「お礼がしたい?」 「あ、あのね、わたし誰かから何かをプレゼントされるなんてこと、今までなくって」 「は?」 だってお前、仮にもマフィアのご令嬢だろ?と翠色の瞳を少し見開く彼の右腕さん、基獄寺さんはわたしが来た時から怪訝な顔をしながらも口調とは裏腹にとても丁寧にいろんなことを教えてくれた。もちろん、彼自身のことも、屋敷のことも。 だから、比較的話をする機会は多くて、こちら側の人間の雰囲気を纏うこの人はわたしにとってはきれいな彼よりずっとずっと話しやすかった。感じ慣れた空気に、緊張することも然程なかったのだ。 「何もらったんだよ」 「ネックレス、です」 「つけてねえじゃねーか」 「つ、つけられるわけないじゃないですか!だって、本当に生まれて初めてのプレゼントなんです、失くしたくなくて」 そんな話をすれば獄寺さんの瞳はますます大きく見開かれて複雑そうな顔をされてしまったけれど、少し間を置いて納得したように十代目に何すんだ?と本題に入ってくれた。この人のこういうところは本当にすごいと思う。踏み込みすぎずに、程よい距離で手助けをしてくれるこの才能は本当に右腕さんと呼ばれるにふさわしいのだろうとさえ……ああ、いや…時々行き過ぎているような話を聞いた事もあるけれど。 厨房開けてやったから好きなようにやれ。そう言って煙草をくわえて去って行く背中を見送り、先ほどまで厨房に引き蘢っていた。 お礼がしたかった。この言葉に嘘はない。生まれて初めてのプレゼント。本当に、どうしていいかわからなかったけれど、嬉しかった。日頃彼からもらうお土産も、もちろん。だから、甘い物が好きだと言う彼に少しでもお返しが出来たら……なんて、本当は必要の無いことなのかもしれないけれど。 ノックをして返事を聞く。そっと彼の執務室へ入ればそこにはあの、黒を纏った細身の男性。名をリボーンさんと言うらしい。彼の、教育係と小耳に挟んだ。わたしが自ら彼の部屋を訪れることは当然初めてのことで、随分と驚かせてしまったみたい。鈍い音に勢い余って膝をぶつけたのだろうか、う、と一瞬顰められた顔はすぐに取り繕われあの笑顔。 後悔した。余計な事、しなければよかったと思った。彼との距離がほんの少し縮んだように感じたのはきっと……彼があの時罪悪感を抱いていたからで、彼の根本は変わらなかった。どうしてだろう、つい先日までは彼のその張り付けられた笑顔の方が安心していたというのに。くるくると変わる彼の表情に戸惑いを覚えていたというのに。 今は、機械的なその笑顔に酷く傷ついている自分がいる。 お礼がしたかった。その旨と共に差し出した…というよりは押し付けた箱。程なくして開けていい?と彼の声。彼の手で開かれた箱、顔を出したチーズケーキをそのまま口に運んだ彼にわたしの頭の中はぐるぐるするし割ともういっぱいいっぱいだ。 自分で作って食べることはあっても、それを誰かに食べてもらうなんてこと……今まで、無かったこと。獄寺さんには味見をしてもらったけれど、いいんじゃねえの、なんてちっとも参考にならない答えを頂いてしまったわたしは不安で仕方が無い。 何よりも、自分が何故こんなことをしているのか……それさえも自分の事だというのによく理解出来ていなかったのだ。 おいしかった、そう言って微笑んだ彼の表情は先ほどまでの機械的なものではなく、先日見たとても穏やかで柔らかい笑顔。ああ、良かった。迷惑ではなかったらしい、そう安堵した瞬間わたしの頭に触れる彼のてのひら。 びっくりして、本当にびっくりして、誰かに頭を撫でられるなんてことなかったからどうしていいかやっぱりわたしはわからずにその後また作ってねと言う彼に対して、俯いたまま曖昧に頷くことでしか返事が出来なかった。 頭を撫でられることが不快じゃなかった。緊張はしたけれどむしろどこかほっとしてしまった自分がいた。それ以来今度は明確に彼との距離に変化が訪れ、一緒に過ごす時間も自然と増えていく。 「珈琲淹れますか?」 「ああ、オレはブラックでいいぞ」 「オレは…って、何でお前がいるんだよ!」 その中で知ったのは、わたしが思っていた以上に彼がリボーンさんに頭があがらないということ。ファミリーのボスなのに、どこか周りからとても大事にされ、リボーンさんには遊ばれているように見えてしかたがない。 彼の部屋で、書類と向き合いながら話をする彼に耳を傾ける。そんな時間がとても増えた。時々お仕事を分けてもらえることもあったけれど、ほとんど彼の視線は手元の書類とソファに居るわたしを行ったり来たり。邪魔じゃないのかと不安にもなるけれど、彼はいつだってわたしの部屋まで声をかけにくる。 そして3回に1回くらいはリボーンさんが同席しているのだ。 ふらりと現れて、様子を見て、彼をからかっては去って行く。初めて彼がたじたじになっているところを見た時、わたしは思わず小さく笑ってしまった。ここに来て初めて笑った理由が彼がからかわれているからだなんて、なんだかとっても怒られそうだけれど。 少し驚いたような顔をした彼と、悪戯が成功したかのような顔をするリボーンさん。そして、時々様子を伺いにきてはリボーンさんに追い払われてる獄寺さん。 そんなひとたちに囲まれて、いつからかわたしは彼に対して構えることも少なくなっていた。 もう何年も前。まだ、わたしの周りに何人か友だちと呼べる人間が居た頃の感覚にとても似ている。気を張ることもなく、その場の空気にふわりふわりと流されながら言葉を交わし、笑い合う。あの時みたいに思い切り笑うなんてことはなかったけれど、それでも、わたしにとってはきらきらと輝いて眩しい時間。 忘れかけていた。否、忘れようとしていたのかもしれない。少しずつ心地よくなるわたしの居場所。ちゃんと確保されている居場所に、身を置きたかった。現実を見つめたくはなかった。彼と過ごす時間だけは、わたしがわたしとして認められているような気がしたから。 けれど、そんな甘い考えを頭がぐるぐるとまわりはじめた頃。見計らったかのようにかかってきた一本の電話に、わたしは一気に現実へ引き戻され、思い出すのだ。 「近々様子を見に行くことになった。上手くやってるんだろうな?くれぐれも、この話を破綻させないように」 お前はファミリーのためにボンゴレと上手くやればいいんだ。 電話越しに久しぶりに聞いた父親の声。そう、わたしがここにいる理由は、彼と穏やかな時間を過ごすためではない。あくまでも一定の距離を保ち、情に流されることなく、ただただ自分のファミリーのために彼と穏やかな日々を偽り作りあげていくこと。 父親がボンゴレ邸を訪れたその日。きっと……また、あの機械的に営まれる生活に戻るのだ。 |