君のために、僕のために


横柄な態度に、
上から見下して、常に品定めをするかのような冷たい視線。
自分で成した訳でもない功績をあたかも自分が行ったかのように振る舞い、自慢気にペラペラと弁才に並び立てるのはお家自慢。
自分自身ではなく、家の名で己の価値観やステータスが決まるこの世界で生きていると思うことは沢山ある。
それを仮面で上手く隠して、いかに家の体裁を守り、発展させていけるかが御曹司の役目なのだと俺は思う。
言わば家の顔であり、父親の顔に泥を塗らないように細心の注意を払って言葉を操り、名家らしい顔つきで穏やかに笑い談笑する。
息が詰まるなんて言葉は、自身の為だけに仕立て上げられた高価なパーティスーツにキチッと首元を締め上げるネクタイがあれば、水を飲むより楽に飲み込める。
それでも、ふいに、
自分の立場も、上部だけの社交辞令も、腹の内を探り合うような会話の仕方も、全て投げ捨てて自由になりたいだなんて思うことは我儘なのだろうか。


「律様、お迎えに上がりました。」


ハウススチュアートを筆頭に、屋敷中のメイドと執事が探し回っておいでですよ。と流れる美声の中にほんの少しの呆れを滲ませながら、誰よりも早くこの場所を探り当てた執事の声に辟易する。
チャリ、という鎖とパクリと金属同士が触れ合う音に彼が愛用している懐中時計を思い出して、もうそんな時間になったのかと開いていた皮張りの洋書に視線を落とすも、何時もの半ページ以下の進みようで、存外に纏まっていなかった思考に溺れていたことを再確認すると、溜め息を吐きながら頭をこつりと木の幹に預けた。


「…今日の予定は?」
「午後より田邊教授の経営学、カイン教授の帝王学、アーサー教授のイタリア語と続き、それからヴァイオリンレッスンと旦那様から言付けられました商談がざっと6件程。その後、19時より宇佐見様のご子息主催の会食の出席となっております。」
「また会食ですか…」
「これは余談でありますが、宇佐見様のご子息は本日、フランスの御旅行から帰国なされるご予定ですので、長の滞在は失礼になるかと」
「理由をつけて早々に切り上げられるから顔だけは出しておけ、と?」
「左様に御座います。」
「相変わらず抜け目がないですよね、高野さんは。」


さわさわと耳に涼しい葉の擦れる音を聞きながら、閉じていた瞳を枝下から声をかけてきているその人へと落とす。
すると、ずっとこちらを見ていたらしい燕尾服姿の執事は眉間に皺を寄せると、見上げるその角度がちょうど太陽の光と被って眩しいのか瞳を細めながら、感心したように掌を顎に当てた。
突然の仕草に何事かときょとん、と瞳を丸くして首を傾けると、その一連が可笑しかったのかふ、と吹き出すと、白の手袋に包まれたその長い指先で口許を隠して、カッチリと着込まれた質の良い黒の生地に覆われた肩を声もなく震わせ始めた。
その反応に、漸く事態を察して思わずジト目で執事を見下ろしながらパタンと開いていた手元の背表紙を閉じると、苦虫を百回くらい噛み潰した後のように苦々しく口を開いた。


「…分かってはいるけれどあえて聞こうか、高野さん。何、笑ってんですか。」
「ふ、はは、…これは失礼致しました律様、いえ、どうと言うことは無いのですが…先日行方をくらました折りにもこのような角度から律様を見上げさせて頂いたなぁと。」
「ご託は良いですよ。どうせ、時間忘れて屋根裏部屋で本の虫状態で集中してた時に今みたいに不意打ちで声かけられてビックリしすぎておむすびころりんよろしく階段から転げ落ちた時の事が言いたいんですよね。分かってますよ、腹抱えて大笑いしてた人がまた今日も来てるんだから。」
「そ、れもですけど…ははっ!」
「なんですかもう!」
「いや、ですから…もう辞めだ、あんだけころっころ転がってきた運動神経切れてる人間が良くもまぁ良い感じに足場のない木の枝の上になんてよじ登れたなって思ってその苦労と珍道中を想像上で重ねたら笑いが止まらなくて…くくっ」
「重ねるなっての!その前に、運動神経は切れてないです!」
「どうだか。…で、降りられますか?律様。」


瞳に涙を浮かべるほど笑いながら、最後に悪戯にニヤリと口の端を上げながら問われる。
降りることを考えていなかったその、己の身長よりも少しだけ高さのある地面までの距離を見下ろして、思わずグッと唇を噛み締めると、芝生をバックに応答を待っていた執事は今度こそ前回同様腹を抱えて爆笑し出した。
余りの悔しさに年甲斐無く顔を真っ赤にしてあぁもう!という怒号と共に手にしていた洋書を長身を折って本気で笑っているその姿に向かって投げつけると、そんな状態であったことなど忘れさせるような動作でスパンとその革張りの背表紙を撫でながら危なげなくキャッチされ、余裕綽々のその態度に思わず歯噛みをしたくなった。


「びっくりー、25の男が何癇癪起こした思春期のお嬢様みたいにブロックみたいな本投げつけちゃってんの」
「ブロックじゃないです!翻訳されてないから分厚いんです!てゆか思春期のご令嬢はティーカップより重たいものは持てない特別装備になってるんでしょう?投げられるとしてもケーキだのブッフェだのクッションだの甘くて柔らかい系でしょうが!同じにすんな!」
「詳しいな、さてはもう経験済みだな?…罪な男だなぁ律様は。政宗は尊敬致します。例えブロックを投げられてもこの身をとして律様に未来永劫仕えさせて頂きたいと思っております」
「それ恭しく見せかけてただ馬鹿にしてるだけですよね。その言葉の通り今度はブロック投げつけて即解雇してやる。…降りるんでちょっとそれ預かってて下さいね。」


おぉ、怖。と無駄に感情の篭った言葉を黙殺して、座っていた太い枝から足場に使えそうな細目の枝の上に恐る恐る古びたスニーカーを乗せる。
それを目に止めた高野さんに、お前、フェラガモとかリーガルとかの高級靴をハウススチュアートが毎朝50と言わずピッカピッカに磨いて今日はどれを履いて頂こうかってウッキウキに靴部屋に居て選んでんの知らねぇだろ。そんなオンボロ履いてる所見せたら、即倒するぞ。と溜め息と共に呆れ返ったような声で紡がれた言葉に反撃とばかりに言葉を紡ぐ。


「別に、知ってますよ。俺の為にどれだけの人間が動いてくれて、どれだけの物がしつらえ仕立て上げられるのか。…だからこそ出来うる限りは大切にしたいし、応えたいとも思っています。」


どれだけ、俺を思って作られているかは知っている。御曹司と言う肩書きに決して恥ずかしくない最上級の品できちんと公の場に送り出してくれているのも。
だからせめて、向けられた心と物だけでも大切にしたいからこそ、普段何事もなく過ぎる日々にはそれ相応の品で充分だと、日常生活の1日ですら準備を完璧に整えてくれる高野さんにやんわりと断りを入れたら指を鳴らして高級品を庶民の服っぽく仕立てよと仕立て屋を呼び出し無理難題を押し付けて、それが通ってしまいそうな空気に慌ててその場を納めて、弁解に説得を乗せて、腑に落ちていない顔を隠す事もせずに眉間に皺をよせてすっかり考え込んでしまったその人を宥めすかせたのも記憶に新しいくらい第一に考えてもらえている。

だからこうして、腑に落ちなそうな顔をした執事の顔を立てる為にも、こっそりと抜け出してこっそりと着替えて汚れても気兼ね無く居れるよう万全を整えている。
それが例え束の間の時間であろうとも。
すとん、と芝の上に片足を下ろし、掴んでいた枝を隣の枝に掴み直しながら、もう片方も下ろしていく。
何だかんだと口を動かしつつも、結局手を差し伸べるように支えてくれる白い手袋の主にお礼を言いながら、掌をパンパンと叩いて汚れを落としていると、髪の毛をサラリと撫でられた。


「お疲れ様。良く出来ました、とも言っておこうか?」
「からかうのもそれくらいにして下さいね。御曹司のただのボンボンなのは身に染みて知ってますから。」


そう。結局俺は『旦那様』の契約の名の元にお世話になっている身でしかないのだ。
普通の人に比べたらきっと、一般常識もなっていないし、活かせる事と言えば幼少期から叩き込まれた礼儀作法のみ。
この、優しげに笑みながら甲斐甲斐しく俺の世話を焼くこの人も、年下の俺に傅くのは父さんの権力があってこその条理。
今時世襲なんて、と世の中の御曹司とご子息は鼻で笑うだろうが、俺はこの俺を一番に考えてくれる人達の為にも父の背を継ぐ覚悟は決めているのだ。
だからせめて今は出来ることは最大限に、吸収できることは全て吸収したいと思っている。
それが例え苦手である絢爛豪華な社交の場に絶対に足を踏み入れなければならない事だとしても。


「さぁ、まだ11時ですよね。講義の前に2、3商談を済ませてしまいたいので資料頂けますか?それから宇佐見様に無事にご帰国なされたお祝いを一点。確か、クマのぬいぐるみがお好きだったかな?すぐ手配して貰えますか?」
「…畏まりました。」


先程の顔から一変、穏やかな笑みを浮かべ、恭しく胸辺りに掌を置き、完璧な角度で頭を下げられる。
その姿に一抹の寂しさを抱えながら、お手を煩わせてすみませんでした。戻りましょうと立派な木の下から踵を返すと、後ろから溜め息を溢された。


「ほんっとに、クソ真面目で不器用で、ガス抜きも上手に出来ない坊っちゃんだよなぁ、律は。」


へ?と言葉を返す前にばさり、と何かを広げられる音がする。
何事かと振り返ると、避暑のように涼しい木漏れ日が注いでいた木の下にレジャーシートとティーセット一式が広げられており、それを一瞬にして作り上げたであろう人物に視線を滑らせると、言葉とは裏腹に優しく笑みを浮かべて琥珀色の紅茶を氷の沢山入ったグラスに丁寧に注ぎ入れている真っ只中であった。
どうして、と口を開く前に、レジャーシートの中へと引っ張り込まれ、瞬く間に座らせられると、手袋をしたままの指先で輪郭をなぞられる。


「御曹司の癖に、自信が足りねぇんだよお前は、世の中のボンクラ息子どもを見てみろよ。録な茶も飲んでねぇくせに、やれレモングラスの高級茶だ、ロイヤルフラッシュが飲みたいだの言いたい放題言いやがるし、お抱えの運転手が何人だのと並べやがる。」


てめぇの金じゃなくて御曹司と呼ばれる立場で出来てる我儘なんだって思えって言いたくなる訳よ、こっちはな、と肩を竦めながら執事の本音を吐露される。
やっぱりな、と萎んでいく心に視線すらも下へと落ちかけたその時、ふわりと香った紅茶の薫りに瞳を見開く。
簡易机の上からマリアージュフレールのアップルティーの薫り。
それは俺が、誰にも知らせずに一番好んで楽しみにしている紅茶の銘柄。


「だけどお前は、フレーバードティーの中でも一番クセがあって、きちんと教育を受けた執事ですら利き間違えるアップルティーを薫りだけで利き分けられてるじゃねぇか。」


俺はそういうちゃんとした分別がつけれる誰かさんの世話を焼けるのが誇りなんだけど。と俺の表情の意味を全て理解して優しく瞳を緩ませる高野さんのその表情にぎくりと心臓が鳴る。
普段、言われ馴れている称賛や喝采のどのものよりも心に浸透して、頬に熱が上がる。
見透かされていた事より、認められて居た事にじわりと瞳の縁が熱くなり、慌てて手の甲を熱を持つその場所へと覆い隠すように置いた。


「あいっかわらず、涙脆いな。俺はお前じゃなきゃ見つけに来ねぇよ。」
「る、さいですよ!」
「はいはい、不安になったら何時でもそばに居てやるよ。」


とてもとても穏やかに笑って頭を撫でるものだから、と沸き上がる感情に蓋をして理由を付けて大人しく為すがままの状態を貫く。
だって、早く日常に戻ろうとしている俺を引き留めたのはこの執事様なのだから。





(…さて、本当にもう戻りますよ俺。)
(あぁ、だから午後からで大丈夫だって)
(…俺を忙殺させる気ですか。)
(はぁ?商談は6件中4件は俺で処理できる内容だったから後はお前の捺印貰うだけだし、後の2件も早急にって訳じゃないから明日でも平気だろ。講義は…まぁパーティで恥かかないようにするためのマニア向けのもんだからなぁ…イタ語は兎も角後のふたつは俺が教えても良いからキャンセル出来るし)
(…ちょ、ちょっと待ってください、なんで俺の仕事までやってるんですか!)
(え、俺の好きでだけど?)
(は!?)
(だってお前、お前に付き合ってたらこうやって息抜きする時間も無いだろ。俺としたらお前とのこの時間を確保する為なら何でもするし?)
((ん?なんか凄いこと言われてる?)…ありがとう、御座います…?)
((ったくこいつは、)そのお言葉だけで充分で御座います。り、つ、さ、ま。)
(!?)








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