短編 | ナノ 白兎と紅茶色の狼
ルーピン
 その年の2月はバレンタインとホグズミード行きが重なり、城内はいつになく浮き足立っていた。廊下だろうが大広間だろうが、授業中の教室だろうがお構いなし。生徒達は誰かを誘ったり当日の計画を話したりすることに夢中だ。彼らにとっては、学問よりもイベントごとのほうが大事なのだ。自分が学生だった頃となんら変わりないホグワーツに、リーマスは思わず笑みがこぼれた。


「ナマエ、一緒にホグズミードにいかないか?」
「それはおいでおいで妖怪だよ、ロジャー」


 防衛術の教室内は、どっと笑いに包まれた。が、リーマスの顔からは笑みが消えていた。なぜ生徒達と一緒になって笑えないのだろうという疑問にはすぐに答えがでて、慌てて笑顔を取り付くろった。


「今日の授業はここまで。宿題はレッドキャップについて書いてくること。羊皮紙2巻きだ」


 笑い声は「えー!」という大合唱に変わった。無理もない。週末はバレンタインなのだ。宿題どころではない生徒も多いはず。本当は宿題なんて出すつもりはなかった。だけど、気が変わった。ロジャーが口にした名前が、ナマエだったからだ。笑いながら『私はこっちだよ』と言ってるナマエが、案外乗り気なのも気にくわなかった。


「まさか、ね」


 自室に戻り、リーマスは自嘲的に笑った。ホグワーツに赴任して、たった半年しか経っていない。しかも相手は生徒だ。嫉妬を――恋をするなんて、ありえない。


『先生』


 リーマスの混乱なんてお構いなしに、ナマエは部屋にやってきた。彼女は闇の魔法生物に興味があるようで、こうしてしょっちゅうリーマスの部屋を訪れている。


『先生、ルーピン先生』
「ん?」


 名前を呼ばれたくて、聞こえているのに、わざと聞こえないフリをしたりした。望んだって手に入れることができないものだから、このくらいの意地悪は許されると思う。


『宿題をやっていてわからないことがあったんですが……』
「ああ、それはね」


 ナマエは教科書には載っていないような、つっこんだ話を聞きに来る。今も、手に持っているのは図書館にある専門書だ。質問に来てほしいからといって授業の手を抜くわけにはいかないから、ナマエがこの科目を好きで、なおかつ勉強熱心でいてくれてよかったと思った。一通り説明をし、休憩がてら一緒にお茶を飲む時間が最近の楽しみだった。


「それにしても、さっそく宿題に取り掛かるとは感心だね」
『気になることはすぐに調べてしまいたかったので。それに、明日はホグズミードですから』


 話を振るんじゃなかったと後悔した。やめておけばいいのに、口は勝手に「ロジャーと行くのかい?」と聞いていた。


『そうなんです。新しくできた紅茶専門店があるから一緒に行かないかって誘われちゃって』
「へえ」


 気のない返事をしながら、リーマスは今しがた使ったばかりの紅茶缶をこっそりしまった。ナマエが専門店に行くほど紅茶好きだとは知らなかった。毎回おいしそうに飲んではくれているが、自分が出しているものはいつも安物のティーバッグだ。申し訳ないやら恥ずかしいやらで、気がつくとリーマスは「今日は忙しいんだ」と言ってナマエを帰していた。


『先生、見てください。ティーバッグ詰め合わせです!可愛いですよね』


 ホグズミードの次の日、ナマエは小洒落た缶を持ってきた。あの男子生徒と一緒に行ったホグズミードで買ったものかと思うと無性にイライラする。と同時に、わずかに物悲しくなった。

 デートで買ったものをわざわざ見せびらかしにくるあたり、ナマエにとって私は体のいい話し相手程度でしかないのだろう。もちろん友達になれるような年齢ではないし、ましてや恋人など夢のまた夢だ。ただの話し相手でも、ただの教師よりはまだましだと思うべきなのだろうが、そう上手く感情をコントロールはできなかった。


『半額になってたので、つい2つ買っちゃいました』
「半額を2つ買ったら定価と変わりないだろう」
『そうなんですけどね。1つおまけでもらった気分でいいじゃないですか。ということで、先生にあげます』
「私に?」
『はい。先生もティーバッグ好きですよね』


 ナマエは部屋にある円筒状の缶を見た。私はお茶会で出すようなこだわりの茶葉も、おしゃれなガラスの容器も持ったことがない。シリウスやジェームズ宛に届いたものを、一緒にご馳走になったことがあるくらいだ。もちろんそれは私がティーバッグを好んでいるわけではなくて、ただ単純にお金がないから味や銘柄にこだわる余裕がないからなのだが、ナマエは私の好みだと解釈したらしかった。


『紅茶は茶葉で入れなきゃっていう本格派の人が多くて……でも、ティーバッグって、安いしお手軽だし誰でもおいしく作れるし、私大好きなんです』
「それは、遠まわしに私が貧乏で紅茶を入れるのが下手くそだと言いたいのかな?」
『そういう意味じゃないです!』


 少し意地悪な質問をすると、ナマエは慌てて首を振った。表情から“そういう意味”がまったくないわけではないことが伝わってきて、私は苦笑いをする。


「無理をしなくていい」
『本当です。ただ、ちょっと……』


 ナマエは、遠慮がちにもごもごと口を動かした。


『私、細かい作業が苦手で……だから魔法薬学とかてんで駄目なんですが、もしかしたらルーピン先生も同じなんじゃないかなって……違いますよね。お忙しいからですよね。すみません』
「いや……私も薬を煎じるのは苦手だよ」
『本当ですか!?』


 そんな些細なことで喜ばないでほしい。簡単に『ロジャーは話合わなくて』とか言わないでほしい。期待を持たせたところで、私にはどうすることもできないのだ。


「ずいぶんと凝った缶だけど、何の紅茶が入ってるんだい?」


 私は話題を変えるために、渡された缶へと視線を向けた。立方体の缶にはびっしりと蔦や花、動物が描かれていて、置いておくだけでもインテリアとして映えそうだ。蓋を開けると、詰め合わせとだけあって、中にはいろいろな種類の紅茶が入っていた。


「もしかしてこれ、百味ビーンズの紅茶版かい?」
『違いますよ。お試し用の試供品みたいなものです』
「気に入ったものは茶葉で買ってくれってこと?」
『たぶん。商売上手ですよね。同じものを飲みたいと思っても、それぞれ1個しか入ってないんですもん』
「お勧めは?」
『アプリコットジンジャー。昨日飲んだんですけど、おいしかったです』
「じゃあ、それは君が飲むといい」


 せっかくの2つ目なんだからと言って、私はオレンジ色のタグがついたものでナマエの紅茶を準備した。もちろんナマエの喜ぶ顔が見たかったからなのだが、ナマエは『先生優しい!』と言って、深く考えもせずにマグカップを受け取った。


『そういえば、この缶の絵、ルーピン先生に似てるなって思ったんです』


 ナマエは自分の缶を取り出し、隅のほうを指差した。どれ?と覗き込み、私は一瞬言葉が詰まった。


「狼じゃないか」
『鳥のほうが良かったですか?』
「いや……しかし、私は狼ではないし……」
『当たり前じゃないですか。あ、でも、人狼っていう可能性はありますよね』


 悪気なく言っているのがわかるだけに、どう反応していいのかわからなかった。まさかと嘘をつくことも、実はそうだと冗談めかして言うことすらできない。「どうして?」とかすれた声を出すことしかできなかった。


『うーん、なんとなく、です。でも、よくよく考えたら先生が狼って変ですね。神経質でもないですし、攻撃的でもないですもんね』
「それは、どうだろうね」
『だって先生優しいですもん。神経質で攻撃的って言ったら、スネイプ先生のほうが――』


 楽しそうに話すナマエを見るのは好きだったが、今は気が気ではなかった。


「私がもし人狼だったらどうする?」
『そうですね……変身後の姿がもふもふだったら、飼いたいです』
「……」
『先生?どこか具合でも?』


 顔色が悪いと心配するナマエに、ぎこちない笑顔を向けることしか出来なくて、私は「そうらしい」と言ってナマエを追い出してしまった。衣食住に困らない人間らしい生活を送っていたことで、自分が何者なのかを見失いかけていた。毎月決まった時期にスネイプが煎じてくれる薬を飲まなければ、自我を保つことすらままならないのに。

* * *

 それから数ヵ月後、叫びの屋敷で私は改めてそのことを思い知らされた。


「先生を信じてたのに!」


 ハーマイオニー・グレンジャーは言った。私が人狼だと知っていたと。知られていたことにも、知っていてばらされなかったことにも驚いた。彼女の判断に感謝をするべきだろう。

 だが、それよりも真実を聞いたときのハリーとロンの表情にショックを受けた。特にハリーは友人の息子として親しくしていたし、守護霊を出せるように個人授業をして、つくしてきたつもりだった。にもかかわらず、驚きと、恐怖と、裏切られたような表情をした。あれが普通なのだ。

 同時に、ナマエに気づかれていなかったことが奇跡に近いことなのではないかと思った。勉強熱心な彼女のことだ。人狼についても特徴を一通り調べたに違いない。満月のたびに体調を崩す私と人狼をいつ結び付けてもおかしくはなかったはずだ。実は知っていたのでは?と紅茶の缶でのやり取りを思い出したが、あの時の彼女は嘘をついているようにも探っているようにも見えなかった。

 次の日、私はナマエに正体が伝わる前にこの学校を去ろうと決意した。普通の反応だとわかってはいても、彼女に裏切りものを見るような目では見られたくなかった。

 しかし、校門を抜けたところで息を切らして走ってきたナマエに呼び止められた。すぐに姿くらましをしてしまうことも出来たが、私はホグズミードへ向かって歩いた。


『先生、あの……すみません。私、知らなくて……』


 振り返らない私を追って、ナマエが小走りでついてくる。ナマエは私の背後で、人狼についてあれこれと楽観的なことを述べていたことを詫びた。


『あの絵のことも、本当に他意はなくて――』
「いいよ、もう」


 横に並ばれないように、顔を見られないですむように、走る一歩手前のスピードで歩いてきたため、予定より早く駅についてしまった。汽車はまだ来ていない。


「ナマエ、学校に戻りなさい」


 ホームに荷物を置き、私は観念して振り返った。ナマエは私と目が合う直前に、パッと下を向いた。ローブの裾を握る手が、わずかに震えている。目を合わせたら噛み付かれると思っているのかもしれない。私がそんなことをするわけがないのに。手に入らないならいっそ、だなんて考えられるほど私はふっきれることもできない。


「学校に戻るんだ」


 突き放すように、努めて冷たい声を出した。ナマエが二度と私に話しかけようとしないように。私が二度と彼女の笑顔が欲しいだなんて思わないように。ナマエに背を向けて、早く汽車が来ないかと、線路の先へと視線を向けた。


『先生も、戻りましょう』


 ナマエは遠慮がちに私のつぎはぎだらけのローブをつまんだ。


「……ダンブルドアには迷惑をかけられない。それに、私のような者は、こういう扱いには慣れているんだ」


 職場を追われるのも、叶わぬ恋をするのも。


『ルーピン先生』
「汽車が来たようだ。では私はこれで――」
『好きです』


 耳を疑った。驚きのあまり、汽車に乗り込むまで振り返るものかと決めていたのも忘れてナマエを見た。ナマエはまだ下を向いていた。


『私、ルーピン先生が好きです。先生のことだから、告白されているのも慣れていると思うけど……でも私、ただの生徒で終わりたくなくて――』
「何を言っているんだ。私は人狼なんだ」
『人狼でも、私は先生が好きです。』


 ナマエの靴のつま先に、ポタポタと滴が垂れていることに気づいた。顔を上げていなかったのは、どうやら涙を必死にこらえていたかららしい。先程より強く、ローブを握り締めていた。


『ごめんなさい。本当は水魔も赤鬼も興味ないんです。質問するところを見つけたくて、必死に勉強してたけど、教えてもらったことは全然覚えていないの』
「じゃあ、人狼も?」
『もっと真面目に勉強しておけばよかったって後悔してます。今は、何よりもよく知りたいと思う』


 到着した汽車が蒸気を吐き出し、ナマエは顔を上げた。


『私、たくさん人狼のこと勉強して、ルーピン先生のことをもっと理解できるようになります。恐ろしさも、不便さも、悲しみも全部知って――それでもまだルーピン先生が好きだったら、もう一度告白します』
「わかった。待ってるよ」


 そう言えばもうナマエは手を離すしかないとわかっていて、私は微笑みを作って答えた。

 全てを知ったら、きっとナマエは私を探そうとは思わない。それに、学生のころの恋なんて長続きはしない。ましてや教師相手の恋心なんて、一時のあこがれのようなものだ。

 紅茶と同じで、いつまでも浸していれば渋みしか残らない。私と再び会うまでに、ナマエはもっと若くて健全な、身近な人物に恋をするだろう。それでも、もし――。


「じゃあ、フィルチに見つからないよう気をつけて帰るんだよ」


 私は頭に浮かんだありえない未来の光景を首を振って打ち消し、汽車に乗り込んだ。さよならのキスをすることも、連絡先を教えることもできた。でも私はそのどちらもせずに、コンパートメントへ移動する。ごく自然な別れすることができたと思う。私の気持ちは気づかれなかったはずだ。

 これでよかんたんだと自分に言い聞かせ、イスに背を預けて少ない荷物から空き缶を取り出した。中身のティーバッグは1ヶ月もせずに使い切ってしまった。我ながら女々しいと思いつつも、捨てられずに新しいものを買うたびに中身を入れ替えて使っていた。そのため、ところどこ塗装がはがれてしまっている。保存魔法はかけていない。缶が色あせ錆びが生じていくように、この想いも時間と共に色あせていけばいいのにと思ったから。

* * *

 景色が変わり、季節が変わり、部屋の片隅に置かれた缶はどんどん色あせていった。それでも空になるたびに中身を補充し、私はその缶を使い続けた。例えナマエが約束を忘れたとしても、私が忘れないように。あの一瞬だけでも、人狼でもいいと本気で思ってくれていたら……と思いたかった。


『ルーピン先生、いますか?』


 幻聴かと思った。しかし、ノックされたドアを開けると、家の前にはナマエがいた。大人の女性へと成長したナマエは、笑って目の前から消えた。代わりに、足元に小さな白い塊が姿を現した。


「なっ――」


 誰から聞いたのか知らないが、ナマエはかつて親友達がそうしたように、アニメーガスになって私の前に現われた。これが彼女なりの答えなら、待っていたのはただの私の自己満足ではなかったということだ


「しかしウサギとは……」


 ナマエは本当に人狼のことを勉強してきたのかと聞きたくなる。狼の前にウサギの姿で来るなんて……


「食べられに来たようなものじゃないか?」


 ピンッと警戒して耳を立てたウサギを拾い上げて家の中に招き、もうすっかりガラクタ同然の見た目になってしまった缶から、紅茶のティーバッグを2つ取り出した。


「ひとまず人間に戻ってくれるかな?ちょうどアプリコットジンジャーがあるんだ」


 満月の夜にどうやって一緒に過ごすかは、それから考えよう。
白兎と紅茶色の狼 Fin.

[メジャー企画より]
・人狼だからと思いを伝えないリーマス
・つかず離れずだけど最後は結ばれる
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