ナマエが白昼夢呪文を使ってみようと思ったのは、ほんの気まぐれだった。スネイプ教授にこき使われる毎日だったから、ちょっとした憩いが欲しかったのだ。生徒から没収したのであろう悪戯グッツを片付け中に見つけたナマエは、部屋の主が留守なのをいいことに、きれいにしたばかりの机に座り、夢の世界に旅立つことを決めた。
* * * ナマエは河原に立っていた。流れる川はお世辞にもきれいとは言えず、上流へ目を向ければ、川を汚している原因と思われる寂れた工場が遠くに見える。その手前には、同じ形をしたレンガ造の家が連なっている。どの家も窓が小さく、閉鎖的な印象を受けた。
さらに川に沿って小高い丘に上ると、のどかな丘陵風景が顔を出した。陽の当たる丘には小さな公園があり、ペンキのはげたシーソーとブランコが置かれている。あまり手入れはされていないようで、芝はところどころ枯れて土がむき出しになっており、花もあるにはあるが、植えられているのか雑草なのかわからないような状態だった。ベンチには落ち葉がつもり、水飲み場らしき水道の蛇口からは絶え間なくポタポタ水が落ちている。
『どこだろう?』
ナマエは杖を振って落ち葉をどかし、ベンチに座って考えた。特にどんな夢がみたいとは考えていなかった。だからなのか、ナマエの目の前に広がる景色は見たことがない景色だった。
ナマエは箱裏の説明書きをよく読んでくればよかったなと思った。見たい夢がない場合どうなるか――まさか悪夢を見ることはないだろうが、せっかく使ったのだから幸せな夢が見たいものだ。
『どうしようかなあ』
ここがどこなのか尋ねようにも、辺りに人の姿は見えない。特に行くあてもないのでこのままのんびり過ごすのもいいかもしれない。ナマエは無意識に杖をいじり、蛇口から垂れる水をぷかぷかと浮かべた。
『お。きれい』
夢だからなのか偶然なのか、はたまたここの地域の水質なのか、空中に漂う小さな水球は、太陽の光を受けてシャボン玉のように虹色に輝いていた。
『癒されるわー』
お世辞にも桃源郷と言えるような場所ではない。しかし、先ほどまでいた場所を考えれば、十分憩いの場と言えそうだ。ホグワーツの地下は、一部の特別な場所を除いて太陽光は届かない。ナマエが作業をしていたスネイプの薬品庫ももちろんそれに当てはまり、なおかつ部屋の主まで暗いときたもんだ。
セブルス・スネイプという人物は、魔法薬学の教授としては申し分ない知識と経験を持ち合わせた人物ではあったが、性格に難有りだった。助教授として赴任してから毎日雑務を押し付けられ、絶え間なく嫌味を言われ……スリザリンだからと片付けてしまうにはあまりにも意地悪で、ナマエは心折れそうだった。それでも毎日彼に従っているのは、それだけスネイプの技術が優れているからなのだが――繰り返しになるが、とにかく性格に難有りなのだ。
『スネイプ教授には似合わない景色ね』
育ちすぎたコウモリと揶揄されるだけあって、セブルス・スネイプはとことん青空の似合わない男だった。どちらかというと、最初に見た廃工場周辺の路地裏のほうが似合うだろう。本人が聞いたら反撃の嫌みが降り注ぐこと間違いなしなことを考えながら、ナマエは杖をとりだしてクルクルと弄んだ。
調子にのって次々と水を浮かべていると、土手の方からガサッと物音がした。
『……?』
風で木々がそよぐ音にしては大きい。夢の中だからマグルに見られても問題ないのだが、ナマエにちょっとした悪戯心が芽生えた。
(のぞきはよくないぞ)
ナマエは水でできたシャボン玉を、音がした茂みの方へと飛ばした。
「うわぁぁ!」
『え?子ども?』
尻餅をつくような音と一緒に聞こえた声は、あまりにも幼い声だった。驚かせるべきではなかったと思いながらナマエは茂みの方へ歩き、逆に驚かされた。
『――あ』
「な、なんだよ!」
茂みにいたのは、幼い少年だった。ホグワーツ入学まであと4〜5年といったところだろうか。手入れのされていない髪はねっとりと肩まで伸び、身につけているスモッグは大人物のお古らしく、年齢にそぐわないデザインでところどころほつれている。
怯え半分、興味半分の表情ではあったが、眉間にめいっぱい力を入れて睨みつけるその目が知り合いによく似ていた。
『お名前は?』
「セブルス・スネイプ」
『――わお』
我ながら間抜けな反応だったとナマエは思った。だが――当たり前のことではあるが――あの陰険教授にも幼い子ども時代があったなんて想像しようとも思わなかったため、飲み込むまで少し時間がかかった。
「おまえは誰だ?」
『ナマエ・ミョウジよ』
「今のはなんだ」
『シャボン玉かしらね』
「うそだ。すいどうの水だったはずだ」
『よく見てるわね』
「あやしいやつがいるから、みはっていたんだ」
(か、かわいい……っ)
相変わらず嫌みっぽい言い方だが、いつもの半分程度しかない身長からたどたどしい言葉で言われれば印象も変わる。への字に曲げられた口の上のほっぺも肉が少ないながら弾力がありそうで、思わず触ってみたくなる。
「スネイプってどういうことだ」
『ああ……ええと、私の先生の名前よ』
「先生?」
『魔法学校のね。君によく似てるのよ、セブルス君』
「魔法……」
セブルス少年はナマエの杖を物欲しそうな目で見ていた。
『やってみる?』
「!」
ナマエがしゃがんで杖を差し出すと、セブルス少年の目はまん丸になった。しばらくそのまま杖を凝視していたが、やがて「いい」と言ってぷいっと横を向いた。
「しらないやつの言うことをしんじるなんて、バカのすることだ」
『そう?楽しいよ?』
ほら、と言って、ナマエは杖先から小さな白い花を出して見せた。先ほどの水玉のように、花は風に乗り、綿毛のように無数に空へ飛び立った。それを横目で見るセブルス少年の顔は、明らかに興奮していた。その反応が面白くて、ナマエは次から次へと様々な花を出した。
最初こそ胡散臭そうに細めで見ていたセブルス少年だったが、最後のほうには目をキラキラと輝かせていた。30年後からは信じられないような純粋さだ。
『ね?やってみたくなったでしょ?』
「べつに……」
『そう言うわりには、さっきから目が杖に釘付けだけど』
「あやしい魔法をかけられないかどうか、みはってるんだ!」
『なるほど。警戒心が強くてよろしい』
褒められるとは思っていなかったらしいセブルス少年は、反論しようとして口を開きかけた格好のまま、目をパチパチとした。
(く……っ、かわいい!)
これがあの陰険教授だなんて信じられないとナマエは思った。元が元だけに、あどけなさとか素直な反応とか、子どもとしてはごく普通の行動1つ1つが、全てかわいらしく感じてしまう。
『でも、見張るなら物音を立てちゃ駄目だなー』
「お前がスネイプって言ったからだ」
『ああそっか』
「ぼくのちちおやの名前もスネイプだ」
そりゃそうだと答えたくなるのをこらえ、ナマエは『そうなんだー』と笑顔で返した。未来の自分のことだなんて夢にも思わないのだろうから、“先生”としてふさわしい年齢の父親を思い浮かべるのにも納得だが、わざわざ“ぼくも”ではなく“ぼくの父親も”と言ってるあたりがまた可愛い。
「でも、あいつは魔法は使えない」
『ということは、お母さんが魔女なのかな?』
「そうだ。でも、あいつがいるときは魔法は使わない」
父親を“あいつ”と称したことと、セブルス少年の顔が曇ったことから、ナマエはあまり触れないほうがいい話題なのだと感じた。スネイプ教授の幼少期の話なんて聞こうと思ったことすらないが、明るく育たなかったのは家庭のせいだったのかもしれないと、なんともいえない気持ちになった。
『セブルス君は魔法に興味があるの?』
ナマエは話題を変えようと思い、スネイプ少年に聞いた。いくら幼いとはいえ、セブルス・スネイプのことを“セブルス君”と呼ぶには抵抗があったが、かろうじて顔は引きつらずにすんだ。セブルス少年は少し黙ったあと、無言で頷いた。
『呪文もいくつか知ってるのかな?』
「……すこし」
『じゃあ杖や、学校の話は?』
「……」
知らないと言うのが悔しいのか、セブルス少年は急に口をつぐんでしまった。
『私の杖はね、ダイアゴン横丁っていう魔法商店が並んでいる通りで買ったの。オリバンダーっていう、イギリスで1番の腕利き職人がいるのよ』
「ナマエの杖のことになんかきょうみない」
『セブルス君も杖を買うときはきっとそこで買うようになるよ』
「ぼくの、杖……?」
『そそ。学校に行く前に、みんな杖を買うの。杖のほうから魔法使いを選んでくれるのよ』
「フン、子どもだからってバカにするな。杖がかんがえを持ってるわけないだろ」
『それが持ってるんだなー。写真や絵も動くしね。魔法界の常識だよ』
「絵もうごくのか?」
興味がないと言いながらも、セブルスは学校や魔法界について次々に質問をしてきた。
寮の話や授業の科目については特に興味を持ったようで、身を乗り出して聞いていた。
『さっき私がやってたのは浮遊呪文。やってみる?』
「……できっこないと思っているんだろう」
『そんなきとないわ。はい。杖貸すから、振ってみて』
「……」
セブルス少年は黙ってナマエから杖を受け取り、水道に向かって杖を振った。とたんに蛇口が吹き飛び、噴水のように水が高く吹き上げた。
『おお!すごいすごい』
「ぜ、ぜんぜん思いどおりにいかないじゃないか!」
『最初はそんなものよ。小さな水滴に狙いを定めて浮かせるのはなかなか難しいから上手くいかなくて当然』
「おまえのことをすごいだなんて思わないからな!ぼくが学校に行けば、お前なんかよりずっとすごい魔法が使えるようになるんだ!」
『うんうん。そう思うよ!先生になれるくらい強くなれると思うよ!――ということで、杖を返そうか。ね?水道直さなきゃ』
「ぼくがなおす。呪文は知ってるんだ!――レ……?レ……レダクト!」
『違う違うっ!!』
バーンという音がして、杖先から火花が散り、水道が台座ごと吹き飛んだ。空高く舞い上がった台座は、狙いすましたかのようにナマエの頭に振ってきた。
* * *『痛ぁ……』
「それだけ盛大に床に頭を打ちつけたのだ。痛いと感じることができただけでも幸運だったと思うことですな」
気がつくとナマエは冷たい石床に転がっていた。イスに座ったまま後ろに転倒したらしく、強かに打った頭は正常な思考回路を回復するまで時間がかかった。後頭部をさすりながら顔を横に向け目を開けると、中途半端に蓋が開けられた木箱、それから真っ黒な靴とローブが見えた。
『……う』
ズキズキ痛む頭で先ほどまで自分がどこで何をしていたのか考え、ナマエはサーっと青ざめた。わざわざ見上げる必要もない。先ほどの声からして、自分の真横に立っているのは、この部屋の主、陰険教授のセブルス・スネイプだ。
「我輩は君に資料の整理をするよう言ったはずなのだが、ナマエ……君はどうやら我輩の指示よりも睡眠のほうが大切だとお思いのようですな」
『いえいえ!寝てないです寝てないです!』
「ではその白昼夢呪文の箱はどう説明する?我輩が記憶する限りでは、これは未開封の状態であったはずだが?」
『……記憶違い、とか』
「……」
『すみませんついうっかり開けてしまいました』
スネイプに睨まれ、ナマエは反射的に頭を下げた。同じ睨みでも、セブルス少年とはまったく違う。可愛さの欠片も残っていないスネイプ教授の睨みは、ただただ恐ろしいだけだった。
『い……憩いがほしいなあと思ったんです』
「我輩は仕事中の休憩を禁じてはいない。生徒から没収したものに無断で手をつけることが問題だと言っているのだ」
『それは――すみません。謝ります。ですが、教授は休憩を禁じているようなものです』
どうせ怒られるならと、ナマエは思いきって不満を口にした。スネイプは授業を行っている時間以外も、基本的には仕事をしている。教授のスネイプが仕事をしているのに、助教授という立場のナマエだけが休憩をするのは気が引ける。そのため、ナマエは毎日スネイプに付き合い、仕事三昧の日々を送っているのだ。
「自分だけが休憩しようと思わなければいいだけの話だ」
それが出来たら苦労はしないのだと立場を嘆く反論をしようとしたところで、ナマエはふと別の可能性に気づいた。
『では、今から一緒にお茶はいかがですか?』
「そのよだれをどうにかしてきたら考えてやる」
『――っ!そういうことは早く言ってください!!』
ナマエは真っ赤になって口元を隠し、洗面台へ急いだ。蛇口をひねりながら夢で会ったセブルス少年のことを思い出し、クスッと笑う。考えていることを素直に言葉で伝えられないのは、どうやら今も昔も変わらないらしい。惜しむらくは、感情が態度にも表れなくなったことだ。
『教授』
「なんだ」
『あの商品もなかなかですね。素敵な夢を見れました』
ナマエは部屋に戻って紅茶を準備しながら、白昼夢呪文で見たできごとをスネイプに話して聞かせた。スネイプは紅茶を飲みながら預言者新聞の夕刊に目を通しており、ほとんど聞き流しているように見えた。
『それで思ったんですが……もう少し、正直になったほうが良いと思いますよ』
「なるほど」
スネイプは新聞をたたみ、ティーカップをソーサーに置き、代わりに杖を手にした。
『ええと、なぜ杖を?』
「正直に行動せよと言われたとおり、忘却呪文をかける」
『ちょ、ちょっと待ってください!どうしてですか!可愛い教授が見れて――』
「ついでに舌縛りの呪いもかけたほうがよさそうですな」
『はい!?』
「無駄口を叩かず静かに作業に勤しむことができるであろう」
『ちょったおおsだ#d@s――!』
30年間で成長したのは、姿だけではなかった。鍛え上げられた闇の魔術によって照れ隠しのレベルも上がり、容赦もなくなっていた。
白昼夢 Fin.
[メジャー企画]
・幼少セブが、「うわー!おねーさんすごーい」って顔をしながらツンツンしてるほのぼの話。
・結局夢オチで、教授に「もう少し正直になった方がいいですよ」なんて思わずこぼしてしまうものだから、更に嫌味を言われるまであると素敵。