こらえろ、こらえろこらえろ!

喉が引きつって、目頭が熱くなる。
社内で泣くのは恥だ。激しくダサい。
てゆか泣くとか何かわいこぶってんのさ気持ちわるー!
と自分を貶しながら俯いて早足で廊下を過ぎる。


失敗して何が悪い!こちとら新人じゃボケ!と開き直りながら、上司の嫌味、お局先輩のけったいな新人イビり、何かとしつこいとあるファッション雑誌の副編集長のえげつないセクハラにも笑ってサラリと流してきた。(コンビニで鍛えた接客術ナメんな!)
だけど、こんなことで、まさか自分の涙腺が緩くなるとは思いもしなかった。


「っうぇ、」


ヤバイ…!
ヤバイヤバイ!ヤバい!嗚咽が溢れる!?思い出すな私!もうちょっと、もうちょっとで解放させてあげるから!
蹴り飛ばすように非常扉を開け階段を駆け上がり、高校以来ご無沙汰すぎて順応出来ずに早鐘を打つ、運動不足気味な体に鞭を打った。
は、っはは!苦しくて泣くにも泣けないだろ!ザマァ!
あともう一段、と続く階段を歯を食いしばって完走して、やっと屋上へと辿り着く。
息は辛いし、呼吸は荒くなるし、パンプスで全力疾走したせいか足が震える。あーあ、ほんっと、年取ったなぁ。と実感するとぺたんと腰が抜けて座り込んでしまった。


「疲れたなぁ、」


あー、情けない。声が震えて完全な涙声。その声に引きずられるように、涙がじわりと瞳に膜を覆った。
ちょっとだけ、泣こうかなぁ。と俯いてスカートの上できゅ、と掌を握っていると、頭上から突然声が降ってきた。


「皆の前で良く笑う人程さ、辛いことを上手に隠して影で凄く泣いてるんだよね。」


優し気な声で語りかけられて、思わず勢い良く顔をあげると、その拍子にポロリと涙が零れてしまった。ちょ、まって!恥にしかならないっ!と慌てて人差し指で涙を払うと、わたわたと勢いだけで立ち上がる。


「す、すみません!お見苦しい所をお見せしてしまって…!」
「いや、気にしてないから。…ていうか君タフだね、2階の秘書課から駆け上がって来たんでしょ?」


そのヒールでよくやるね。とソプラノの優しい声でくすくすと笑われて、見られていたという事実に顔が赤くなる。
会社の秘書が目も当てられないような必死な顔をして階段を駆け上がっていたなんて会社の恥だ、その考えに直結するとがばりと頭を下げた。


「すすすみません!あの、以後気を付けますのでどうか、どうかご内密に…!」
「ん?なにか誤解してる?良いんじゃないの?秘書が階段上るくらい。」


健康的だし、君の先輩達は我が物顔でエレベーター乗るから山程書類抱えながら乗ってる他の部の人たちから評判悪いんだけど、君みたいな子が居るとなればまた別だよね。と言いながら必死な私を余所に花のようにふわりと笑うその人に、随分綺麗に笑う人だなぁ、と思わず感心してしまった。


「そんなに見つめられたら私、穴があいちゃうよ?」
「ごごごめんなさい…っ!」


からかうように目を細めて告げられた言葉にいつの間にか無言で見つめてしまっていた事に気付き、吃りながらも慌てて視線をそらす。
けれど、何か引っかかる、この女性の口ぶりに少しだけ眉をひそめて思考を巡らせようとすると、くしゃり、と頭を撫でられた。


「なっ!?は、っうぇぇ!?」
「君は良くやってると思うよ、柚木楓さん。」
「な…んで、名前を、」
「知ってるよ。少なくとも君が頑張ってる姿を見て、目をかけてる人間は柚木さんをちゃんと、認めてる。」


驚いて目を見開いたまま上を見上げると、目大きいなぁ、目力強くて私の目が疲れちゃうから普通で大丈夫だよ、と優しくよしよしとするように笑顔で頭を撫でられた。優しすぎて、こらえた筈の涙が思わずぶり返してきた。


「柚木さんのね、関わってる会議だとか、プレゼンだとかは進めやすいし、資料に目を通してて違和感がないの。ちょっとした配置だったりが凄く絶妙だったりね、」
「お世辞なら止めてください。私の能力は私が一番理解してます。」
「柚木さんが理解してるのは上司から言われた評価であって君本来の力じゃないよ。それに、私はお世辞は言わないから安心して。」


後ね、一部のお局先輩達は塗りたくった顔と胸だけで頭すっからかんだから、出来なきゃキーキー金切り声あげるけどあれは柚木さんへのただの醜い嫉妬だし、あのはげちょびんは男の癖にねちっこいよね。あーゆーのに限って小心者で、一発渇入れれば黙るから今度やってみな?後エロジジイは副編集長と秘書の不倫っていうものすっごい中途半端なドラマの見すぎで現実と理想の区別がつかない脳内お花畑だから相手にしなくて良いよ。全く、編集長の補佐が聞いてあきれるよ。私の上司がそんなの小耳に挟んだら、歯にもの着せずに鋭利な言葉のナイフでメッタ切りの半殺しした後に使えないって思いっきりデコに太鼓判押して塵にして消されるね。という具合にペラペラと満面の笑みで先程の優しい表情のままいうものだから、どこかに副音声でも着いているのかと驚いたほどだ。
あまりのマシンガントークに、目を白黒とさせながら聞いていると、それに気づいたのか、目の前のこの綺麗な女の人はふわりと微笑むとその小さな顔をことりと右に傾けた。
サラリと首元で揺れる緩く巻かれた栗色の髪が、冷たい秋風に揺られてふわりとなびく。


「涙、止まったね。」
「…へ…?え、あ、本当だ。って化粧!」
「ふふ、元々薄いから大丈夫だよ。黒い涙にもなってないから、トイレでパウダーちゃちゃっと叩けば元通り。…女の子って大変だよねー。」
「…へ…?」


思考速度がついていかずにさっきからアホみたいに口から零れてくるのは言葉にならない音ばかりで、思わず赤面する。
すると、その人は私の内面など全て察したようにその華奢な指先を私の肩へ伸ばすと、トンと掌を置いた。


「泣きたくて、どんなに辛くてもさ、化粧してるからボロボロに崩れるのが怖くて泣けないでしょ?だけどそれは武器にもなるから。絶対に泣けないんだって俯きそうになる顔を、歯を食い縛ってでも上に上げられる力になるからさ」


だから頑張ろうと紡がれる唇の動きを視線だけで追いながら、又、視界がぼやけてくる。
無性に泣きたくて、ツラいと叫びたくなったのは仕事や環境がしんどいからではなく、認めてくれる人が一人もいないと思っていたからで。
それなのに、名も知らないこの人がこんなに、こんなにも正確に私を認めてくれていたのだ。
それを実感していると鼻の奥がツンとして、顔がくしゃくしゃと歪む。
何も言わずに出てきたから、朝比奈先輩には淡々とお説教を食らうだろうし、それを見たお局先輩に嫌味のひとつやふたつは確実に落下されると思う。
泣いてる暇など無いのに、今気を抜いてしまうと嬉しすぎて膝に力が入らない位泣いてしまいそうな気がする。


「ほら、もう情けない顔しない!ビシッと気合い入れて!下克上の準備!」
「っはいっ!?」


ぐだぐだに崩れそうになった心に直接叱咤するように絶妙な間合いで凛とした声が鼓膜を叩いて、思わずいすまいを正して敬礼をすると、何で敬礼まで行くのと爆笑された。


「…そこまで笑わなくても…、」
「だ、だって。あははは…!ヤバい、肋骨折れる…!」私この間横澤さんと一緒になって爆笑してたら肋骨折れたんだよねー。ヤバい、この笑い方も折れる気がする…!とけらけらと薄い華奢な身体に似合わず、背中を曲げて豪快に笑うその姿にちょ、待って下さいもう笑わないで!と引っかかった単語すら無視して慌てて静止をかけた。


「ぷ、くくく…。あー笑った。折れた所痛くてまたパッキンするかと思ったよ」
「う、薄すぎるんですよ!」
「あー、耳にタコが出来るくらい聞いてる台詞だね。死ななきゃ平気だよ。」


聞きたくないとばかりに手を降るその仕草は事実を突きつけられて口ごもる子供の動作に似ていて思わず笑ってしまった。


「ふふ、」
「そうそう、秘書課のお姉さんにはそうやってふんわりと笑ってギスギスした会議の空気を緩やかにしてもらわないとねー」


癒しの場がないとポンコツ営業に本気で喧嘩吹っ掛けられないからさ、と不敵に笑うその口許に、既視感を覚えた。
上げられた口角のすぐ下にあるホクロ。
どこかで見たような気がして思考を巡らせた一瞬、着物が翻った光景が鮮明に思い出される。
もしかして、と開きかける唇を遮られるかのように、カツリとコンクリートを弾く足音が背後から聞こえてきた。


「クソモヤシ、こんな所に居やがって…!手間かけさせんじゃねぇよ!」
「うひょー、うるせー!本当に鼓膜に優しくない声だよね。将来のアンタの声はカッスカスだな!」


突然の野太い怒鳴り声に思わずビクリと肩を揺らすと、モヤシと呼ばれた女性はその細い腕で自身の耳を塞ぎ、不機嫌そうに柳眉を寄せて同じく怒鳴り返す。
社内では有名な低音の怒鳴り声に萎縮しすぎて振り向けずにいると、それに気づいたのか正面の女性は呆れたように溜め息をつくと、キッと射抜く様に丸川一の暴れグマを睨み付けた。


「本当に馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけどこんなに馬鹿グマだとは思わなかった。」
「なんだと…!?」
「私は聞き慣れてるから良いけど、アンタの声は誤解されやすいんだから気を付けて下さいよ。」


怒ってないの私は解るけど慣れない人は怒鳴り声に聞こえる。と眦を決した女性が視線だけで私の事を横澤さんに促すと、背後で気不味そうに口ごもる気配がする。
そのやり取りになんだか物凄く気を使われている様な気がして、慌てて後ろを振り返ると、あの横澤さんが気落ちしているような気がして考えるより先に口から言葉が飛び出していた。


「すみません…!横澤さんっ!私怒られ慣れてはいるんですが、淡々と言い含められる方の怒られ方なので直下型の爆発的な声に慣れてないんです。今後徐々に慣れていきますのでご指導ご鞭撻の程よろしく…って!?」


珍しくどもらずに紡げた自分の言葉に若干驚きながら、がばりと下げた頭を上げて横澤営業の顔色を伺うと、鳩が豆鉄砲を食らったような表情をされていて物凄く驚いた。
ぶはっと堪えきれないかの様にゲラゲラと声を上げる私の後ろのモヤシさん(横澤営業から拝借)に笑ってんじゃねぇよ!と気を取り直したかのように怒鳴った横澤さんは、少し目を泳がせると何時もより声のトーンを少しだけ優しくさせながら言葉を紡いだ。


「いや、俺も悪かった。日頃相手してる人間の種族が、がならないと人の話を微塵も聞かない馬鹿ばかりだからついな。配慮が足りなかった。」
「いえいえ!お気になさらずに…!」
「良かったねーバカグマ。分かってもらえて。てゆか誰が馬鹿だダレが」
「馬鹿グマ言うな。心当たりある時点でお前は筆頭株だろうが」
「えー、心外!」
「ぶっ飛ばすぞ。」


言葉尻をさらいながらポンポンとテンポ良く進む会話に空気が軽くなったような感覚がして思わず笑ってしまうと、それに気づいた女性が横澤さんと声をかける。


「なんだ唐突に」
「いやちょっとね、彼女の名前知ってます?」
「は?…去年秘書課に入った柚木だろ?お前と同期の。で、朝比奈さんが目にかけてる」
「えっ…えぇえ…!?」


思わぬ人から自分の名前を言葉にされて、驚きのあまり口から思ったことが飛び出して叫び、口をパクパクとさせていると、なんだ、違ったか?と首を傾ける横澤さんに合ってる合ってると笑う隣の女性がしてやったりと笑いながら目配せを送ってくる。

ほらね、言ったでしょ?
見てる人は認めてくれるんだよ。
と言われている気がして、そして何より自分の事のように誇らし気な女性の表情に今度は嬉し涙が溢れそうになった。







(さぁて、横澤さんが迎えに来たし、戦と洒落込みますか!)
(何時の時代だ。また無理難題な冊数要求すんじゃねぇぞ)
(それは編集長に言って下さい)
(あの、)
(うん?)
(ありがとうございました)
(御礼言われる程でもないよ、藤壺様?)
(っ!?やっぱりあのときの光源氏…!?)
(覚えて頂けて嬉しいです。新年会ではお世話になりました、エメラルドの夏目です。)
(えぇぇぇぇっ!ああああの!?同期随一の出世頭!?)
(イヤイヤそんな、出世頭なんかじゃないですよ。もうけちょんけちょん!)
(…お前の周りもけちょんけちょんって時点でエリートコース街道だろ。)
(作家さんに書いて貰ってこその編集なのでエリートかどうかは危ういと思われ!)
(新年会のお前見て作家が実費出版でも良いから源氏物語のアンソロ書きたいって言わせる程の影響力を持つヤツが何を言う)
(イヤアレは、私だけじゃなくて丸川の綺麗所がわんさか本気出したからだよ。横澤氏も見たでしょ?十二単の相川さんのノリノリっぷり)
(あぁ、相川の六条とお前の絡みを見て卒倒する作家を介抱するのに大変だった…。)
(でも一番はエメラルドの木佐さんと…)
(あぁ…アレこそ会場が炎上した…。)
(紫を木佐さんがやるからあぁなるんだよ。あからさまに男女逆転だから面白味皆無だったのにね。)
((あの光源氏は絶対夏目さん/お前しか出来ん))

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