何でもないような事が当たり前に幸せだった。

「っあ!」
「どうかしました?木佐さん。」


温かいコーヒーが注がれたマグカップを両掌で包み込みながらまったりと過ごしていたちょうどその時に、突然がばりと慌てて身を起こして、時計を見上げた木佐さんにきょとりとした瞳を向ける。
目の前の木佐さんは俺の言葉を華麗に馬の耳に念仏しながら、ちょ、まじかよえぇえ、と困りきったように頭を抱えて唸るように言葉を紡ぎ出した。


「うあー!俺としたことが!何て事だよ!三分前までは完璧に覚えてたのに、最悪すぎる…!」
「何かあったんですか?」
「何かあったんですかじゃねぇよ、」


一通り唸りつくして、やっと俺の声が耳に入ったのだろう幼い顔をした年上の俺の恋人は、今日はお前の誕生日だろうが。と語尾を小さく尻すぼみさせながら気まずそうに視線を逸らせて後ろ髪を掻いている。
その照れたように染まっている横顔がとても年相応には見えず、口に出された言葉と相まって思わずゆったりと頬の筋肉が緩んでしまった。


「そうですね。誕生日になりましたね。」
「お前なぁ、なんでそう呑気に」
「だって呑気にもなりますよ。誕生日っていう日付が変わった瞬間に好きな人と一緒にいれたんですから」


なんでそうまた良い方にとろうとするかなお前は!?と今にも口に出しそうな不満気な顔をしている木佐さんに本心ですよという意味もこめて宥めるようにゆったりと笑いかける。
そうでなくても忙しい恋人の事だ、会社に泊まり込んで仕事に忙殺される日々が日常と化しているそんな人が、自分の誕生日に帰ってきて同じ空間を共有してくれているというだけで自分は大変幸福者と思うのは俺は当たり前だと思う。


「だって木佐さん、仕事あるのに無理して帰ってきてくれたんですよね。」
「いや、無理とは言わないけど、無理じゃなかったとも言えないと言うか、」
「だから日付変わる前には帰れるように調整してくれたんですよね」


言いにくそうに眉間に皺を寄せてぶつぶつと言葉を並べるその姿に、ちゃんとわかってますからという意味も込めて木佐さんの隣へ移動して、ほわりと笑うといやそれはそうだけどと語気を強められる。
何をそんなに気にしているのだろうと首を傾けると、いやだからね、と半ば自棄のように弁解を述べるべく、ぽつぽつと木佐さんは口を開き始めた。


「乗ろうと思ってた電車三本も逃して早歩きと言う名の競歩並みに家まで歩いて家ついたのが23時過ぎで、なんとか間に合ったと思ってほっとして、お前と和んでたらギリギリ日付変わる三分前に思い出してまだ大丈夫ってちょっとだけ気を張ってるのを緩めてたら、あっという間に日付跨いで15分も経ってたら流石の俺も凹みたくなるのよ」
「良いじゃないですか、一緒にいるんだから。俺は満足です。」
「お前は満足でも俺は気になる。だってせっかく一緒にいるのに」


一番に祝えないなんてそんなの俺の立場って何ってなるじゃんか。なんて言いながら、俺の肩にポスンと頭をもたれ掛かけてくる木佐さんは自分の不貞腐れたようにむくれる顔とその行動の破壊力を良く自覚してからやった方が良い。
衝動的に痩せた肩を引き寄せて向き合い、丸い額に唇を寄せて、至近距離で満面の笑みを咲かせる。
不機嫌そうだった顔をその一瞬で薔薇色に染め上げた恋人にことりと首を傾けながら、伸ばした両腕を肩に回して艶やかな黒髪の毛先を指先で遊ばせる。


「木佐さん、聞きますから、仕切り直してみてください」
「っ、な、そのっ。」
「はい。」


自分がどれだけ緩みきった表情をしていて、とびきり甘い顔をしているのも自覚している。
だけど、そんな俺を見て首元まで赤く染めて、甘い空気にひたすらに動揺しているその姿が愛しくて、微笑むそれが深いものになるのは仕方がないと思う。
二人ではじめて過ごす誕生日という記念日を大切に思っていてくれたことが嬉しくて、くすぐったくて、


「雪名」


泳いでいた瞳が凪いだいつもの木佐さんの瞳に戻る。
きちんと伝えようとしてくれているのがわかって、それだけで胸の内がじんわりと暖かくなった。


「たんじょうび、おめでとう」


その言葉を聞いた後、瞳の縁に朱を穿いて照れたように笑む木佐さんに歯止めが利かなくなって、濡れた唇に唇を重ねる。
愛しいとは言い慣れていないけれど、大切な人に祝われるという幸せを噛み締めるのには十分すぎる言葉と幸福に、ふるりと睫毛を震わせた。

「木佐さん、大好きです。」
「…今言うな馬鹿。」


唇に触れるギリギリの距離でそう囁いて、喉で笑いながらもう一度吸い寄せられるようにそれを重ね合わせる。
苦いカフェインの薫りがふわりと一瞬だけ香って、ふと触れ合う唇を少しだけ上げた。


<終>




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