短編 | ナノ 秘密の代償
スネイプ
 休暇最後の日を思いっきり楽しむべく、私はホグズミードを訪れていた。

 学期が始まってしまえば次はいつ来れるかわからない。次のホグズミードまで持つように大量に買い込んでおかなくてはと、ハニーデュークス店で品定めをする。

 新作のお菓子は出ていないか。期間限定品はないか、お得なセール品はないか――。1つも見逃さないように店内を見渡しているときに、黒い塊が店の奥にあることに気づいた。

 色があふれるここには不釣合いな色を全身にまとった人物は、色以上にここに不釣合いな人物。我らが性悪陰険教授こと、セブルス・スネイプ教授だ。

 どう考えてもおかしい。幻でも見ているのだろうか。目をごしごしとこすり何度も確かめたが、あのネットリとした髪も、全身から滲み出す負のオーラも間違いなくその人のものだ。

(まさか見回り!?)

 そう思ってとっさに低い棚に隠れるが、よくよく考えれば自分は悪いことは何もしていない。廊下で糞爆弾を爆発させたわけでも、夜にグリフィンドール塔を抜け出して宝探しゲームを行ったわけでも、授業中に“うっかり”カエルチョコに膨れ薬をかけたわけでもない。
 呼び出されて延々と説教をされ、何日にも渡り罰則でいろいろと手伝わされるような……そんな学校生活と同じようなことはしていない。

(私はクリスマス休暇を楽しんでいるだけ!)

 自分に言い聞かせ、そっと棚から顔を覗かせる。赤青黄……と並ぶ飴の隙間から様子を伺うと、どうやら教授は見回りではなく買い物をしているらしいということがわかった。

(あの教授がハニーデュークスでお買いもの!?)

 しかも、ときどき思い出したように口元に笑みを浮かべているではないか。はっきりいって気持ち悪い。ものすごく気持ち悪い。

 だけど、これは面白い。

 次第に冷静さを取り戻してきた私は気づいた。“スネイプ教授がハニーデュークスで楽しそうにお買い物”というネタは、どんなお菓子よりもおいしいことを。

(家に帰ったらすぐにフレッドとジョージに連絡しなきゃ!)

 むしろ今から直接彼らの家に乗り込むべきか。音を立てないよう細心の注意を払い、店から出ようとしたその時、私は後ろから肩を叩かれた。


「待ちたまえMs.ミョウジ」


 振り返らなくても相手が誰なのかはわかる。明るい店内とは対照的な、低く冷たい声の主など、この場には1人しかいない。

(おおお落ち着け私!)

 私は何も悪いことはしていない。まだ。かろうじて。

(落ち着け落ち着け!)

 私は普通に買い物をしていただけ。逃げたら怪しまれる。今気づきましたという顔で、『あらスネイプ教授見回りですか?ご苦労様です』とか言えばいい。

 頭ではわかっているのに、私の足は、私の口が何かを発する前に、私の体をドアへ連れ去った。ああ習慣って恐ろしい!


「待たんか!」


 そう言われて素直に待つ者がいるだろうか。私はカランカランと勢いよくドアの鐘を鳴らせ、外へ飛び出した。

(インテリ根暗教授がこの自称悪戯仕掛け人の女王、ナマエ様に追いつけるわけないわ!)

 私にとってここは庭みたいなものだ。人通りが多い道も、秘密の近道も知っている。年中引きこもっていそうな根暗教授になど、捕まるわけがない。――はずだったのだが。なぜか。


「ミョウジ、我輩は君に“待て”と申し上げたはずだが?」


 あっけなく私は捕まった。


『あ、あーらスネイプ教授奇遇ですね!見回りですか?』
「白々しい……来いっ」


 教授は私をズルズルと細い路地裏へ引きずった。腕を振りほどこうとブンブン振ってみるがびくともしない。投げるように私を壁に押し付けると、スネイプ教授はダンッと顔の脇に手をついた。

(ひーーーっ)

 これで大通りへの道は閉ざされた。反対は……と目を走らせると、なんと教授の手には杖があった。


『い、命だけはっ!』
「黙れ。逃げられぬようにするだけだ」


 なんだかよくわからない怪しい呪文が唱えられる。すると、私の足はぴたっと地面とくっついて離れなくなった。


「さて、さて……」


 スネイプ教授は、授業中に生徒をいびるときと同じ顔をした。相手が最も嫌がる罰則は何かを考えているときの、あの楽しそうな顔だ。

(やっぱり殺す気じゃないか!!)

 真っ青になる私の表情を楽しむように、スネイプの親指が喉元をさする。少し力を入れれば、簡単に私の息は止まるだろう。今、私の命は文字通りスネイプの手の中だった。

(嫌ーーっ!だーれーかーーー!!)

 声にならない叫び声に気づく者がいるはずもなく、奇跡的に目が合う人がいても路地裏まで様子を見に来る人などいるとは思えなかった。壁に手をつき顔を近づけて話す私達の姿は、はたから見れば恋人同士の密会だろう。ここはホグズミードであり、ノクターン横丁ではないのだ。誰が脅されていると考えるだろうか。

(殺されるーー!へるぷみーーー!!)

「余所見をするな」


 通りに向かってありったけの念を送っていた私にスネイプは言い、首にかけていた手を少し上にずらした。親指が喉から顎へ、そして口元へ移動し、下唇をなぞる。驚いて私が視線を戻すと、スネイプはニヤリと笑い、手を私の後頭部へ回し、そのまま頭を引き寄せて自分の唇を重ねた。


『んんっ!?』

(何これ、なんの嫌がらせ!?この人にキスされるくらいなら死んだほうがマシなんだけど!!)

 手を突っ張って逃れようとするが、足は地面に固定され、うしろは壁。おまけに壁についていたほうの手が私の腰を捉えている。


『んー、んんー』


 嫌で仕方がないはずなのに、侵入してきた舌を噛み切ることができない。それどころか唇を吸い、奥歯をなぞり、舌を絡め……次第に激しさを増す行為に翻弄される。何も考えられなくなり、胸を押していたはずの私の手は、すがるように彼のローブをつかんでいる。


『ん、――ふぁ』


 立っていられないほどになって、ようやく教授は私を解放した。ぺたんと地面に座り込んだ私を見て、教授がわずかに口角をあげる。双子に言えるものなら言ってみろ、学校中に広めてみろとでも言わんばかりの意地の悪い笑みだ。

 言えない。ハニーデュークスでスネイプ教授を見かけたら、追いかけられてキスされたなんて知られたら、私の学校生活は破滅してしまう。


「口止め料だ」


 敗北に打ちひしがれている私に教授はとどめの一言を残した。
 口止めと言うより口封じです。いろんな意味で。
 ローブをひるがえして立ち去る教授を、私はただ呆然と眺めることしかできなかった。
秘密の代償 Fin.
続き
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