解からなかった。運良く逃げ切れるときもあったけれど、世の中そんなに甘くはない。 なかなかうまくいかない就職活動に辟易しつつ教授との話し合いを終えた頃には、すっかり暗くなっていた。生憎の曇り空らしく、真っ暗な夜道を歩いていたところで出遭った二人組。ここ最近は遭遇することがなかったから油断していた!そう思ったときは既に遅く、今日に限って高めのヒールだったことをひどく後悔した。 一般人であるわたしが不安定な体勢で逃げ切れるはずもない。距離が縮まるにつれて息が苦しくなって、足が縺れて…踏んだり蹴ったりなところへ追い打ちをかけるかの如く、後頭部に走った衝撃。 痛みよりもぐらぐら揺れる視界と熱を持つ頭部に立っていられなくて…崩れた身体が沈むのに合わせて遠退く意識の中、脳裏をよぎったのはなぜか彼だった。 意識が戻ったときこれは夢でした、はいよかったね!なんて言えることはなくて、ただただ痛む後頭部と体温を奪うかのように、ひんやりとしたコンクリートらしき床の上で身じろぐことしかできなかった。 「目が覚めたみてーだな。ったく、ほんとにこれがボンゴレの脅威になるのか?」 「この情報は確からしいぜ?まあ、お楽しみはこれから、だろう?」 明かりが少ないからか、目の前で繰り広げられる物騒な会話がいやに耳につく。五感のうちのどれかを奪われるとその他の感覚が鋭くなる、って聞いたことがあるけれど…まさかこんなところで実感するとは…。まったくもって嬉しくない。 しかも、なんでこんな時だけ日本語なんだろう。敢えてか?わたしが起きていると解かっててこんな会話をしているんだろうか…そうであればとんでもない嫌がらせだ。先程からこの男たちの言葉の8割は意味が解からない。いや、解かりたくない…けれど、わたしの身に危険が迫ってる、ということだけは事実らしい。 「ビビって声も出せなくなったか?…それだと困るんだが。」 「ほら、こっち向いてちゃんと命乞いしろよ。ボンゴレに最後のお別れをしたいだろう?」 薄暗い室内では男たちの顔は見えないけれど、赤いランプが点灯していることから、ビデオカメラでも持っているようだ…というかボンゴレって何のことだろう?たしかパスタにあった気がする。あまりわたしの好みじゃなかったけれど。第一最後に言い残すこと、なんていきなり言われても困る。 わたしはこんなところで生を終えるのだろうか…短い人生だったなあ。特にやりたいことはなくて、何となく進んできた。お母さんやお父さんは悲しむのかなあ?きっと悲しんでくれるだろう、とても優しい人たちだから。そんな優しい人たちを悲しませてしまうことは至極申し訳ないけれど、だからと言ってこの場で足掻いて生き延びようとするほどの勇気はない。 「だんまりとは、いい度胸だな。オレたちのお情けすら必要ねーってか?」 出来ることなら生きたい。でも、わたしには生に執着するよりもこれから訪れるであろう痛みや苦しみの方が怖くて仕方ない。 そういえば…いつかの幼馴染はいつも転んだり犬に追いかけられたり、生傷が絶えなかったなあ。良く泣いて困らせられたもんだ。それでも、次の日には絆創膏だらけのまま、あそぼー!と誘いに来てくれたっけ…泣き虫だったけど、芯の強い子だったのかもしれない。なんて今更思う。彼ならこんな状況になっても、諦めないのかなあ。 あれ、おかしいなあ…どうしてこんな場面で彼が思い浮かんだんだろう?でも、あの頃の記憶が一番鮮明できれいで、優しいものだったのは間違いない。最後に彼に会いたかった…今は何をしているんだろう。どこにいるのかさえ知らないけれど。 「チッ、もういい。やっちまおうぜ!」 願わくば太陽のようにあったかくて優しい笑顔だけは変わっていませんように…なんてらしくもない台詞を心の中で呟いて、一生実物を目にすることはないと思っていた、鉛玉を吐き出す黒い凶器を前に目を閉じた。 「名前!」 突然響いた爆発音。それに負けないくらい大きくて、芯のある音色で発せられたわたしの名前。 「っ………え?」 ところどころ立ち上がる火花やガラスが割れる音に混じって響く怒号。視界を埋め尽くす煙のせいで、辺りがどうなっているかなんて、わからない。わたしが漏らした間抜けな音は、物騒な破壊音や悲鳴によって消し飛ばされているだろうから、誰かに届くなんてことはないと思ってた。けれど真っ直ぐにこちらに向かってかけてくる足音に気付いて、一点に視線を定めると煙の中から姿を現した人物は、どこかで見たことがあるような…そう、最後にみたいと想っていた彼――幼馴染にひどく似た面影をした青年だった。 あれから訳の解からぬまま幼馴染似の青年に抱きかかえられて、外まで連れ出してもらった。できればこの手首と足首を拘束する紐をほどいてからにしてほしかったけど、恐ろしいほどに真剣な顔をしている青年を前に、声をかけるのは躊躇われた。 建物から出れば騒々しい音も視界を遮る煙もなくて…頭上に広がるのは夜空を彩る星たち。今日は月がないんだなあ、なんて呑気なことを考えられる図太さに気づいた頃には、身体に伝わる揺れが止まっていた。どうやら、車の中らしい…というのも、こんなただっ広い車内は初めてだし、明らかに高級であろう部類のふかふかしたシートに身を置いているからだ。 「…ごめん。」 そう一言だけ漏らした青年は、こちらが申し訳なくなるくらいの丁寧な手つきで、自由を奪っていた紐を解いてくれた。なぜ青年が謝るのか、わたしはさっぱりだったけれど…気にしないでください、と軽々しく言えるような雰囲気ではなくて、赤くなった手首を擦りながら俯くことしかできなかった。 「……巻き込んだことは、悪かったと思う。…でも、間に合って良かった。」 ぽつりと落とされた謝罪がひどく震えていて、この青年がわたしのために心を砕いていることは解かった。それが偽善的な優しさじゃないことも。…だけど、どうして抱きしめられているのだろう。先ほどまで寝転がっていたコンクリートとは比べ物にならないくらいあったかくて、やわらかい。けれど、それ以上に逞しい腕が背中と腰へ回されている。 ちょっと強すぎるんじゃ、と言いたくなるくらいには力が籠められているようで、息を吐き出すのも苦しい。そう伝えたくても、わたし以上に衝撃を受けているらしい青年を前にすると、抗議の声もすっかり引っ込んだ。 「…あ、の……大丈夫、ですから…。」 なんとか絞り出した声は掠れてしまったけど、それでも青年には伝わっているはず…なのに、なぜかわたしを拘束する逞しい腕は、一段と力が籠るばかりで…その理由が解からない。どうすることが一番いいのか、なんて解かる訳もないけど…昔、泣き虫な幼馴染を宥めたときのように、そっと大きな背中を擦ってみる。 当たり前ではあるが、想い出に残る泣き虫な幼馴染より一回りも二回りも大きくて、広い。だけど、愚図って今にも泣きだしそうな姿は、泣き虫な幼馴染とそっくりで…いつの間にか強張っていた身体の力も抜けていった。 「……、名前。」 再び落とされたわたしの名前に、ハッとした。そうだ、どうしてこの青年はわたしの名前を知っているのだろうか。至極当たり前のように紡がれたが、わたしの知り合いにこんな青年はいない。その事実に気づいた瞬間、全身が硬直した。今度は背筋にまで冷たいものが流れ落ちてくる。 ほんの数秒前まではあたたかくて優しい時間が流れていたというのに。青年の背中を撫でていた手も止まってしまった今、じわじわ広がる猜疑心と不安、多大な恐怖がわたしを支配していく。 「…名前?」 「だ、れ?……ど、してわたしの、なまえ…。」 やっと吐き出せた単語を拾ってくれた青年は、巻きつけていた腕を緩めてわたしの顔を覗き込んできた。大きな琥珀色の瞳を一層見開いて瞬きすること3回。童顔なのか、将又まだ大人になりきれていない年齢なのか、幼さの残る顔立ちでわたしを見つめる青年は、眉根を寄せて困惑気味に唇を開閉している。そんな狼狽している姿を見てしまえば、抱いていた警戒心が緩みそうになる。 「あー…えっと、オレのこと、解からない?……綱吉だよ。沢田綱吉。そんな変わったかな、オレ。」 ……今何と言ったんだ、この青年は。わたしの耳が正常であれば、泣き虫な幼馴染である彼と同じ名前を発した。参ったなあ、なんてへにゃりと眉尻を下げて後頭部を掻く姿は、先ほどまで困惑していた青年と同一人物とは思えないくらい緩くて、穏やかだ。その姿が記憶の中の幼馴染と重なって、自分でも驚くほどすんなりと納得できた。全然昔と、泣き虫の頃と変わっていなくて、思わず笑ってしまった。 「なんで笑うんだよ!」 下がっていた眉尻を吊り上げて、ほんのり頬を染めながら抗議する青年はまさに幼馴染が照れたときにする仕草そのもの。どうして気づかなかったんだろう。くるくると変わる表情は昔と全く変わらず、彼の片鱗はそこらかしこにちりばめられていたのに。彼相手に緊張して、警戒して、恐れてしまっていたんだと気づいて、ばかばかしい徒労を吹き飛ばしたい一心で一段と声をあげて笑った。 「全然変わってないから、おかしくて。」 「なっ!…失礼なヤツだな。ったく、さっきまで恐がって、震えてたくせに。」 「だって、訳が解からないことばっかりだったし。混乱しない方がおかしいでしょ?」 さっきまでは口にするのも憚られていた現状が、こんなにもさらりと吐き出せるとは思わなかった。恐怖心や猜疑心が全くなくなったわけじゃない。それでも、この泣き虫な幼馴染との再会は、わたしにとって平常心を取り戻せるくらいの威力はあったみたいだ。呆れ混じりだけど、口元を緩めて穏やかに笑う彼の笑みが堪らなく懐かしくて、胸の奥があったかくなって…目に映るモノたちの色どりが鮮やかさを取り戻した、気がした。 「じゃあ訳が解からないことばっかり、の中にもう一つ加えておいてほしいんだけど…名前を攫いに来た、って言ったら信じてくれる?」 そう言った彼は相変わらず緩くて柔らかな笑みを湛えていたけれど、二対の琥珀が揺るぎない意志を抱いていることを示すように、真っ直ぐ見つめられて思わずあんぐりと口を開けてしまった。女性に有るまじき反応だと言うことは解かっている。解かっているけど、彼が放った言葉にどこから突っ込めばいいのか本気で悩んでいるから仕方がない。 本当はもっと早く迎えにくるはずだったんだけど、なんて緊張感のない様子で付け足してくる幼馴染は、もしかして手遅れなんだろうか?頭のネジが数本足りないに違いない。 そもそもここ数年は全く交流がなかったはずだ。そして迎えに来てね、なんて約束もした覚えがない。いや、厳密に言えば…小さい頃に明日迎えにいく!うん、ずっと待ってる!みたいな会話はしたが、それはあのときかぎりの話であるし、翌日迎えにきてくれたんだから今回のこととは無関係なはず。 困惑を通り越して混乱しているわたしに気づいてくれたのは、非常に助かるけれど…なぜ、また抱きしめられているんだろう?この体勢でいる必要があるのか、と問い詰めたい気持ちも、彼のあったかくて優しさいっぱいの緩んだ顔を見てしまえば、毒気を抜かれてしまった。 結局はわたしも彼と同じように、あの頃よりも一回りも二回りも大きな背中へ腕を回していた。実はその腕に攫われてしまってもいいと思った、なんて一生口にはしてやらないけれど。 一番は、君でした。 (「おい、ツナ。誕生日だからな。特別にオレからひとつだけプレゼントしてやろーか。何がいい?」) (「そんなの昔からひとつしかない。」) |