新しく防衛術の担当としてやってきたルーピン教授は、とても素敵な方だ。優しいしかっこいいし、授業も分かりやすくて面白い。
去年みんなが夢中になっていたロックハートより、ルーピン先生のほうがずっと素敵だと私は思う。よれよれのカーディガンを笑う人もいるけれど、私はそんなところも彼の魅力のひとつだと思っている。同級生の中には、あまりわかってくれる人はいない。
『先生は恋人とかいらっしゃるんですか?』
「んー、いないんじゃないかな」
『自分のことじゃないですか』
「ははは。それよりほら、忘れ物ってこれだろう?」
『……はい。ありがとうございます』
私は授業のたびにわざと教室に忘れ物をして、取りに来るついでにルーピン先生と話をしている。きっと私の魂胆なんて、ルーピン先生はお見通しだろう。けれど先生はいつも笑顔で私を迎え入れてくれる。だから私は、3年生の授業で使うらしい水中人の水槽に興味があるフリをして、なおもルーピン先生の部屋に居座った。
『好きな人とかは?』
「可愛く見えても凶暴だから、好きな人はいないんじゃないかなぁ」
『水中人じゃなくてっ』
ルーピン先生ははぐらかすのが上手い。
いや、口では全然はぐらかせていないのだけれど、纏っているオーラが、それ以上中へ踏み込ませない。人のいい笑顔で気さくなのに、パーソナルスペースが異常に広いのだ。ウェルカム!でもそこまで!――なんて、生殺し状態だ。
『先生の好きなタイプを聞いたんですっ』
「そうだなぁ、僕を受け入れてくれる人かな」
『そんなの、たくさんいすぎて基準にならないじゃないですか』
「そんなことないよ」
『例えば私とか』
「ありがとう。うれしいよ」
そうやって期待を持たせておきながら。
『じゃあ付き合ってください』
「はは、大人をからかうもんじゃない」
なんてするりと逃げて。なんていうか、大人ってずるいと思う。
「さっ、そろそろ夕食の時間だ。次は忘れ物しないように気をつけるんだよ」
『はい。気をつけます』
うそばっかり。夕食まであと1時間以上ある。でも、私は次ぎも忘れ物をする気満々だから、嘘はお互い様か。
『先生は行かないんですか?大広間』
「ああ。ちょっと調子が悪くてね。今日は早めに休むことにするよ」
まただ。ルーピン先生はしょっちゅう体調を崩している。うわさによれば、どうしても授業に出られないときは、スネイプ先生が代わりに来るらしい。どうか元気でいてほしいと願うばかりだ。
『何かもらって来ましょうか?』
「大丈夫だよ。ありがとう」
眉をハの字にしながら微笑むルーピン先生の前にはやっぱり見えない壁があって。私は『お大事に』と言うしかない。
卒業まであと半年。NEWT試験の勉強をそろそろ本格的に始めなければいけない。それなのに私の頭は“去年の教科書のルーピン先生版があればいいのに”とか、本気で考えていたりする。
* * *『せんせーの理想の女性って――』
「試験で“優”をとったら教えてあげるよ」
『結果が分かることにはもう卒業してますー』
「そっか。それは残念」
残念なんてこれっぽっちも思ってないくせに。わかって言ってるくせに。ていうか、やっぱり前に言ったのは嘘だったの?
バレンタインにカードを贈ってみたり、チョコレートが好きだっていう噂を聞きつけて誕生日にチョコレートを作ってみたりしたけど、全部きれいにスルーされた。いや、喜んでくれはしたんだけど、なんというか、社交辞令の域を出ない。そりゃスネイプ先生でもない限り、生徒からのプレゼントを無碍にはしないだろうけれど……。
どうにか意識してほしくて、帰り際に隙をついて頬にキスまでしてやったのに、ルーピン先生は少し驚いただけで、すぐにいつもの笑顔に戻ってしまった。これが大人の余裕というやつなのだろうか。
ここまでくると、私の相手をすること自体が社交辞令なんじゃないかと思えてくる。生徒だから仕方なく……とかだったら、ものすごく申し訳ない。
『ルーピン先生、もしかして私が来るの迷惑だったりします?』
「そんなことないよ。どうして?」
『迷惑なら試験も近いしそろそろ勉強一本に絞ろうかなぁって……』
「ナマエはもう僕のこと嫌いになった?」
『……いえ』
「そう。ならよかった。でも試験も大事だからね。勉強は疎かにしてはいけないよ」
『はい』
ルーピン先生は何が言いたいんだろう。本心がわからない。私を傷つけないための優しさだとしても、思わせぶりな態度はやめてほしい。そういうのって、逆に傷つく。
『先生、“優”を取ったら理想の女性を教えてくれるんですよね?』
「ああ、そうだね。いいよ」
『じゃあ勉強頑張ります』
「うん。頑張って」
いつも通りの微笑みで見送ってくれるルーピン先生に手を振って別れ、私はそれから勉強に集中した。
どうせ学校にいるうちは生徒としてしか見てくれないのだ。結果がいいものであれ悪いものであれ、“優”を取って卒業すれば、ルーピン先生の本音が聞ける。1人の大人の女性として、対応してくれるはずだ。
だったら勉強しない手はない。私はイースター休暇が明けてから試験が終わるまで、ルーピン先生断ちをすることを誓い、勉強に明け暮れた。
* * * 試験が終わった翌日。久しぶりにルーピン先生に会いに行けるとご機嫌だった私の耳に、信じられない言葉が飛び込んできた。
――R.J.ルーピンは人狼である。
そう、スネイプ先生が大広間で高らかと宣言したのだ。途端に大広間はざわめいた。悲鳴を上げる生徒や、あわてて親に手紙を書いている生徒もいる。
ルーピン先生が狼人間だなんて悪い冗談に決まっている。
最初はそう思ったが、どこか納得している自分もいた。見えない壁の正体はこれだったのだ。思い当たる節はいくつかあった。満月の日だったかどうかまでは覚えていないが、そういえば体調不良は1ヶ月周期だった気もする。
“僕を受け入れてくれる人”という言葉の重みが、今さらながらわかった。人狼ということが全校生徒に知られてしまったら、ルーピン先生なら、きっと自分から学校を去るだろう。私は、急いで防衛術の教室へ向かった。
『ルーピン先生!』
「やあ、ナマエ。試験の出来はどうだった?」
傷だらけの先生は、いつも通りの口調で、いつも通り微笑んでくれた。だけど、部屋はずいぶんと様変わりしてしまっていた。水槽も蓄音機も全て片付けられて、使い古されたトランクが1つ、部屋の真ん中にぽつんと置かれている。
『……辞めちゃうんですか?』
「ああ。ダンブルドアに迷惑はかけられないからね。君が卒業するのを見届けられなくて残念だよ」
『あと数日なのに!』
「私のような者がいるのは好ましくないんだよ。たとえ、数日であってもね」
『そんな、勝手に決め付けないで下さい!誰もそんなこと思ってないですよ!』
「わかるんだ。今までもそうだったから」
いつものようにさらりと言うルーピン先生の笑顔を前に、私は何も言えなくなる。どうしてそんなことを平気で言えるのだろう。確かに狼人間は危険な生物として認知されているけど、今までのルーピン先生を見ていれば、それは偏見であることはわかるはずなのに。
『人狼だからってなんなんです?人狼のイメージに先生は左右されないですよ。むしろ先生が人狼だって知って、人狼に対するイメージの方が変わりました』
「そっか。それは嬉しいな」
『――っ、ルーピン先生は、いい先生でした!』
「ありがとう」
去っていくルーピン先生にこんなことしか言えない私に、「君もいい生徒だったよ」と笑顔で返してくれる先生はやっぱり優しい。そして、やっぱりずるい。結局先生は、最後まで私に本音を言ってくれなかった。
* * * ホグワーツで過ごす最後のパーティも終わり、汽車に乗るために歩いてホグズミード駅に向かう途中、建物の影に見知った鳶色を見つけた。まさかと思いつつも列を抜け出して向かうと、そこにはよれよれのカーディガンを着た、いつものルーピン先生が立っていた。
『先生、どうしてここに?』
「君の卒業を見届けようと思ってね」
そう言ってルーピン先生は私にカードを1枚渡した。成績表かと思って開いてみるが、そこに書いてあったアルファベットは1文字だけではなかった。
『……住所?』
「結果を伝える先がわからないと困ると思ってね」
『成績つけるのはルーピン先生なんじゃないんですか?』
「今言ってしまったら面白くないだろう?」
『えええっ』
意味が分からない。もともと何を考えているのか分からないような人だったけど、ここまでくると錯乱の呪文をかけられているようだ。
「“優”だったら、何でも質問に答えてあげるよ」
『だから――』
「なんなら手紙じゃなくて直接言いに来てもいいよ。それか、どこかで待ち合わせとかでも」
『それってもはや“優”って言ってるようなもんだと思うんですが……というか、デートのお誘い?』
「どうかな。さっ、もうすぐ汽車が出る」
ルーピン先生はお得意の微笑みで私の話を流し、汽笛を鳴らすホグワーツ特急の方へ私の背を押した。これは、俗に言う“おあずけ”というやつなのだろうか。やっぱり大人――というより、ルーピン先生ってずるい。
車体と車体を結ぶ金具が音を立て、車輪が一斉に軋み始める音を聞きながら、私は何度も何度も住所を読み返し、次に会うときは何を聞いてやろうかと、口元を緩めながら考えた。
ずるい大人 Fin.
[GW企画]
・大人であったかいルーピン先生
・がつがつしていなくて余裕たっぷりに見える先生
・卒業間際の生徒とのじれったいお話
・先生と生徒のほのぼの恋愛
などより