feign

お前、俺が居なくても生きていける強い女だから別に大丈夫だろ。


それが、私のフられる常套句だった。


強いポロラドの光が、視界を白に覆い尽くす。クライアントと、カメラマンと、編集の言葉に合わせて、服を魅せるのが私の仕事。
シャッターが切られる一瞬一瞬に、視線と手足の動きで遊ばせて、こんな気分になるんだよと服の最大限を引き出す引き立て役を買う。

それが、モデルというものだ。


だから好き好んで細くなった訳じゃないし、それに見合う身長に伸びたわけでもない。
勝手に伸びた身長に、それに比例して長くなった手足。見た目が少しでも良くなるように食事に気にかけ、運動をする、それだけだ。だから平均身長の女の子と並ぶと彼氏のような巨人へと早変わりする私に、スカウトの名刺が渡されるようになるのはそう遅くなかったけれど、成り行きで足を踏み入れたそこは、BMIが何だの、ダイエットがなんだのと美意識の塊を形にしたような場所で、同時に女の意地とプライドが一進一退にせめぎ合う競争意識の強すぎる世界。
だからこそ、連れ合う男はそれなりで居て欲しいし、付き合う男でステータスが決まると言っても良い。だからとっかえひっかえもするし、誰が誰の彼を取ったのだのと綺麗に整えた長い爪同士で頬の叩き合いになったりもする。
行き着くところはみんな幸せになりたい故の行動なのだけれど、それを無駄に高くなったプライドとキャリアが邪魔をするために修羅場となる。
モデルは気の強い女が多いと言われるが、逆を言えば気を強くしなければ生きていけないのだ。弱い自分を必死に隠して強がって見せる。
それが、幸せになれない理由だと心の底から分かっていながら。


「だからね、別れてよ。私と。」


ちゃちなファミレスで、カランとジャスミンティーに浮かんだ氷を沈ませながら明日の用事を聞くようにサラリと切り出す。
言いずらい事こそはっきり言えと教えてくれたのは誰だったか、対面している男はきょとんとした顔をしながら何を言われているのかいまいちピンと来ていない。
モデルの私よりも小さい顔に、ブラウンの髪の前髪の下で光るエメラルド色の瞳が年齢よりも幼い印象を更に助長させていて、初めて会ったときはこんなふわふわした人間がギスギスしたこの世界に馴染める訳が無いと鼻で笑ったものだ。
けれど、何の因果か特集の担当編集になり、何度か打ち合わせで会う内に意気投合し、いつの間にやら恋人になっていた。
あの鼻で笑っていたふわふわした雰囲気が、まさかギスギスしている自分をこんなにも優しく支えてくれるなんて、あの時は思いもしなかったけれど。


「この、鈍感。アンタ何言われてんのか分かってる?」
「は、うん。だけど、」
「だけどもへったくれもない、別れるっていってんの。合意は頂ける?」
「…何かあった?」


ようやく事態を把握したらしいその人は一度あの私の好きなエメラルド色の瞳を驚いたように瞬かせると、じっと私を見つめてとりあえず落ち着こうよと困ったように眉尻を下げる。
ほら、物凄く優しい。
知っている。何だかんだ緩い空気を纏わせているくせに、肝心な所でちゃんと核心をついて来る所。そんな聡い貴方を誤魔化せないのは分かりきっているけれど、このままごっこ遊びを続けるわけにはいかないのだ。
この優しくって嘘が下手くそで、私と自分を重ねて愛して欲しいなんて心の底から私の知らない誰かさんに叫んでいるこの人の為にも。


「せめて、どこが悪いかぐらいは言わない?俺、何かした?」
「そうやってお伺い立ててじゃあ直すから一緒に居ようなんて無理だと思わない?別れたいから別れようって言ってるの。それにアンタこの仕事向いてないよ、何あの特集の記事。見たけどさサイアク、何にも分かってない。」


大嘘。
本当は別れたくなんかない。女の勘ってホントに罪だと思う。見なくても良いのに、何となく引っかかってケータイ盗み見ちゃうあの感じ。見て見ぬふりすれば良いのに証拠を自分で掴んじゃうから幸せを信じてても夢から醒めなきゃいけない時が来る。
まぁ今回は流石に、抱かれて揺さぶられながら貴方が好きです、なんて熱烈に別の人間を乞われるとは思わなかったけれど。
ばさり、と特集の記事のページを開いて机に叩きつけながら、貴方を傷つける言葉を口にする。だって、ねぇ、ここまでしなきゃ貴方は踏ん切りつかないでしょ?


「アンタさぁ、私はなし崩しに仕事してる訳じゃないの。バカにしてんの?私はあんたと付き合ってれば横のパイプが出来て、これから別のところにも顔が利くなって利用しようとしてたのに、ホントに使えない。」


喉の奥がつっかえるような感覚に、思ってない事を口にするのってこんなに大変だったっけ?と思う。本音と建前は上手に使い分けられてた筈なのに、調子が狂う。本当に。
本当は大好きなのだ。この記事が。大切に、大切に書かれてるのが物凄く分かる。
大切に、ちゃんと大切にされてたってのが記事と写真の私の顔からちゃんと、ちゃんと伝わってくるから大丈夫、もう十分。と自分を納得させる。
貴方は私の特集の担当編集として、ちゃんと仕事を全うしたから、返してあげる。
貴方の望む場所へ、
と、そう結論付けて、ひとつだけ問いかけた。


「アンタのやりたい仕事はなに?居たい場所はどこ?…忘れられない人は、誰?」
「っ!?」


窓の外に視線を滑らせながら、グロスで綺麗に彩られた唇を動かす。
息をのむ気配に、トドメとばかりにグサリと胸の内に刺さった現実を、水を飲むようになんでもない顔をして受け入れる。
大丈夫、貴方の顔は見れなくても、嘘を着るのは、仕事のうちだから。


「綺麗すぎる日本語は、こんなファッション紙には向かないわよ。ねぇ、アンタがやりたかったのってこんな事?逃げなきゃ自分保てない時もあるかもしれないけど、あんた男なら腹据えて本気で欲しいもの盗りに行きなさいよ。」


静かに、けれど雨が降りだした石畳の外の道を眺めながらポツリポツリと言葉を紡ぐ。心からやりたがっている仕事も実は知っている。二人きりで居ても、分厚いハードカバーなんて呼ばれる本を指先で丁寧に捲って、嬉しさを隠しきれないように穏やかに笑っていたその表情も。余りにもゆったりと笑っていたから、同じ世界を共有してみたくて、活字嫌いの私が文庫を5冊も読んだのを多分貴方は知らない。
寧ろ、知らなくて良い。
その時から、きっと本を作る人が好きなんだなと解っていて貴方を手放せなかった私の事なんて知らないでいて欲しい。
喉から手が出るほど欲しいものなんてないと思っていたのに、本当に手に入らないものが欲しくて欲しくてたまらない。


「ほら、とっとと行きなよ。もう、顔も見たくない。」


そっぽを向きながら出入り口を指す。我ながら可愛くないなと自嘲しながら、さて拳の一つでも飛んでくるかなと覚悟を決めて唇を引き結ぶんでいると、ふわり、と髪を撫でられつむじにキスを落とされた。
ハッとして思わず顔を上げると、困ったように微笑みながら、泣きそうに目尻を下げているエメラルドの瞳と視線がかち合う。


「君は本当に悪役になりきれない女の子だよね。そうやって全部持っていかないでよ、俺も四苦八苦しながら文庫読んでる君が大好きだったんだから」
「っ!?」


その言葉にじわり、と目頭が熱くなる。
ぱっと視線を下ろして、目に力をいれて泣くまいとこらえて、唸るように声を絞り出す。


「は、根っからの大馬鹿者だね。お人好し、だから私みたいな奴に騙されるんだよバーカ。」
「…多分言っても分かってくれないと思うけれど、」


その次に紡がれた言葉は一生覚えているだろう、と思う妙な確信と共に私は堪えきれずに涙を落とした。
ありがとうと口にして去っていった背中を見送ることも出来ずに。
本当は、ありがとうなんて言って貰えるほど私の中では整理できて居なくて、どれだけ繋ぎ止める算段をしたかも分からない。
最終的に、一番最低な女にしか出来ない方法で家庭に縛り付けようと思いついた自分の思考が怖くなるくらい、貴方が好きだったんだよ。ねぇ、


「っ…律、」


今日初めて呼んだ、最初で最後の貴方の名前。雨音で掻き消されるくらい小さい声で囁いたのに、なぜか胸が一杯になって止めどなく涙が溢れてくる。
強い強いとフラれて痛くも痒くもなかった私が心が引き裂かれそうになっている意味。
それは、


「泣きそうになる寸前にまで追い詰められてるのに、泣かないから。せめて強がらない場所で一緒に幸せに笑える場所が俺なら良いなって思ってた。」


遠回しにちゃんと好きだったと伝えられて、だけど1番じゃないからこそ言われた言葉の彼らしさに思わず笑いが込み上げてくる。
本当に、嘘の付けないヒドイ人。
だけどね、

ぼたぼたと止まることを知らない涙を流し続ける涙腺が、決壊した瞳を閉じて思う。


こんな良い女を置いていったんだから本気で幸せにならなかったら刺しに行ってやる、という負け惜しみと、


君が私の人生初の、初恋でした。


と土砂降りのなか消えていった愛しい人に、最後まで素直に言えなかった言葉を私は心の内でそう告白した。





(名も知らぬ想い人さん、彼の首筋の紅い華は、私が彼を壊れないように守っていた証だからその位の独占欲は許してよね、なーんて)




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