不器用な恋心

劇的な変化というのは、横顔を見やった時にふ、と綺麗になったと思ったり、一目見ただけで明らかに分かるものだけれど、日々の積み重ねによるちょっとした変化に気付いていくというのは、顔を合わせる回数が多くなる程、見抜くのが至難の技になっていく。
例えば、手招くとなんの抵抗もなくすり寄ってくるようになっていた事に気付いたり、俺が座るソファの下のラグに定位置のように直に座りながら、俺の足を背凭れにハードカバーを読んでいる姿が当たり前になっている事だったり。
それらは注意していないと簡単に見落としてしまって、少し前は考えられなかった筈の、隣にいるという感覚ひとつひとつを思い返してみれば、実は当たり前な事などひとつも無かったという事に気づく度に、思わず嬉しさに頬が綻び、ついつい警戒心の強い仔猫を手なづけたような気分になる。

…まぁ、指摘をすれば、毛を逆立ててすぐさまするりと距離を置くことは火を見るよりも明らかなのでわざわざそんな轍を踏むような真似はしないが。


「…高野、さん…」


返事の変わりに、声をかけてきた張本人へと視線を走らせて思考の淵から意識を浮上させた俺は、目を細めながら沁々と、コイツの内側に居るんだなと実感する。
とろりと蜜を溶かし込んだかのような甘い瞳を熱で潤ませて、アルコールで上気した頬と浅い呼気に混じる艶かしい吐息、さらに僅かに開かれた濡れた唇が無自覚に俺を誘惑してくる。
これでふわりと笑まれでもしたら押し倒してシーツの波に溺れにでも行くのだが、そうそう毎回上手く行く筈もなく、たらたらと気付く気付かないのノロケにもならないほろ酔いの思考を回しながら本能を散らし、生殺しのまま現在に至る。
がぶがぶとその外見に似合わない呑み方でビールを干していく姿を頬杖を着きながら斜目に眺めていると、その視線に気がついたのか、緩みきって潤んでいる鮮やかなエメラルドの瞳が、スッと俺の思考を読んだかのように細められた。
生殺しは訂正する。…もしかすると百年の恋も醒める方かもしれない。



ぺちん!
と可愛らしい音の割りにじわりと広がる頬への鈍い痛み。
絡み酒愚痴派と命名したのは俺だが、まさか内側に踏み入れた人間にしか見せない札がまだあるとは思いもしなかったので、最近新たに捲った新しい顔にうんざりするように溜め息をついた。
ちなみに、口に出したい百万語を酔っ払いに話しても無意味であるという事実は、残念ながら既に骨の髄まで実感済みである。


「ウィ〜ッ、ヒック!たかのしゃん!きーてなきゃったれすよね!?俺のはにゃし…!ヒック!」
「ウィ〜ッとか言ってんじゃねぇよ。終電逃した酔っ払いのオッサンかお前は。呑みすぎだ馬鹿。」
「馬鹿じゃないれす!ちゃーんとお仕事してましゅ!」
「うるせぇよ、酔っ払い。呂律も回ってない奴の話なんて誰が聞くか」


ふらふら揺れる指先で敬礼なんてして真剣そうに口を開きながらぷーぷー膨れる小野寺に、はあぁ…。と深い溜め息を吐きながら、先程張られた頬へウィスキーの入ったグラスを押し当てる。
カランと氷がグラスの内側に当たって涼やかな音を鳴らすのを聞くと、荒んだ心が少しだけ和らぐ気がしてそっと瞼を伏せた。


「なぁーんで、っヒック、めーとじちゃうんれすかぁー?」
「理不尽な誰かさんにひっぱたかれたからだよ」
「えー!ヒック!ちゃんとたかのしゃんが俺のはにゃしきーてくれないかられすよう!」
「あー、分かった分かった。分かったから水割り呑め、ほら、水の水割り」
「…あい。」


こくりと頷くと同時に、ただの氷水の入ったグラスを両手で包み、正座をしたままごきゅごきゅと喉を鳴らす様はさながら良い呑みっぷりである。無論…酒であるならの話であるが。


「…っぷはぁ!」
「おー、良い一気っぷりだったな。今日はこれくらいにして寝るぞ。」
「…まってくらはい。」


グラスの中の水を一息で呑みきった律に適当に言葉をかけながら、氷嚢がわりに使っていたウィスキーが温くなる前にと冷たいそれをくいっと煽る。
タンッとテーブルの上に置いて、言葉の通り寝室へと歩き出そうとすると、着ていたシャツの裾を僅かに引かれた。
甘えるように、桜色に染めた指先で、シャツを握るのを認めた俺は、また始まったか。と半ば仕方の無いように苦笑を溢した。


「…きらいに、なりましたか…ヒック、」
「…誰も言ってねぇよ、そんな事。」
「って…は…ヒックし、きーてくれっ…」
「ベロンベロンに酔っ払った人間の話を真に受けるヤツなんて同じ酔っ払い位だろうが。…ほら、ちょっとは酔い醒めただろ?…言いたい事、言えよ。」


ゆらゆらとアルコールとは別の意味で濡れ始めた瞳を覗き込むように、顎に指先をかけて、上向かせながら仕方無いように笑って先を促してやる。


「ったく…泣くことねぇだろ。」
「な、てないれす…ヒック!」
「水一杯で属性チェンジするんだから大概面倒くさい酒飲みだよな」
「んう?」
「…あぁ、なんでもねぇよ…。」


きょとん、とした表情のまま上気した頬と、じわりと目尻を潤ませたエメラルドの瞳に見つめられ、問われるように首を傾けられる。
それだけで、顎を上向かせていた不埒な右手が柔らかいブラウンの後ろ髪をくいっと引っ張ってさらに上向かせて、その唇に口付けを落としてしまうほど蠱惑的で、触れた瞬間鼻を掠めた色花を放つ百合のような濃いアルコールの匂いに思わず苦笑した。


「ん…言いたい事、ひっく、言わせてくれゆって、…ゆった、ヒック」
「ったくムードもへったくれもない酔っ払いだな、たまには流されろよ。」


批難するようにむくれる白磁のような頬を撫で、林檎のように赤く熟れたその位置で擽るように頬を撫でると、くすぐったいのか小野寺は身を捩りながら猫のように笑う。
素面ではあり得ない一瞬一瞬が気分に合わせて極彩色に変わっていく表情に、平素のコイツの姿を思い出して、もう少し肩の力を抜いて生きれば良いのに。と内心嘆息する。
外面も立ち姿も凛としていて正しく良い所の坊っちゃんのクセに、クソ真面目で、曲がったことが嫌いで、頑固で。やると言ったらどんな事をしてでも成し遂げる芯の強さを持ってるのに、時折ポキリと呆気なく折れかねないほど危うくて、繊細な男。
柳のようなしなやかな強さよりも脆いそれは時たま面白いくらい空回っていて、見ていて危なっかしくて、ついつい世話を焼きたくなって、…たまに失敗して火傷する。
まぁ、何かと理由をつけて俺が小野寺と一緒に居たい口実であるのも認めるが。


「…たか、のさん」
「…。」


腕を引かれてその場に座らされ、ぽすり、と俺の肩口に額を預けながら熱い吐息の端々に名前を呼ばれる。
甘えるような小野寺の様子に背中に腕を回して、左手は弄ぶかのように手触りの良いブラウンの髪をサラサラと撫でた。


「ずっと、傍にいてやるよ、しょーがねぇから。」


どうせ酔いすぎて覚えてねぇだろっていう自棄。
今までの会話上好きでも嫌いでもない、きっとコイツの問い掛けからしたら全然噛み合わない言葉を赤く染まった耳介を食みながら流し込む。
頑固で理性がある内は絶対に甘えてこないコイツに唯一漬け込めるとしたら酒くらいしか無いのに、逆に本心を引きずり出されるなんて本末転倒だが、それもまた一興。

ほわりふわりと不器用なりに甘えようとする姿勢にほだされて甘やかしの体制に入っている己を振り替えれば、色々と振り返ってみても最終的に一瞬一瞬をあら探し出来る程、俺は小野寺が恋しくてたまらない。
最後にリップノイズを響かせて、自嘲するように小野寺の首筋へと顔を埋めると、喉を鳴らした小野寺が酒で焼けた掠れる声で言葉を落としてきた。


「ん…、ずっ…と、そば…に、…いて、くだ…」


きゅ、と握られる脇腹のシャツが小さく鳴いて、じんわりと甘い痺れが背筋をなぞる。

…これで記憶飛ばすのだから本当にコイツは可愛くない。

僅かに上がった頬の温度を感じながら、ふにゃふにゃと幸せそうに俺の肩の上で表情を崩しているだろう律に心の中で悪態をついた。




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