※相互記念、月末さまへの捧げ物です



 ある日突然、朝食にデザートとして添えられた林檎を齧りながら、雪名が首を傾げて聞いてきた。女が見ればうっとりとため息をついて魅入ってしまそうな穏やかな笑みで、今日の夕飯はどうしますか? と言わんばかりに軽やかな口調で告げた内容は、残念なことに全く軽やかではなかった。
「ねぇ木佐さん。もうそろそろお互いの生活の基準も出来てきましたし、当番も決まってきたんで、お泊まり会から同棲に昇格してもいいですか?」
「…………え?」
 我ながら間抜けな返答だったと思う。
 目覚めの呆けた意識は未だ浮上せず、身体の四肢も動かすのが億劫なほどだるい。このだるさは徹夜明けの厳しさだけではなく、先ほどの発言者にも責任の一端があるのだが、九歳と言う肉体年齢の差は顕著に表れるもので、奴は普段と変わらず爽やかな笑みを浮かべたままである。
 一人疼痛と戦い腰を労わりながら朝食の席に就けば、件の質問が飛んできた。
 ある意味いい目覚めの一撃になった。
(……一緒に、くらす……くらす、暮らす?)
 ああほんと無意識って怖い。普通になってしまえば疑問もいだか無いなんて。
 重大なことに気がついた。
 忠犬ハチ公の素質がある王子様は、黙り込んで考え込んでしまった自分が答えを導くのをゆっくりと待っている。
「雪名」
「はい」
 驚きから瞬いている俺の瞳をじっと見つめた雪名は、照れたように笑みを浮かべ、しっかりと返事をした。普段からぽんぽん愛の言葉を囁いてくる王子様も、同棲へのお誘いは流石に気恥ずかしいものがあったようで、よくよく見れば頬も薄く刷いたように紅潮している。その姿も年相応で可愛いかつ一歩成長した男臭さもあってかっこよくて見惚れるのだけれど、今の問題はそこじゃない。
 雪名が自分を見つめるたび、自分が宝物か何かになったのではないかと錯覚する。愛おしくて見逃せないのだとばかりに一心に見つめてくれることを知っているから、出来るなら彼から目は逸らしたくない。だが今回ばかりは勘弁願いたい。
 居た堪れなさからそっとテーブルに視線を落とす。そこには雪名が作った、ここは帝都ホテルかと突っ込みを入れたくなる典型的な朝食が並べられていた。
 ふわふわのオムレツ、焼いたベーコンに、この前ネットでレシピ見つけたというフレンチトースト、サラダ類、果肉感たっぷりのオレンジと林檎がデザートとして添えられている。差し出された飲み物は紅茶だが、俺が違うのがいいと言えばすぐさま冷蔵庫から牛乳や野菜ジュースやコーヒーや麦茶が出てくるのだろう。
 食材の出資者は俺だが、調理者は雪名だ。
 ちなみに言えば、この朝食の縁の下となっている食器類は、一週間前に雪名と揃いで買ってきた色違いのものだったりする。
 元々一人暮らしだった上に自炊もしないたちだったので、調理道具や食器が極端に少なかった。足りないものは雪名がその都度持ってきてくれた道具で代用品にしていたのだが、いい加減それも申し訳なくなってきて、それならいっそ馬鹿らしいまでに揃いで一式買ってくるかと開き直ったのだ。
 新婚じゃあるまいし、バカップルじゃあるまいし、と心の中で言い訳を並べ立てつつ店屋を何件か梯子し、お互いに納得したものを購入してきた。
 そう言えばマナーの世界では、結婚出産引っ越しなどの祝い事に物を贈るのは厳禁だそうだ。特に家電や、家具、個人的なインテリアに関わる物は絶対に送るべきではないらしい。
 その人の主義主張が込められた部屋に、いいものだからと押しつけがましく物を贈るのは、確かに考えものだ。白と黒でシックに決めた部屋にいきなり純和風の物が混ざっていてもそぐわないだろうし、逆もしかり、部屋のレイアウトはその部屋で暮らし始めた者だけの特権だ。でもそれじゃあ何が相応しいかとなるとギフト券か商品券の二択しかなくなるので、それはそれで味気ないなぁと微妙な気分になること受け合いである。
 どうこうと他人に指示を出されるのではなく、その部屋で暮らす者たちが一つ一つ決めていくその作業は、こそばゆくもあり、心地よい。ひとつずつ購入を決めていくたびに、今後ともよろしくお願いします、と言いあっている気がする。
 ――――なので、すっかり頭から抜け落ちていた。
 先週、珍しく早起きしてまだ眠りこける雪名を叩き起して揃いの食器買いに行くぞー! と宣言したとき、たぶんこいつの半径三メートルは照らされたなと馬鹿なことを考えてしまうほど晴れやかな笑顔を浮かべて頷いたので、その可能性を忘れ去ってしまっていた。
 ……だって、先週、改めてよろしくお願いしますとか頭下げられたし。いや、言い訳にしかならないけど。
 すでに俺の家のレイアウトは雪名の趣味も反映され始め、何も指示せずとも、物置と化していた部屋を雪名が自由に使用している。大学で必要な画材道具やスケッチブックの山はそこに押し込まれ、たぶん私物も持ち込まれている。
(――――勘違いなら、いいんだけど……)
「もしかして、お前、まだアパート引き払ってない?」
 王子様は首を傾げた後、よく通る声で「はい」と肯定した。
(ああ、俺の馬鹿……!)
 思わずうめき声を上げて顔を覆ってしまった。自分は馬鹿じゃない、大馬鹿だ。
 そうだ、雪名は確かにお泊まり会からすれ違いをなくしていこうと提案した。その際に「流石に同棲はアレなんで」と発言していたではないか――――の割に、ずるずると同棲らしきものにすぐさま突入させていたが。どこがお泊まりだと突っ込んだが。
「あああああ、そっか、そうだよな。ああくそ、ごめん、雪名、お前家あった、んだよな……」
「ほとんど帰ってませんけど、とりあえずまだあります。契約更新どうするか聞かれて、今保留にしてるんですけど」
 わあ、なんて岐路。
「だよなー……ああくそ、家賃無駄にさせた、つか、雪名、――ごめん。あの、怒んないでくれ」
「はい、なんですか」
「…………俺、もうすっかり、同棲してたつもりだった」
 ………………。あの、雪名さん、沈黙は恥ずかしいからやめてください。さらに言うなら、とてもうれしそうな表情で俺を見るのを止めてください。三十男の勘違いをそんな目で見ないでください。
 同棲していると思い込んでいたから、食器も買ってくることにしたのに。学生と言う身分から金銭については口に出さなかったのに。
(そりゃまだ同棲せずにお泊まり会の延長なんだから、家賃のこととか話題には上がんないだろうよ……!)
 光熱費と水道代は自分も使っているから払うと主張されたことはあったが、知らん学生は社会人にたかれと跳ねのけた。
(そんときに確認しときゃよかった……!)
「じゃあ俺、今日学校帰りに不動産屋寄ってきますね。生活に必要なものはもう大抵移動してありますし、そんな荷物多くないんで他の細々としたのは、引っ越し作業は業者じゃなくて友人に頼むことにします。家電はどうしましょうか?」
「え、ええ、……ああ、うん、雪名に飯作ってもらってるし、雪名の使いやすい方でいいよ」
「分かりました。被った家電とか家具とかは、他の一人暮らししてる奴らに譲ります。欲しいって言ってた奴もいるんで、その他は仕方ないですけどリサイクルショップ行きですかね。ベッドは木佐さんのでいいし、あとは、確認。――木佐さん、俺、このままここで、木佐さんと一緒に暮らしていいんですよね?」
「……うん、はい、ていうか」
 ぽんぽんと物事が決まっていく。ここ数年の間で一番大きく確実に俺の中の人生の歯車が動いたはずだ。その流れに呆然としながら乗っている。流れ着くところまで行ってみようと、優しく誰かが耳元で囁いている。それが、運命の女神の声なのだろうか。
「俺と、暮らして、ください」
 ……ああ、もう引きもどせない。
「ありがとうございます」
 雪名の愛おしげに細められた両目が、本当に、本当にしんどくて、真っ赤な顔のまま俯いてしまった。
 ああもう目覚めて十分のこの羞恥プレイやめて欲しい。馬鹿みたいじゃないか、ああだから馬鹿だからこんな事になってるんだろうけど、痛いぐらい今自覚してるけど!
 と、そこであることに気付き、はっとなって顔を上げる。今流されかけて大事なことを忘れていた。
「だったら一回お前の両親に挨拶行った方がいいんじゃないか?」
「……? 何でですか?」
「なんでって、そりゃ、普通挨拶するだろ。一人暮らししてた息子がいきなりルームシェアしますってなったら、ご両親だって驚くだろうし。仕送りとかの関係もあるだろうし……」
 その前に面識もない相手と同棲を許すだろうか。いくら成人しているとはいえ雪名はまだ学生で、自分は社会人だ。大人には大人としてのルールがある。ここだけはなぁなぁで済ませてはいけない。
「ああ、でも、仕送りはしてもらってますけど、俺もバイト代出してますし、家賃に関してはあまり気にしないでいいですよ。うちの親、住んでる場所はあんま気にする方じゃないんで」
 いやそこは気にするだろう。北海道から上京した息子が外見年齢不詳な男といきなり暮らし始めたら訝しむのが一般的な反応だろうよ。
 ありがたいことにこの不況下で正社員なので雪名のご両親の一次面接は突破できるだろうが、第二面接で待ち受けるその他の素行と関係性が不純すぎる。
(漫画編集と、本屋の店員。駄目だ、営業とかなら分かるけど、どこで接点うまれんだよ、その関係)
 うっかり生まれてしまったから一緒に暮らしている。本当に人生はどう転がるか分からない。一寸先は闇過ぎる。
「とりあえず、電話でもいいから連絡しとけ。んで、俺も挨拶するから。あーくそ、本当なら会いに行くのが礼儀なんだけどな、流石に今週は予定空けらんないから無理だし、いや、来週なら……なんとか詰めれば。ああでも日帰り強行になるか?」
 そしてそのまま出勤で身体が持つのか、俺。
 別問題に直面し唸り声を上げている俺をまじまじと見つめ、王子様は山盛りのオレンジに手を伸ばした。
「木佐さんがうちに来て家族と会ってくれるのは個人的にすっごく嬉しいことなんですけど、」
 うち趣味似てるんで木佐さんのこと気にいると思うし、と王子様はのたまう。
「なんか、それって「息子さんを俺に下さい」みたいですね」
 …………なんだって?


17.どうせなら一歩進んでみませんか



一歩どころか十歩ぐらい進みました。
月末様に心からの感謝をこめて。



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実の姉のようにお慕いしております。埋ねぇこと埋没さまより頂きました!
惚れ込みすぎて、熱烈ラブコールをしたら、物凄く快く熱愛を受け取って下さった月末史上最も敬愛するねぇさまの一人であります。
とりあえず何も言えないでニヤニヤするくらい幸せな二人です。
木佐さんが大人で雪名が幸せそうで、ほっこりとします。
10歩進んでぐっじょぶ!喜んで!
ひとまず大好きです。何をおいても愛してる。←
相互文ありがとうございました!


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