春の陽射しの中で、とても、とても優しい夢を見た。


視界の端で、ふわふわとカーテンが揺れる。窓から溢れてくる春らしい陽気に、あぁ、あの夢はこのせいだったのだと、ぼんやりとした眠気眼で一人納得する。
10年前のある春の日、桜がひらひらと窓から舞い降りる図書館で先輩の前でうたた寝をした事。
パラパラと風に遊ばれる出しっぱなしの本のページが捲られる音を聞きながら、隣に座るそわそわと落ち着きの無い俺を見てくすりと笑った先輩が、本当に柔らかく笑うものだから物凄く恥ずかしくて、逃げたくて、でも離れがたくて、ばくばくと飛び出してきそうな心臓の音がどうか先輩に聞こえないようにと閉じた瞼のまま微睡んでしまった、あの優しい一時。
あの後は本当に文字通り顔から火が出るくらい赤面して先輩に爆笑されたのだけれど、本当に好きで、好きで、大切にしたくて、宝物のように心の奥にひっそりと仕舞い込んできた記憶の欠片。



とうの昔の事なのにほわりと心の内が暖かくなっていくのを感じた律は、もう少しだけ夢の狭間に居たいなぁと瞼を閉じる。
けれど、暖かい陽射しと、過度の眠気に疑問も少なからず抱くわけで、少しずつ働かせ始めた思考は一瞬にして繋がり、くわりと睡魔を振り払うように、その瞳を思いっきり開いた。
そうだ、今はまだ、仕事中だったのだ。
デッド入稿を先日終えたばかりで、疲労困憊のヘロヘロであるが、新刊のコミックスを発売することになったので、その企画書の立案、来る次号の進行の打ち合わせを作家さんとしたりと一息つく所か、このまま次号の修羅場まで体を休ませられる時が無くなりそうだと、安易に予想できた未来予想図を消す為に休憩所に企画書を持ったまま雪崩れるようにソファに座った瞬間からぷっつりと記憶が途切れている。
途切れたのではなく爆睡していたのだと、慌てて時間を確認しようと頭をあげると、ゴツッ!という鈍い音と共に目の前に星が散った。

何が起きたのか、さっぱり分からない。が、衝撃が起き抜けの脳をぐらぐらと揺らす。
あまりの出来事に声もなく頭を抱えているとちょうど真隣から、不機嫌そうな、ドスの利いた声が飛んできた。


「オイ、てめー、起きるんならもっと静かに起こせよ。」


なんだって頭突きで起こされなきゃなんねーんだ、マジ最悪。と悪態をつき続けながらぶつかったらしい頭部の箇所に手を当てているその人は、先ほど夢に出てきた先輩であり、今の上司で…

「っなッ!?なっ、なんでアンタがここに居るんですか!?」
「あぁ゛?休憩所なんだから休憩しにきたに決まってんだろ。何、まだ寝ぼけてんのお前?」

あまりの驚きに心拍数と言葉尻を思いきり上げながら質問する律に、高野は頭突きで起こされたことを根に持っているのか常より刺々しい声で答えると、欠伸をしながらデスクの上に置いていたらしい眼鏡をかける。


「寝ぼけてませんよ!今ッ完ッ全にバッキバキに目が冴えましたよ!」
「あ、そ。でもあんだけ爆睡してりゃぁバッキバキにも冴えるだろうよ。」


アファーと盛大な欠伸をもうひとつしながら後ろ髪をガシガシと掻く姿にほんっとに、あぁ言えばこう言う、と律はイライラした。
折角殺伐とした現実から逃げるかのように穏やかな夢を見た筈なのに、コイツのせいで唯一の汚点じゃない綺麗な思い出までもが汚れる。
綺麗と形容するだけのものではないと否定したいが、思い出としてなら残してやっても良いと思える夢だったのだ。
折角なら大切にしたい。


「じゃあ、俺、爆睡できて目バッキバキのうちに企画書書いときたいんで行きますね。高野さんはまだお休みしてたら良いんじゃないですか?休憩所なんですから!」


逃げるようにヒラリと机の上で捲れた企画書に手を伸ばして立ち上がろうとすると、ぽすんと頭が引き寄せられた。
高野の肩に頭をよりかけるような体制にされた事に気付いた律は慌てて起こそうとするも、高野の頭がコツリと重なってしまえばどうすることも出来ず、高野にされるがままになる。
さすがに、二度も頭突きは出来そうにない。

「昔もさ、お前こうやって俺の隣で幸せそうにスカスカ寝てたんだよな。あんまりにも起きねぇから俺も寝てたらどうなんだろって思って狸寝入りしてたらいつの間にか俺も爆睡しててさ、あんなに良く寝れた日はあれ以来無かったんだよなぁ」


言われた言葉に頬が熱を持つ。
それは、今しがた大切にしたいと思った夢の話で。


「お前が寝てるの見たら思い出して、昔みたいに隣座って、また寝た振りしたら…昔と同じで、変わってなくて笑える」


くつくつと喉の奥で本当に楽しそうに笑う声が鼓膜を揺らして、くすぐったい。
合わさっていた頭が離れる気配がすると同時に髪の毛をくしゃくしゃと撫でられ、ギシリという音と共に高野はソファから立つ。わたわたと、前髪を直す律の頭をもう一度だけ撫でると高野はいとおしいものを見るように瞳を細めた。


「今まで生きてきた中でお前の隣が一番、安心して眠れるんだよな俺。」


名残惜しそうに撫でていたを頭をポンポンと二度弾ませるとふらふらとした足取りで休憩所を後にする高野。
その姿を呆気に取られてみていた律は事態を把握すると、瞬く間に頬を朱色に染め上げた。


「高野さん、あれ完ッ全に寝ぼけてる。」


あの仕事の鬼と呼ばれる高野がよりにもよってその仕事の最中に寝ぼけるほど熟睡するなんてあり得るわけがない。
そうなると、あの高野が言っていたことは本当の事となるわけで…。
その先を考えようとして思考を止め、余りの事に耳まで赤くして両手で顔を覆った律の企画書は穏やかな春の風にその紙の端を遊ばせていた。


その企画書が出来上がるのはまだまだ先の話




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