dream | ナノ


「10代目、お時間です。」



耳に馴染んだ右腕の声に返答するよう軽く頷いて立ち上がる。黒皮の椅子がぎしりと軋む音が普段ならさほど気にならないのに、ひどく胸奥がざわついた。まるでオレのようだ、なんて感傷に浸ってみても、流れる時を止められるはずもなく暗鬱とした気分とは対照的に身体は目的地へと足を進めている。



相も変わらず、オレに多大な影響を及ぼすのは今も昔も家庭教師である漆黒を纏ったヒットマンだけだ。アイツの言葉一つでこうも漫ろな気持ちに振り回されているのは初めてじゃない。むしろ普段通りだと割り切ればいい。それなのに…そうできないのはやはりオレ自身、今回の件に納得がいっていないからだろう。



「ボンゴレ]世の確固たる地位を築くため、マフィア界からの信頼をより強硬なものにするため、おまえには婚姻関係を結んでもらうことになった。」



世の中どうにもならないことなんて数え切れないほど存在する。…たとえば、聳え立つほどに積み上げられた書類の山から解放されたいだとか、守護者同士がもうちょっと仲良くしてほしいだとか、中学時代に戻って死んでもマフィアのボスになるなと説得したい…あ、いや、これは出来ないこともない、のか…?幼い家庭教師の邪魔さえ入らなければ…って、そもそもアイツを出し抜くことが無謀だよな…なんて一人で押し問答することで現実逃避をしてみても、叶わないことが前提の願望はどれも戯言、の一言で片付けてしまえる無謀なもの。



…オレはこのときほど自分の血筋を恨んだことはない。一般的に見て極標準的な家庭に生まれ、優しい両親に充分すぎるほどの愛情を注いでもらったと我ながら思うし、中学からはちょっと道が外れたけれど気の合う友人と出逢えたし、守りたいと思える人も出来た。
決して人から賞賛されるような人生ではないかもしれないけど、オレはオレなりに幸せだったし満足していたんだ。それなのに…相も変わらず唯我独尊でオレ様な家庭教師が放った言葉は死刑宣告にも似た重い響きを伴っていた。


"見ず知らずの女の人と婚姻関係を結ぶ"、"政略結婚"


いまどき三流ドラマでも出て来ないような設定が、現実に、しかもオレに起こるなんて……。どんな顔をして、会えばいいんだろう。この先……オレは、オレで居られるのだろうか。



見慣れたはずの扉の前で躊躇してしまうオレへ気遣わしげに視線を向けてくる右腕の表情が、歪んでいる。もしかすると当人のオレ以上に心を砕いているのかもしれない…彼は行き過ぎることが多いけれど、全てオレを想っての言動であることはこの10年で痛いほど実感している。うぬぼれでもない、事実だからこそ至極申し訳なくなるし、いつも傍に居てくれる彼をそんな表情にしてしまっているオレ自身に憤りを覚える…何より、情けない。
だけどごめん。今だけはどうも気遣ってあげられそうにない。…オレだって、こんな理不尽なことは願い下げだ。できるなら、今すぐにでも逃げだしたいほどに…。



オレの思考なんて全てお見通しなのか、将又長年の付き合いというべきか、いつまで経っても煮え切らない状態でいるオレへ追い打ちをかけるように、意志とは関係無く自動的に開いた扉。その先では背筋を震わせるような笑みを湛えた漆黒の悪魔の姿。アイツを視界へ収めるや否や、今まで脳内を廻っていた逃走プランは全て粉砕されたも同然だ。
もう何一つ、オレには切り札が残されていないと悟った瞬間であり、諦念に身を投げた瞬間でもある。



「お待たせしました。今日はご足労下さりありがとうございます。……ボンゴレ]世こと沢田綱吉です。」



こんなところで発揮する羽目になるとは微塵も想像していなかったものの、恰もテンプレのようにぴったりと貼り付く笑みに煩わしさを感じるどころか、安堵にも似た錯覚へ陥るほどに当たり前の所作となっている。ここ数年で黒く淀んだ世界にすっかり染まっていることを如実に表しているようだ。今更逃げだしたところで、オレの行く末などどこにもない。
ダメツナと罵られ蔑まれた日々が懐かしくもあるが、確実にあの頃より失ったものが多いオレに、平穏などやってくるはずがない。今にも笑いだしたくなるほどの滑稽な姿に、気付かない振りをしながら来訪者へと歩み寄りお決まりの挨拶を口にしてみせる。



相手がどういった想いでここにいるかは解からないし、推し量るほどの余裕は今のオレにはない。どうであれ、オレとしては…せめて、抱え込んでいるモノタチだけは零さぬように、壊さぬように、守れる未来がくることだけを祈って、未来の伴侶となるであろう相手へ手を差し出した。
この手の行く先は、何色に染まるのだろうか。



出逢いから数日―。驚くほど早急に話が進んでいった。顔合わせとは名ばかりの強制的な婚姻に辟易していたのはオレだけではなかったようだ。あのときは余裕がなく、気遣うこともできなかったが…彼女も、どうやらオレと同じ立場らしい。らしいというのは、未だきちんと言葉を交わしていないからだ。
当人同士よりも周りが盛り上がるというのはよく耳にした事があるが…まさにこの状況はその一言に尽きる。会話も儘ならない当人同士を同室に押し込むことに何の意味があるのか…。



彼女は不思議な人だ。今まで知り合った女性たちとは違う。…何より瞳が違う。言動は然程変わらない部分もあるが、彼女を如実に表しているのはその瞳だ。目は口ほどにモノを言うとはよく言ったものだ。多少人より優れた直感力のお陰かもしれないが、そんなものを使う以前に彼女の瞳を見れば自然と伝わってくる。



それだけにオレはどうしていいのか、決めあぐねている。決してこの婚姻に乗り気じゃないことはひしひし伝わってくるものの、オレを拒絶することや嫌悪することはない。それどころか、この状況を甘んじて受け入れようとしているくらいだ。
最初は彼女の考えが全く理解できなくて…いや、理解しようともしなかったけれど、最近はひどくあの瞳が気になって仕方がない。



「ねえ…、あの……何か不自由はしてない?ほしいものとか、必要なものとか、あったら遠慮せずに言ってくれていいんだよ。」



オレの言葉に対しても小さく頭を振って微笑むだけで、それ以上の言葉も関わりも持とうとしない。
正直、異性とこれほど近しい距離で一緒に過ごすことなんて、初めてだから…扱いが解からない。ビアンキや母さんは…うん、申し訳ないけど除外するとして…。ハルは明るくて時々暴走することもあったけど、それでもオレなんかに一生懸命話かけて好意を伝えてくれた。京子ちゃんはハルほど元気さはなかったけど、オレなんかには勿体ないほどかわいくて、気遣い屋で…いつも見守ってくれていた。クロームは、大人しくて口数も少ないけど、誰より意志が強くて仲間想いで、オレのことも認めてくれていた。
その3人の誰にも当てはまらないタイプだと思う、彼女は。



何より笑ったところを一度も見たことがない。厳密に言えば、心から屈託なく笑ったところは目にした事がない。なぜか放って置けなかった。
こんな状況望んだわけじゃない、し…受け入れたわけでもない。でも、いつも虚ろな瞳を細めて微笑む彼女は見て居られなかった。まるで作られた人形のように僅かに口角を吊り上げて笑みを浮かべているだけ…。
抑えきれぬほどに声を上げて笑った彼女は、どうするとみられるのだろうか。何時の間にか、オレは彼女の笑顔が見たくて必死になっていた。そう、オレ自身気付かないほどに。



「……今度の休日は、街へ行ってみない?いい気分転換になると思うんだ、きっと。」


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