「2つ目は、私の任務についてだ」
荷造りが終わるとリーマスはトランクの上に腰掛けた。
視線は窓の外を向いている。
レナの位置からでは、外は暗くて見えず、ガラスに反射したリーマスの顔が見えるだけだ。
浮かない表情が、あまりよくない話であることを物語っていた。
「昨日の夜、スネイプが伝えに来てね……スパイをしに行くことになった」
『スネイプと同じ任務?』
「いや、似ているけど少し違うかな。私は人狼の群れに行くんだ」
リーマスはため息をつくように言った。
「やつらの多くはヴォルデモートに付こうとしている。私の任務は、彼らの様子を探りながら説得することだ」
『リーマスにぴったりの任務じゃん』
「……そうだね」
レナは“説得”という任務内容について言ったつもりだったが、リーマスは別の意味に捉えた。
嘲笑の混じった声で「まさにおあつらえ向きだ」と呟いたきり、黙り込んでしまう。
『えっと……いつからいつまで?』
「接触はすぐにでもする。本格的にもぐりこむのは8月になってからだ。終わりは……そうだな、それが必要とされなくなったらかな」
『わからないってこと?』
「そうなるね。必要な仕事だし、不平を言うつもりもない。ただ――」
リーマスは言葉を区切り、レナを見た。
迷っているようでもあり、レナが何か言うのを待っているようでもあった。
続きを察することができなかったレナは、リーマスの次の言葉を待った。
何かを言いかけてやめる、という動作を何度かくり返したリーマスが選んだ続きは、「グレイバックと一緒に行動をすることもあるかもしれない」だった。
『グレイバックって誰?』
「お尋ね者の人狼だよ。今朝の新聞に出ていただろう?」
『そうだっけ?』
ダンブルドアしか見てなかったことを正直に告げると、リーマスは目を丸くした。
「あれ?それならどうしてあんなに様子がおかしかったんだい?私はてっきり、狼人間の実態を知って恐れ戦いているのかと思ったんだけど」
『そのグレイバックって人がお尋ね者だからって、リーマスには関係なくない?』
「私もやつと同じ狼人間だ」
『そうだけど、リーマスを怖がる理由にはならないよね?』
「……え?」
『え?』
リーマスは困惑気味にレナに新聞を渡した。
その記事は、大きなダンブルドアの写真のすぐ下にあった。
フェンリール・グレイバックという狼人間が仲間と共に次々と人を襲っているという、人々に注意を促す内容だった。
「そいつは、1人でも多くの人間を咬むことこそが自分達の使命だと思っている。……私も幼い頃、そいつに咬まれた」
衝撃の告白に、レナは思わず大きな声を出して立ち上がった。
『そんな人と一緒にいろって、ダンブルドアが言ったの?ひどくない!?』
「スネイプだって死喰い人になっているんだ。私だけが個人的な理由で逃れるわけにはいかない」
『そうスネイプに言われたの?』
「彼はスパイの先輩として応援してくれたよ。私の能力次第で望まないことをどれだけ避けられるかが決まるとね。……まったく、いいアドバイスだよ」
『大丈夫だよ。リーマスはパッと見なら人当たりいいし、丸め込むのもうまいじゃん。――あ、これは褒め言葉ね』
「ははっ、ありがとう」
苦笑いをするリーマスは、幾分か明るさを取り戻したようだった。
レナの横に座り直し、覗き込むようにして視線を合わせた。
あまりにじっくり見るのでレナが気まずくなってきた頃、リーマスはおもむろにレナの両頬をつねった。
『なっ、なひ!?』
「パッと見ということは、こうやってじっくり見たらそうでもないということだよね?」
『こーゆー行動が原因だって気づいてもいー頃だと思ふよ』
「でも好きなんでしょ?」
『ふあっ!?』
「やっぱりレナはマゾヒストの素質あるよね」
『あの、リーマスさん……?何をおっひゃってるのやら私にはさっぱり……』
リーマスの変貌っぷりに、レナはついていけなかった。
混乱するあまり話し方がおかしくなり、またしてもリーマスに笑われる。
やっぱりからかわれていたのかと思ったところで、リーマスの手が頬から離れた。
「まあ冗談はこのくらいにして、あえて自分を追い込む必要はないということだよ」
『うん、意味わかんないね』
「私がいない間にここに飽きて帰りたくなったら、ダンブルドアに頼んでみるといい。彼ならなんとかしてくれるかもしれない」
『アニメーガスになるのを見せるまで帰らないってば』
「レナ、本当にいつになるかわからないんだ。手紙で知らせることもできない。……それに、私は犯罪者になるかもしれない」
『誘拐犯が何をいまさら。それにシリウスも犯罪者なんでしょ。私も犯罪者予備軍だし、いっしょいっしょ』
努めて明るく答えながら、もしかしたらリーマスは不安なのかもしれないとレナは思った。
そして、自分の中で何かがふっきれるのを感じた。
『頑張って、リーマス。私はご飯と笑顔を準備して待ってるから』
「きっとすぐに待っていることが馬鹿らしく思えるよ」
『どうかな』
レナは、リーマスがレナをからかうときによく使う笑みを作った。
『放置プレイでもなんでもどうぞ』
「はは……レナはどんどんたくましくなっていくね」
『任せて。そのうちリーマスより強くなるから』
ポーカーフェイスの裏側に、バスルームで震えていたリーマスが隠れているなら、放っておくわけにはいかない。
レナの手の届くところに蛇口があるなら、雨を止めてあげたいと思う。
そのためにピエロになる必要があるなら、喜んでなってやる――。
そう決心し、リーマスのニコニコ笑いを真似し続けているレナに、本物が向けられた。
「じゃあ添い寝は必要ないかな?」
『いっ、いらないっ!』
再びベッドをポンポンと叩かれ、レナは真っ赤になって立ち上がった。
(やっぱりピエロは嫌かもしれない!)
話が終わりならもう寝ると言って部屋を飛び出すレナの背中を、リーマスの笑い声が見送る。
ドアが閉まる直前に、「私に勝とうだなんて100年早いよ」という声が聞こえた気がした。
「……こんなはずじゃなかったんだけどな」
1人になった部屋で、リーマスは笑みを顔に張り付かせたまま新聞を折りたたんだ。