ここは、エメラルド編集部。通称乙女部。全員が男性社員の上、美形揃いという夢のような仕事場。しかし、ある周期が来ると、人間の生活ではない仕事っぷりをする少女漫画の編集部に、やっとと言うべきか、当然と言うべきか、女性の配属が初めて決まった。
整った顔立ちに、華奢な手首。ほっそりとした白い手足はいかにも儚げで、少々薄すぎる彼女が伝説を叩き出し続けている魔の巣窟のような場所で生きていける筈がないと案内係を仰せつかった総務担当のOLは人事部に直談判に行こうと出会った瞬間心に決め、それを筆頭に実際に彼女を目の当たりにした社員から山のような余りにも不憫だから部所を変えてやってくれ申請書が人事部に彼女の意思関係なく送りつけられているらしい。
ある意味伝説を作っている彼女であったが、そんなことは露知らず、異動もせずにいつの間にか彼女のエメラルド編集部での社会人1年目が過ぎていた。
大丈夫なのか、と未だに心配する声が他部署で上がる中、当の彼女、夏目礼深の上司達はその話を耳にする度に溜め息をつく。
外面だけで、アイツはとんだ珍獣だ、と。



「…先生、いっぺん、死にますか?」


電話を取った夏目は開口一番そう言っ
た。隣の机で写植を貼って居た小野寺はその言葉を耳にした瞬間、脊髄反射でその電話を取り上げた。


「ちょ、ちょちょちょ!な、なに言ってんの!?」
「あやー、律先輩。」
「あやーじゃないでしょ!?作家さんに何て事言ってんの!」
「だって書き直したいって言ってきたネームがことごとくつまんない上にウダウダウダウダうるせーんですもん。一発ギャフンと言わせなきゃ気が済まないっすよ。ねー、編集長?」
「んなネーム上げてきたらてめぇをシバキ倒すからな」
「ほら、編集長にシバキ倒されるなんて私部署かえられなくなっちゃうから死んでも嫌なんですよ。だから泣かしてでも屈服させます。」


だから電話、返してください。と催促するようにほっそりとした手が小野寺の前に差し出される。
あぁぁぁ、もう、なんっでこう編集に関わる人間は乱暴で考え方が狂暴なのだろうと小野寺は途方に暮れそうになり、その瞬間に夏目は小野寺の手から受話器を抜き取った。


「りっちゃん、諦めなって」


あいつ、すんげぇ嬉々とした表情でイビり倒してるから。と濃いクマを目の下にくっきりと刻み込んでいる木佐が小野寺に助け船を出した。
その言葉通り、ズバズバとハッキリ最大の毒を吐きながらも電話口ではニコニコとした表情は崩さないまま彼女は通話をしていて、その光景に思わず木佐と小野寺は口の端をヒクつかせた。


「俺、アイツが担当だったら漫画家辞めるわ。」
「俺もです、続けられません。」
「あれでなんで作家からの人気が高いんだか、女ってわかんねー。」
「っしゃあ!泣かせた!編集長!ネーム直し納得してくれました!」


がしゃん!と言うけたたましい受話器を置く音と共に上がる威勢の良い声と中学生が告白を成功させた時のような元気の良いガッツポーズを見て、木佐と小野寺は泣かせたんかい!と思わず青ざめた。
てゆかそんなに虐めて、作家さん原稿上げてきてくれないんじゃないの?と焦る二人を他所に、夏目はてきぱきと身の回りの物をバッグの中に詰め込み始めた。


「は?え、どっか行くの?」
「あぁ、作家さんの家ですよ。木佐さん。」
「何お前!?あんだけ虐めてもイビり足んない訳!?」


信じらんねぇ!絶対行方不明になるから辞めてやれよ!と必死に止める木佐にきょとん、とした顔をした夏目は首を傾けながらあっさりと答えた。


「イビり倒して泣かせたんで、甘やかしに行くんです。」
「はぁ?」


鳩が豆鉄砲を食らったような顔しないで下さいよ木佐さんとカラカラと笑う夏目に、小野寺は疑問をぶつける。


「え、じゃあ、さっきのはわざと?」
「へ?本気ですよ。マジでムカついたので本気で泣かしました。」
「えぇぇ、」
「もう四日まともに寝てなくてワケわかんなくなってもう漫画なんて書きたくないって言うから、んじゃいっぺん、死んでても良いよっていったんです。」
「…そこでも追い込むのか。」
「追い込む?寝かせることがですか?」
『はぁ?』


見事に木佐と小野寺の声がシンクロする。わーすごい、ダブルサウンドーと拍手しながら夏目はバッグのファスナーを閉めた。

「今までのネームのままで十分面白い作品は出来てるし、直す必要ないからトーン貼るヤツ以外のまだ出来てない原稿ほっぽり出して寝ちゃって良いよって言ったんです」
「テメー!原稿上げねぇつもりか!」
「うるせーですよ、編集長!だから今から作家さんの家行くって言ってんでしょうが!あんたちゃんと耳かっぽじって聞けよ!」

今までの事の成り行きを口も出さずに見守っていた高野が突然会話に割って入ってガターン!と思いきり机を叩くとバサバサーとネームやら印刷物やらが盛大に床に散らばる。それに応戦する彼女に木佐と小野寺は思わず失神したくなった。


「今から行けば移動時間含め、トーン貼って、写植貼ってる間に先生二時間は寝れますよね。速攻起こしてあげるから取りあえず仮眠だけとんなって言ったんです。」


私トーン貼るの好きだし、まだ4撤しかしてないから全然よゆーなんで。と彼女はジャケットを羽織りながらへらりと笑った。

「そしたら作家さん、30分だけ休ませて下さいって言われたので、私写植貼りとトーン30分で貼らなきゃいけないじゃないですが、だから急ぐんで、外出の許可下さい」
「今日の夕方締めだからな。」
「間に合わせないわけがないじゃないですか」

どんだけ奮起してんだ作家さんと木佐と小野寺は意識が遠くなりそうになりながら、高野に許可を貰うと猪のように駆け出した彼女の後ろ姿を見送った。


「なんか…、夏目さんが作家に人気な理由が分かった気がしました」
「だよなー…。3撤で失神寸前な俺より元気とかアイツほんと何者。」


途方に暮れかけたその時にとんだお前ら早く写植仕上げろ!と言う高野の怒号によって現実に引き戻された木佐と小野寺は慌てて作業を再開する。
アメと鞭、その使い分けが編集ではいかに重要であるか、再確認させられた日であった。




(あんなにデッド入稿だったのに凄い完成度高い上に面白いとか何事だよ)
(「あれ、夏目さん、このページの雰囲気凄く良いね」)
(「あー、美濃さん。そこトーン私貼りました。」)
(「どんなスキルもってんの!?」)
(「漫画は私の命です。キリッ」)
(「んで、夏目、お前は何日寝てないんだ?」)
(「6日くらいですかねぇ…ってトリさん!?」)
(「横澤さんからお前の所のもやしにちゃんと飯食えって伝言ついでに寝かせろと言われたからな。てゆか6日とかお前死ぬぞ」)
(「うるせぇんですよアイツ。食堂でうっかり釜あげうどんに顔面浸けそうになってんの見られてから小姑みたいにぐちぐちぐちぐち。」)
((『頼むから寝てくれ』))





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