レナが目を覚ましたとき、隣には誰もいなかった。
『……リーマス?どこにいるの?』
レナは涙のあとをぬぐい、隣で寝ていたはずの人物を探して家の中を歩き回った。
たいして広くない家はあっという間に見終わり、レナの中に焦りが募っていく。
耳を澄ませてみても、朝日が差し込む窓から鳥のさえずりが聞こえてくる以外は何も聞こえない。
しんと静まり返った家は、レナをパニックに陥れた。
『リーマスってば!』
大きな声で叫んだあと、玄関から物音が聞こえてレナは走った。
『リーマス!どこ行ってたの!?』
「やあレナ、起きていたんだね。ちょうどよかった、朝食用にパンを――っわ」
『勝手にいなくならないでよ!私を1人にしないで!』
「ごめん、だまって出て行って悪かった。もう大丈夫……ほら、朝食にしよう」
突然抱きつかれたことでバランスを崩していたリーマスは、袋を横に置いてレナを撫で、支度をしてくるように言った。
レナは朝食を食べている間、気まずくて顔を上げられないでいた。
朝っぱらから取り乱してしまったことも、昨晩勢いで告白してしまったことも、恥ずかしくて仕方がない。
できることなら昨晩に戻り、一方的に言い逃げしたあのときの自分を殴り飛ばしたかった。
(それにしても……)
パンを切り分け、紅茶を準備するリーマスは、いたって普段通りだった。
告白が勢い余ってのことだと理解し、なかったことにしてくれているのか、大人はみんなこんなものなのか、さっぱりわからない。
良かったような、良くないような、複雑な気分だ。
『き、昨日のことなんだけど』
「うん?」
『あ、あの、私、リーマスのこと、す、好きって……』
「ああ、言ってたね」
『あれはその特に深い意味はなくて』
「ははっ、どういう意味であれ嬉しいよ。ありがとう。――あ、ジャム使う?」
『う、うん……』
出されたジャムをパンに塗りたくりながら、レナはどんどん深みにはまっていった。
(嬉しい……ってことは、一応受け入れてもらえてるんだよね?)
後生大事に折鶴やチョコを持っているくらいだから、嫌われていることはないと思う。
つらい状況を紛らわすためとはいえ抱きしめられたし、こうして笑顔を向けてくれることを考えれば、両思いなのではないかとすら思える。
しかし、この反応は“まったく相手にされていない”という表現の方がしっくりくる気がした。
(もしかして、ああいうことに慣れてるのかな……?)
リーマスはレナと違って大人だし優しいから、告白された経験も多そうだ。
もともとはぐらかすことが得意なぶん、相手を傷つけないようにかわすことに長けていてもおかしくない。
もしそうなのだとしたら、しつこく聞くことは自分の首を絞めることになりかねない。
(ううーん……気になるけど聞けない……)
葛藤することに夢中になっていたレナは、パンが全面ジャムまみれになっていることに気づかなかった。
「レナ、そのままいくと持つところがなくなるよ――というか、もうないね」
『え?あっ、やば!』
レナはあわててスプーンを手放し、目の前の難題に向かい合った。
どう頑張っても手を汚さずに食べるのは無理そうだ。
幼い子どものように手をベタベタにしながらパンを食べるレナを見て、リーマスは肩を震わせた。
散々な朝食を終え、レナはグリモールド・プレイスに戻ってきた。
ひと晩しか経っていないというのに、数ヶ月ぶりに訪れた気分だ。
シリウスがいないということを意識しただけで、家全体が暗く沈んでいるように見える。
頻繁に人の出入りがあり、お茶を出したり片づけをしたりで忙しく、感傷に浸る暇がなかったことは不幸中の幸いだった。
ただ、それは日中だけのことで、夜も同じようにとはいかなかった。
寝てしまえば何も考えずに済むだろうと早めにベッドに入ったまではよかったが、なかなか寝付けない。
時計の針の音がやけに大きく聞こえ、1日の終わりが近づくにつれて自分の鼓動も大きくなっていく。
昨日の今頃――と考えたら、ついに我慢できなくなった。
レナは起き上がり、部屋を出た。
(誰かいるといいな)
キッチンに向かったレナは、わずかに開いたドアから廊下に光が漏れ出ているのを見つけてほっと息を吐いた。
階段を降りきったところで、声も聞こえてくる。
リーマスとトンクスの声だ。
内容もただの雑談のようで、レナにとって最良の組み合わせに感謝した。
しかし、明かりに向かって歩みを進めたレナは、光の帯まであと1歩というところで足を止めた。
「レナとはどういう関係?」
そう、トンクスが聞いたのだ。
問いかけた相手はもちろんリーマスだろう。
ドキンと心臓が大きく跳ねた。
「ダンブルドアから聞いてるとおりだよ」
リーマスの声は冷静だった。
食事中によく聞くトーンで、トンクスの質問が聞こえていなければ躊躇なく中へ入っていただろう。
しかし、しっかり自分の名前が聞こえていたレナは、ドアに伸ばしかけていた手を引っ込めた。
「でも、特別に気にしているみたいじゃない?ハリーを気にかけているときとはまた別の感じ」
「そんなことないよ」
「ごまかしてもダメ。私わかるの、あなたのことをよく見てるから」
自分の鼓動がどんどん早くなっているのがわかった。
心臓が、布団から時計を見ていたとき以上に大きく波打っている。
(たぶん、これ、聞いちゃダメなやつだ)
レナはゆっくり後ずさりをした。
トンクスはよくレナにリーマスのことを聞いていた。
それはレナが答えやすい話題だからだと思っていた。
だけど、理由は、それだけじゃなかったのかもしれない。
「何をしている」
突然背後から声をかけられ、レナはあやうく悲鳴をあげるところだった。
止まりかけた心臓を押さえながら振り返ると、真っ黒い影が階段を降りてきていた。
スネイプだ。
(どうしてこんな時間にこんなところに!)
レナは静かにするよう口に指を当て、来ちゃダメだとジェスチャーで示した。
しかし、スネイプは眉間にしわを寄せただけだった。
レナは足音を立てないように気をつけながら階段を駆け上がり、不審がるスネイプを後ろへ押した。
「ルーピンはどこだ」
『へ、部屋じゃないかなあ』
「ノックをしても返事はなかった」
『寝てるとか?』
「嘘をつくな何を隠して――」
「どうして!?」
スネイプがまったく動こうとしないせいで、ついにトンクスの大きな声が聞こえてしまった。
おかげで何か問題があったのかと勘違いしたスネイプが階段を降り始めてしまう。
レナは腕を引き、首を横に振った。
「納得いかないわ!」
レナとスネイプが階段と廊下の狭間で揉めている間にも、キッチンからはトンクスの声が聞こえてくる。
「そんなの気にする必要ないじゃない!」
「離せサクラ……あれはいったいなんの話だ」
『しーっ』
レナは、様子を見に行こうとするスネイプを必死に止めた。
これ以上近づいたらリーマスの声まで聞こえてしまう。
というか既に、人狼がどうこうという会話が聞こえてきている。
「それに、若すぎる」
「それじゃ納得できないって言ってるの!そんなの恋愛が出来ない理由にならないわ!」
「私にとっては十分すぎる理由だ」
ここまできてようやくスネイプは事態を把握したようだった。
「ああ」と小ばかしたような声を出し、レナに哀れみの目を向ける。
レナの聞き間違いでなければ、「くだらん」と言った気がした。
スネイプはレナの腕を振り払い、言い合いを続けている2人の元へ何の躊躇もなく歩いていった。
廊下に伸びていた明かりの帯にスネイプの姿が浮かび上がったところで、声はピタッと止まった。
「お取り込み中のところ申し訳ないが、話をしてもよろしいですかな?」
「よろしくないわ。後にしてくれる?」
「我輩が用があるのは君ではなくそこの人狼だ。もちろんダンブルドアの使いでね」
「でも私が先に話していたの」
「いや、いいよセブルス。話を聞こう」
「まだ私の話が終わっていないわ!」
ダン、と何かを叩く音が聞こえた。
スネイプがドアの隙間を広げたことで、音がよく聞こえてくるようになっていた。
「失礼だが、ニンファドーラ、君の話はもう終えたように思えたが?」
「なっ、まさか、聞いて……」
「ドアを開けて大声を出していたのだ、てっきり聞かれることを期待しているのかと思いましたぞ。内密にしたい話なのであればドアを閉め盗み聞き防止の呪文をかけるべきだというのが我輩の意見だが――どうやら闇払い術師は違った教育を受けているようですな」
「……あんたって、本当に嫌なやつね」
「であれば外に出ていたまえ。我輩は君がいなくとも何ら問題はないのだ、君もわざわざ嫌いな者の顔を見るために残る必要はあるまい」
「言われなくても出ていくわよ!」
レナがハッとしたときには、トンクスが勢いよくキッチンから出てきていた。
スネイプが長々と話している間に部屋に戻っていればよかったと思ったが、もう遅い。
トンクスは階段にいるレナに気づき、一瞬気まずそうな表情を見せ、「スネイプがいるから今は行かないほうがいいよ」と言い残して去っていった。
トンクスが上の階に消えていくのとほぼ同時に、蝶番が軋む音がして、食堂のドアが閉められた。
廊下は真っ暗になった。
急に息苦しくなり、動けなくなる。
暗闇に押しつぶされそうになっているレナの頭に、リーマスの言葉が繰り返し響いていた。
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