dream | ナノ


おかしいと思われるかもしれない。
慣れている、というのは言い過ぎかもしれないけど…こんな世界に身を置いているんだ。危険と隣り合わせな生活であることは重々承知しているし、それに対応すべく策だって取ってある。それなのに、これほど煩く鳴る心臓は久しぶりで、ひどく落ち着かない。


(もっと早く、動け!オレ)


どくどく、体中の血液が沸騰したように熱く、暴れ回る。昔より増えたはずの体力も意味をなさないほどに、息切れしている。荒く息を吐き出しながら数秒前まで傍に居た存在を思い返す。
屋敷に来てからというもの、彼女はわがままどころか自己主張の一切をしなかった。まるで聞きわけのいい人形みたいに、こちらの言う事に首を振って了承するだけ。そうすることが当たり前と言わんばかりに緩く口元に孤を描かせて微笑む姿は、出逢ったときから一度も崩れていない。オレと対峙するときは一層強硬に貼り付けられているような気がした。



それゆえに扱いに困った、なんて言ったらまたあのオレ様な家庭教師から蹴りが飛んでくるから口にはしなかったものの、どう接していいか解からなかったのは事実だ。
でも、戸惑いを覚えていたのはどうやらオレだけだったらしく…屋敷のみんなは比較的うまく彼女と接していた。あの獄寺くんでさえ…初めはオレを気にして彼女との接触を出来る限り断っていたように見えたけれど、何時の間にか、彼女に対しての気遣いが見られるようになっていた。



彼女の身の周りを世話するメイドや比較的よく話をしている部下との間では、浮かべられた笑みが少しだけ崩れている。その姿を観たのは本当に偶然で…何よりそのとき受けた衝撃は、鮮明に覚えている。必死に保とうとしてるけど、僅かに歪められた瞳に浮かぶ戸惑いの色は、オレの中に強く印象づいている。きっと彼女自身気付いていない、無意識な変化だと思う。
正直、腹が立った。オレに対しては余所余所しくて気味が悪いほどに従順な態度でいるくせに、一線を越えてくることはない。まあ、オレ自身も彼女に隙を見せる気はなかったから、お相子と言えばそうなのかもしれないが…それでも、お互い納得のいかない婚姻関係だとしても、一番近くに在るべきオレに対して頑なな態度が癇に障った。



だから、と言ったら言い訳になるかもしれないけど…オレは誰よりも遠い位置から見守ることに徹していた。肩身が狭い思いをせずにこの屋敷で過ごせて、みんなとも馴染んでいけるのであれば良いに越したことはない…そう言い聞かせつつもどこかもどかしくて、何とも言えない不快感を抱く原因になっているなんて、気付いていなかったけど。



「いつまで放っておくんだ、このダメツナが!…デートに誘うなり食事に誘うなりして、ちったぁー交流を深めやがれ。」


「ってええ!…わかったよ!蹴るな…誘えばいいんだろ、誘えば!…ったく、すぐ暴力奮うくせなんとかしろよ。一応おまえのボスでもあるんだからな、オレ!」


「…誰に向かってものを言ってやがんだ。ボスだろうがなんだろうが、オレの生徒に変わりはないだろ。…何より、こんなダメダメなヤツをボスと認められるか。」



あのときの痛みがぶり返したような錯覚へ陥り、思わず脚を止めて腰を擦りながら息を整える。その合間に零れ落ちたのは今日一番の深い溜め息だった。ボンゴレの…いや、オレの都合で振り回している自覚はあるけど、申し訳なさを感じても書類は一向に減るはずもなく、黙々とその嵩を増すだけで…。



リボーンに拍車をかけられたこともあって、なけなしの勇気を振り絞って誘った外出。僅かに眉間を歪めていつか遠目から見た、戸惑いを瞳に宿しつつ肯定と取れる頷き一つだけ返してくれた彼女の本心は、オレには解からなかった。
たったそれだけの反応と思うかもしれないけど、それでも初めて人らしい感情を含んだ瞳をオレに見せてくれた瞬間だったことは間違いないし、柄にもなく安堵を覚えたのは記憶に新しい。決して満面の笑みでも綻ぶような笑みでも無かったけど、オレは妙な充足感と達成感に満たされていたんだ。



「っ……ここにも、いない…。」



最後に彼女を見た場所まで引き返してみる、が…休日に加えて新しく出来た建物とあって久しく見ていなかった人の波に揉まれるばかりで、探している姿を見つけらない。
効き過ぎるくらいの空調によって冷やされているはずの館内も、今のオレのこめかみを伝う汗を止められるほどではないらしい。流れるそれらを袖で拭って辺りを見回し、一部の人間からは羨まれる直感を働かせてみても、引っ掛からなかった。



超直感、なんて聞こえはいいかもしれないけど、全く役に立ちやしない。いや、全く役立ってないわけじゃない、けど…いつも欲したときには機能しないそれに感謝を抱く気持ちが持てないのは当然だろう。


不意に脳裏を過る"政略結婚"の文字。


(もしかすると今回のことが嫌で姿を眩ませたんじゃ…。)


オレたちの、少なくともオレの前では常に微笑んで肯定するだけだったが…彼女の瞳はいつだって雄弁に語っていたんだ。"こんなことは望んでいない"と。この状況を利用して姿を消してしまえば、この話はなかったことになるはず…もしそうならば、オレにとっても好都合、なはず、だ…。オレだって"こんなことは望んでいない"んだから。
なのに、この言い表し難い焦燥感はなんだろう……全身に冷や水を浴びせられたような、血液を送り出すポンプにぐさりと鋭いナイフを突き立てられたような息苦しさがオレを襲う。昔から熟考することは苦手だけど、何とか必死に頭を働かせればある考えに至った。一瞬にしてサッと血の気が引くような感覚に襲われ、指先や爪先が冷えていく。



「まさか…!」



未だ公にはされていないものの、彼女はボンゴレの正妻候補であることは懇意にしているファミリーならば周知の事実といえるだろう。


(もしかして、彼女はどこかのファミリーに攫われ…――!)


そこまで考えたところで、老若男女が行き交う人混みの中で、ぽつりと佇む小柄な背中が視界を掠めた。まるでそこだけ時が止まったかのように儚く霞んで、モノクロに塗り潰されるように、今にも消えてしまうんじゃないかという気がして、夢中で駆けだしていた。



「っ…よ、よかった!……無事、っ――!」



何の考えもなしに、ただただその小さな存在を確かめたくて、少しでも力を籠めたら折れてしまうんじゃないかと思わせられるほど華奢で、柔らかな、彼女の掌を握った。目線を合わせるように覗き込めば、その瞳に宿された色に思わず息を呑む。


(どうして彼女から目を離したんだ、オレは!)


これほど色も光もない瞳は知らない。オレは見たことがない。全てを諦め、納得し、受け入れている…そんな風に感じさせる彼女の瞳は何も映さぬがらんどうだ。一瞬でも彼女を疑い、楽観視したオレを罵倒してやりたいくらいに腹が立った。
そうだ、彼女は初めからこうだっただろう!…何もかも受け入れ自分の身を砕いていく。オレ自身が一番彼女の気持ちを解かって上げられる立場にいたはず、なのに…。



「っ…ごめん、オレ……本当に、ごめん。」



良い年した男が情けねぇ!、ってアイツに蹴っ飛ばされるだろうけど、今はその蹴りを甘んじて受け入れようと思うほどにオレの眉間には皺が寄っているだろうし、気を抜いてしまえば歪んだ視界から汗とは別の液体が流れ落ちそうなくらいには悔いている。気の利いた言葉一つかけられずに、謝るオレを彼女はどんな瞳で見ているんだろう?
せめて、彼女には情けない顔をみられないように…なんて最もらしい理由付けをして、いつだって口以上に達弁に物語る彼女の瞳から逃れるべく、俯いたまま握る手へ力を籠めた。


二度とはぐれないように。
彼女をひとりにして、しまわないように。




「……あ、ああ、そうだ!」


伝わる掌の温もりが優しくてあたたかくてまた凹みそうになったけど、そこは意地でも踏ん張ってわざと大きな声をあげれば、予想以上の大音量だったせいか繋がる指が大きく跳ねた。


(また失敗した…!)


踏んだり蹴ったりな状況に漏れそうになる嘆息をぐっと呑みこんで目の前の彼女へ意識を向ける。空いている手をポケットへ突っ込みながら先程押し込んだはずのモノを探ると、指先にちゃりっと触れる金属の感触を手繰り目当てのモノを取り出す。



あの場ですぐに渡そうと思っていたから包装なんてしてもらわなかったけど、やっぱり贈り物なんだから包んでもらうべきだったかもしれない…何より受け取ってもらえるかも解からないのに。
今日一日、彼女と過ごした中で見た、興味を示していたモノ――アクセサリーだ。淡いオレンジ色の石がトップに埋まっているシンプルなネックレス――ずらりと並べられたものの中の一つ、だけに果たしてこれだという確信はないけど…そこはあれだ、うん、オレの超直感とやらに任せてみたので間違いはない…と、思いたい。



「これ……君に似合うと思って。あ、要らなかったら捨ててくれていいから!…オレ、こういうのよく解からないし、センスもないから……君の好みに合うかも解からなくて。…今日付き合ってくれたお礼、と思ったんだけど、お詫び、になっちゃうかな。」



彼女の反応が怖くて、繋がっていた手をそっと離せば早々に彼女の背後へと回る。もちろん、見失わないように彼女から視線を外す、なんてことはしない。
クラスプを外すのにちょっとだけ時間がかかったけど、背を向けている彼女には解からない、はず……ここからだとお互いの顔は見えないだろうから。髪にチェーンが引っ掛からないよう注意を払いながらそっと首元へ回してつける。



「うん、やっぱり似合う。……今度こそ、ケーキ買って帰ろうか。」



トップで輝くオレンジの石がまるでオレみたいだ、なんて柄にもないことを思ってしまい、ひとり勝手に照れくささを感じて最後まで彼女の顔は見れなかったけど、視界の端で僅かに頷く彼女の姿を認めて漸く安堵の息が漏れた。
緊張の連続だったせいか、思いの他大きく飛び出たそれを誤魔化したくて、咄嗟に目に入った彼女の手を取り歩きだす。少々強引だったかもしれない。だけど、繋がる小さな温もりが拒絶の意志を表す様子はないと判断して、少しだけ、握る手に力を籠めた。


(またはぐれるのだけは勘弁してほしい。できれば、あんな想いは二度としたくない…それに…こうしていた方が、なぜか安心、するんだ。)


なんて口にすることはできなかったけど…重なる手から伝わる温もりに僅かばかし力が籠められたことに気付いて、少しだけ泣きそうになったのはオレだけの秘密。


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