珍しく誰もいない談話室で魔法薬学の復習をしていたところにドラコが舌打ちしながら入ってきた。
「ナマエか。1人で何やってるんだ?」
『勉強……ドラコは?』
ずいぶんと不機嫌そうだけど――とまでは言えなかった。彼のことだ、眉間にしわをよせて、「お前には関係ない」と答えるか無視するかに決まっている。
予想通り、私の質問には答えず「ふぅん」と気のない返事だけをするドラコ。私は彼が少し苦手だ。
どこが、と言われると答えられないが、とにかくドラコと話すときは緊張する。頭がよくて名家の御子息でかっこよくて、私とは正反対なドラコを見ていると 自分が惨めになるからとか……そんなことが理由なんだと思う。
「それ、今日授業でやったところじゃないか」
気づくと教科書を覗き込むドラコの頭が目の前にあった。
『なっ』
な、なんで隣に座るの!?誰もいないんだから 座るところなんていくらでもあるでしょう!なんて言えるはずもなく。『授業難しくてよくわからなかったから……』と なるべく冷静を装って答えた。
「ふぅん」
本日2度目の気のない返事をいただいたが、先ほどまでの不機嫌オーラはなくなっているのでひと安心だ。とばっちりで八つ当たりされたのではかなわない。
15分ほどたったが、ドラコは横から離れるそぶりをまったく見せず、私の顔と教科書を交互に見ていた。時間がたつにつれて、徐々に眉間にしわがよってくるのがわかる。
さらに10分が経過したところで、一向にページをめくらないナマエにドラコは怪訝そうな目を向けた。
「ナマエ……お前……バカなのか?」
『なっ……!!』
「こんなののどこがわかんないんだよ」
『全部よ全部!ドラコとは頭のつくりが違うんですっ』
ただでさえ難しい魔法薬学の本なのに、2人きりの広い談話室の中、ドラコが横でじっと見ているのだ。目がいくら字を追ったところで一言も頭の中に入ってくるわけがない。
『こんなんじゃとても課題まで終わらせられないわ……』
小さくため息をつきながら教科書を放りだした。この状況ではいくら頑張ったところで課題をこなすだけの十分な思考力は確保できない。
ああ、もう。いつものとりまき2人組はどこにいってるのよ。誰でもいいから早くこの状況をなんとかしてっ。
「ナマエ」
『なななんでしょう!?』
頭を抱えていたところに耳元で急に名前を呼ばれ、びっくりして変な声を出しながら立ち上がってしまった。
「急に立ち上がるな!危ないだろ!」
また不機嫌そうな顔をさせてしまった。
『だ、だって、ドラコが急に呼ぶからっ』
「呼んだだけだろ?」
『う、うん……そうだね。ごめん』
事実なので何も言い返せず、おとなしく腰を下ろす。再び隣に座ったナマエを見て、ドラコは満足そうに口角を少しあげた。
「いいか、このニガヨモギには……」
急にナマエから教科書をとりあげ、淡々と材料の特徴と調合の手順を説明し始めた。ドラコが私に勉強を教えてくれてる……?
「おい。聞いてるのか?」
『うんうんうん!』
ぽかんとしてドラコを見ていたことに気づき、睨んできたので、あわてて首を立てにふった。
大嫌いな魔法薬学の課題、横に座るスリザリンで最も苦手な人――。1つだけでもどう対処していいかわからないのに、2つセットで登場…しかも苦手な人が大嫌いな科目を丁寧に教えてくれている状況。思考の限界を越えていた。
今にも頭から煙を出して倒れそうだったが、せっかく教えてもらっているのだ、ほかの事を考えていては申し訳ない。必死に頭を切り替え、思いの外わかりやすいドラコの話に全神経を集中させた。
* * *『すごいわドラコ。とってもわかりやすい!』
その場しのぎの言葉ではなかった。必要な部分だけ噛み砕いてゆっくり説明してくれたため、今までのどの授業よりも内容が頭に入ってきた。
『ありがとう』
にこりと微笑んでお礼を言うと、ドラコは目を丸くした。「ああ」と一言だけ言い、顔を背けたドラコの耳は赤くなっていた。
『助かったわ。ドラコってほんと頭いいのね』
「当然だろ」
こちらを見ずに本を手渡すところをみると、おそらく顔も耳と同じで真っ赤になっているのだろう。照れてる……?
課題も終わったし、意外な彼の一面を見れたし、今日は良い日だ。本で口元を隠し『ふふっ』と小さく笑うとドラコは「なんだよ」と目線だけよこし、おもむろにテーブルの上においてあった飴に手を伸ばして口の中へ放りこんだ。
* * *『あーーーーーーっ!』
「な、なんだよ!」
『それ、課題が終わったときのご褒美にってとっといた飴なのにっ!』
「し、知るか!大切なものならしまっておけよ!」
突然大声を出したナマエに驚きつつも、端整な顔を崩さずに間髪入れず言い返してきた。まったく悪びれない様子のこの男を殴ってやりたいところだが、ここがどこだか思い出してあきらめた。スリザリンの談話室にあるたくさんのお菓子の片隅にあった飴をスリザリン生が食べることは、ごく自然なことで咎められるものではない。
『はぁ……』
さっきまでの浮かれ気分もいっきにしぼんでしまう。たかが飴だが、パンジーがくれたなかなか手に入らない有名店のおいしい飴なのだ。
「これ1つあげるから頑張りなさい」と笑顔で励ましてくれた友人の好意をないがしろにしてしまった気分だ。
あとでパンジーに謝らなくては。
たかが飴ひとつにショックをうけるナマエに少しイラッとしたそぶりを見せながらも「飴、いるか?」とポケットに手を入れるドラコにも気持ちが落ち着いたら謝ろう。たぶん、代わりのものを探してくれているのだろうから。
『いいわよ、もう食べちゃったんだし……』
他のじゃ意味ないのよ。とパンジーにもらった経緯を話すと、申し訳なさそうな表情を見せた。今日はよく表情が変わるなあ――って、そうじゃない!ドラコは悪くないのだから、彼にあたっては申し訳ない。あわててポケットをさぐるドラコの手をとり笑顔でまくしたてた。
『いいの、気にしないで。そもそもドラコに教えてもらわなかったら課題終わらなかったし、お礼だと思って食べて』
課題が終わらなければどちらにせよ飴は食べられなかった。
『課題手伝ってくれてありがとう』
代わりの飴まで探してくれてドラコ優しいね!と言うとドラコは固まってしまった。
何か変なことを言っただろうか。先ほどまでの会話を頭の中でリピートしているうちに、ドラコはナマエの肩に手を置いていた。
「……ナマエ」
『え?……んんっっっ!』
名前を呼ばれてふと現実に引き戻されると目の前にはプラチナブロンドのきれいな顔があり、唇を押し付けられた。あわてて身を引こうとしたが、肩をつかまれているため離れることはかなわなかった。というより、何も考えられなくなって動けなくなった、と言ったほうが正確だった。
されるがままのナマエの唇を強引に舌で開くと、半分ほど溶けた飴をそのまま口の中へ送り込み、名残惜しそうな目でナマエの目を見ながらゆっくりと離れていく。
『はぁ…な……なっ・・・・・・』
「残りはやるよ」
真っ赤になって動けないでいるナマエを見て満足そうにニヤリと笑ったドラコは「ごちそうさま」と一言だけ残して談話室を出て行った。
パンジーが絶賛した飴の味を味わう余裕なんてなかった。ドラコが談話室に入ってきたときに不機嫌だった理由も、彼がなんでこんなことをしたのかもわからない。でも、そんなのはもうどうでもいい。
『私、ドラコが苦手だったんじゃない……好きだったんだ』
どうしよう。飴がとけるにつれて、ドラコ以外のことを考えられなくなっていく。
drop Fin.