幸福の在処

夢の中で過去や未来に渡り、探し歩いた幸福の代名詞である幸せのかたちは結局灯台もと暮らしよろしく籠の中にありましたとさ。
なんて話は有名なチルチルとミチルの兄弟の話。
メーテルリンクが死と生命の意味をテーマに書き上げたというこの作品は、お伽噺染みているにも関わらず、どこか神秘的で、読む側の創造力を掻き立てる。
例えば、籠の中にあった幸せというのも一人一人の生活から派生しているものであり、籠を家と形容する人もいれば、愛する人の腕の中と想像する人もいるだろう。
それこそが幸せのかたちなのだと万人に向けて発信されたそれはひとりひとりの幸せを見つけるヒントのように思う。

「で、お前の幸せって?」

人の家に勝手に上がって、ノーベル賞を獲得された件の作家様の本を肩にポンポンと当てながら、横柄な態度でソファに座りながらそう問いかけてくる声に思わず溜め息をつく。
本の感想を求められるならまだしも、感想どころか作者の問いかけをそのまま声にされたような質問に思わず目を半眼にして険のある声を出してしまった。

「何ですか、藪から棒に。休みの日に人ん家に乗り込んできて勝手に本読んで、読み終えた第一声がそれですか。てゆかもうちょっと大切に扱ってくださいよ。」
「だって俺の家にチルチルとミチルの冒険記なんてファンタジーな本置いてねぇし。隣ん家が蔵書張りにハードカバー置いてるの知ってたら行くだろ普通。」
「図書館ていう選択はないんですか」
「炎天下に出るのがめんどくせー」
「ふざけんな外見てみろよ、読書の秋な晴天なだけだろうが」


人の言葉なんて聞かずにアファーなんて呑気にあくびをしながら、俺には炎天下にしか見えねーなんて言うその口を縫い合わせてしまいたくなる衝動にかられる。
そもそも青い鳥なんて、高校時代図書室の本を読み尽くしていたあの高野さんが読んでいない筈がないのに、何で今さらと思いながら、からりと麦茶の入ったグラスを高野さんの目の前に置く。


「それ飲んだら帰ってくださいよ。」
「まだ聞いてねーし」
「まだ引っ張りますか。」


グラスを持ちながらじっと見つめてくる黒曜石を思わせるその瞳に、一瞬だけ息を詰めて視線をそれとなくそらせる。
10年前は実感していた、幸せというもの。
でもそれは、呆気なく泡沫のように脆く消えてしまったから、今は胸を張って恋愛することが幸せと言って良いのか臆病になる。
物事の最悪を考えて一歩踏み出すことを覚えてしまった今の俺はきっと籠から出る事すら出来ないから。


「さぁ、どうですかね。今は仕事と今の日常があるのが幸せなんじゃないですかね」
「…俺は、」


カラン、と氷がグラスを弾いて空になったグラスが机の上に戻される。
珍しく、大人しくソファに座しながら、床にじかに座っている俺に視線を固定させて、僅かに目元を和ませた高野さんを見て何故か切なくなった。


「隣に好きな人がいて、それが当たり前でいてくれる日常が一番幸せだと思った。」


昔はちっとも噛み砕けなかったけどな、と笑いながら背表紙を手の甲で弾く姿にそんなこと言わないでくれと思わず叫びたくなる。
昔々の御話を紐解くのはお伽噺で十分だ。
偉そうで、横暴で、仕事の鬼と言われていても、時たま見え隠れする寂しそうな背中と憂いた目は10年前を彷彿させられて、危うさと共に胸が苦しくなる。
まだ寂しいんですかと問いかけたくて、でも側にいる決意が出来なくて、すぐに傾きかける天秤を真ん中で保つことがどれだけ大変な事か。
だから、中途半端なことは言えないと、口をつぐんで床の木目を伏せて見た。
「なんて顔してんだよ」
「うわっ!?」


瞳を伏せていた一瞬で、俺と同じように床の上に膝を立て、俺の耳のすぐそばで流し込むようにかけられた言葉に思わず面を上げる。反射的に耳を押さえながら、熱が上がるその感覚を実感しながら思う。
あの声は…、


「でも今の俺はまだ叶わない恋ってか、追いかけて取っ捕まえる恋愛をしながら隣に居て欲しいヤツの反応を見るのが幸せだからさ、」


意地悪そうに口角をあげながら、それでも俺を見つめて緩むその瞳がどこまでも優しくて、ずるいな、と言葉を舌の上で転がした。
心のどこかで寂しいと愁いながら、それでも俺の踏ん切りがつかないのを見極めて、まだと伏線を張りながらじっくりと俺が堕ちてくるのを待っている。
幸せを掴む事を諦めて籠の中の鳥を呈する青い鳥を、その甘い表情と仕草で手招きしながら。
「高野さんに思われている方は大変ですね。」
「そうでもねぇと思う、だって幸せの青い鳥読ませてくれるくらいだし。」
くすくすと楽しそうに笑うその声に、叩き出してやろうかと一瞬思ったけれど、本当に柔らかく微笑んでいる横顔に、瞳を閉じる。
後数秒もすれば寝息が聞こえて来そうなそんな空気に、羽を伸ばせる空間くらいは作ってやろうかと必要になりそうなブランケットを用意する算段を立てながらいそいそとソファへ移動するその後ろ姿にふと笑みを浮かべた。




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