短編 | ナノ 東西夏事情
スネイプ
 うだるような暑さがやってきた。学期末のテストが終わり、生徒達は皆気持ちよく羽を伸ばせる場所を探して湖の周りや木陰の下に集まる。ローブを脱ぎ、だらしなくネクタイを緩め、ぐったりした様で芝生でゴロゴロする生徒達を見ると、ナマエはいつも思った。そんなに暑いなら城の中にいればいいのに――と。

 燦々と太陽の光が降り注ぐ大きな窓がついている部屋や上階でもない限り、石壁に囲まれた城内は外よりは幾分か涼しいはずだ。風通しが悪いのが難点といえば難点だが、日本のようなじめじめした暑さではないためさほど気にならない。生徒達はそんなことよりもテストが終わった開放感に浸りたいがために、あえて外を選んでいるようにも思えた。


『ま、どんなに涼しくても、ここに来たいと思うような生徒はいないでしょうけど』


 ナマエは小さく言い、ホグワーツで1番涼しいと思える部屋を訪れた。独り言のつもりだったがどうやら聞こえていたようで、部屋の主にジロリと陰湿な眼光を向けられる。嫌なら来なければ良いと、その目が語っていた。この主のおかげで、数ある地下の教室の中でも、ここは1〜2度体感温度が低くなる。

 普通の生徒であれば萎縮してしまうような威圧的なオーラを無視し、ナマエは茶葉の入った缶を順番に指差しながら『どれにしようかな』と鼻歌を歌った。ここへ通うようになって集めだした、凝ったデザインの缶もずいぶんと増えた。部屋に不釣合いだといって戸棚にしまいこまれてしまったため、外から見えないのが残念だが、スネイプの性格を考えれば部屋に置いてくれるだけでも譲歩した方だろう。


『暑いですし、たまにはアイスティーもいいですよね』


 スネイプが淹れる紅茶には到底及ばないが、回数を重ねた甲斐もあり、文句を言われない程度のものは淹れられるようになってきた。アイスティーを淹れたことはないため、やめておけと言われるかと思ったが、スネイプは何も言わず、回収してきたばかりの答案用紙を引き出しにしまった。アフタヌーンティーに付き合ってくれるつもりらしい。


「夏はどうするんだ」


 喉を潤しながら、スネイプが聞いた。


「日本へ戻るのかね」
『はい。ロンドンから飛行機でビューンと。でも、できれば帰りたくないですね』


 ナマエはいかに日本の夏が過ごしにくいかを語って聞かせた。暑くて眠れない夜、蝉の声で起こさせる朝、アスファルトから立ち昇る蜃気楼――1つ1つ説明をしていく間、スネイプの眉間の皺はどんどん深まっていった。

「まるで地獄だな」というのが、話し終わってのスネイプの感想だった。スネイプが今の格好のまま日本へ行けば、それこそ地獄の責め苦のようなものであろう。だからといってスネイプが薄着をしているところも想像がつかず、ナマエは声を殺して笑った。


「……嘘、か」
『本当ですよ。なんなら教授も一度来てみてはいかがです?』
「いや、結構」
『いいこともありすよ。カキ氷でしょ、風鈴でしょ、浴衣でしょ――』


 楽しそうに“日本の夏の風物詩”を指折り数えるナマエを、スネイプは先ほどとは違った眼差しを向けて見ていた。


『どうです?行きたくなってきました?』
「いや」
『えー、どうしてですか。人混みが嫌いな教授でも楽しめるものもありますよ?』
「物さえ手に入れば、イギリスでもできるであろう」
『わかってないですね。ジリジリ暑い日本でやるからこそ意味があるんですよ』
「それほど――」


 スネイプは途中で言葉を区切り、アイスティーを飲み干した。勢いよく流れ込んだ氷が、口の奥でガリッと音を立てて砕かれる。


「それほど日本が恋しいか。先ほどまで帰りたくないと言っていたのではないのかね」
『いえ……まあ、故郷ですし……確かに懐かしいなと思う時もあります……でも、イギリスも好きですよ!』
「取ってつけたように言う必要はない」
『本当ですって』
「では、どこがいいのか挙げてみたまえ」


 スネイプは腕組をして、ソファに背を預けた。ナマエが握り締めたグラスの縁を、滴が伝う。

 ナマエはホグワーツ以外のイギリスを知らない。ごく一部、ダイアゴン横丁などの魔法界関係の場所に訪れたことがあるだけだ。数年ホグワーツで過ごす間に、ハロウィンやクリスマスやイースターなどのイベント時に何をやるかくらいは覚えたが、それらも“イギリス独自”のものなのかどうかは分からない。刻々と時間が過ぎ、スネイプの機嫌が悪くなっていくのが見て取れた。


『……きょ、教授がいるところ!――とか、こうして一緒においしい紅茶を飲めるところ、とか……』


 ナマエの声は、だんだん小さくなっていった。あまりに馬鹿馬鹿しすぎて、恥ずかしすぎて、顔が上げられない。

 すっかり氷の溶けてしまったアイスティーに黒い影が映ったのは、それから間もなくのことだった。顔を上げると、スネイプが正面からテーブルに手をついて身を乗り出していた。驚いて身を引いたナマエの手から、グラスが取り上げられる。


「我輩の家の近くに下宿先を用意した。君がどうしても帰りたいと言うのでなければ――と思ったのだが、聞く必要はなさそうですな」
『え?下宿?』
「さよう。勉強の合間にアルバイトでもしながらイギリスを知りたまえ」
『でも、実家には帰るって伝えちゃいました』
「既に連絡はしてある。君の意志を尊重するそうだ」
『……』


 開いた口が塞がらないとはこのことだとナマエは思った。スネイプもスネイプだが、両親も両親だ。スネイプがどう説明したのかわからないが、いくら預けている学校の教師からの連絡だからといって、そう簡単に信用していいものだろうか。1年ぶりの娘の帰郷を、普通は首を伸ばして楽しみに待っているものではないだろうか。


「不満ですかな?」
『いえ……ええと……』
「我輩の家にとも思ったのだが、それは卒業してからのほうがよかろう」
『い……家!?』
「我輩は地獄に住むつもりはない」
『そ、それって、』


 それは遠まわしなプロポーズなのではと、聞く余裕はなかった。グラスの代わりに握られた大きな手とか、髪を耳にかける指先とか、授業中は決して見せない眼差しから、どんどん熱が注入されてくる。スネイプはナマエに顔を近づけ、囁くような――しかしはっきりと耳の奥に響く、低い声で言った。


「夏も冬も……何十年後も、我輩がいる地で紅茶を嗜むが良い」


 先ほどまでの不機嫌はどこへやらだ。唇に押し当てられた熱は、遠い異国の地の夏を思わせる、暑く情熱的なものだった。
東西夏事情 Fin.
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