短編 | ナノ 臆病者の狂詩曲
リーマス
 私に優しい人は誰にでも優しい。そんな当たり前のことを私は忘れていた。


「……どうしたの?大丈夫?」


 図書館からの帰り道、どこからかリーマスの声が聞こえてくる。声を辿って階段途中に鳶色の髪を見つけた私は、その手が見知らぬ女の子と繋がっていることに気づいて立ちつくした。

 どうやら消える階段にはまった下級生を助けようとしているようだった。相手のスリザリン生は「触らないで」「変態」と悪態をついているのに、リーマスが助けることをやめる気配はない。手を引いても抜けないことがわかると、次は脇を抱えて持ち上げ出している。

(そこまでしなくていいのに)

 他意はないのだろうが、傍から見たら抱きついているのと相違ない。私はたまらず2人の元へ向かった。


「でも、このままだと困るだろう?人通りも少ない場所だし……それにほら、もう少しで抜けそう」
『手伝おうか?』
「ああナマエ、ありがとう。助かるよ――っわ」


 リーマスがこちらを向いたタイミングで、女の子がリーマスを突き飛ばした。反動なのか何か知らないが、その瞬間に女の子の足が階段から抜ける。よろめいた女の子は、助けてくれた相手が目の前で尻餅をついているというのに心配もお礼もせず、とても屈辱的だという顔で去っていった。


『リーマス、大丈夫?』
「ははは、かっこ悪いところを見られたなぁ」
『何なのあの子!失礼すぎない?』
「僕が勝手に引っ張ったんだから、いいんだよ」


 苦笑いしながら立ち上がるリーマスに、気にする様子はちっともない。私は『優しすぎよ』と言いながら、ひそかに惨めな気持ちになっていた。


『どうしてあんな子助けたの?』
「困ってたみたいだったし、これでも一応監督生だからね」
『もー、人が良すぎ』


 このお人好しめと悪態をつきたい気持ちを抑え、『でもそういうところ好き』と微笑んでいる私は、スリザリン生以上に狡猾なのかもしれない。


「あ、そこ気をつけて」


 私の醜い本心のことなんて知らず、リーマスが私も同じ段にはまらないようにと手をかしてくれる。消える1段をひらりと飛んだ私は、どうせならあの子のように助けられたかったなと、すぐに離された手を見て思った。

(思わせぶりは罪よ、リーマス)

 リーマスはいつも私に優しい。宿題を手伝ってくれたり、荷物を持ってくれたりすることはしょっちゅうで、ちょっと前髪を切っただけで変化に気づいて褒めてくれるなんてことも多い。だから私はもしかしたらリーマスも私のことを……なんて、つい夢を見てしまうのだ。


「この扉、歌を聞かせると開く仕組みなんだ」


 いつの間にか目の前にあった扉を指差しながらリーマスが言った。


「歌ってみてよ」
『え?今?私が?』
「うん。僕は歌が下手でね……なかなか開けてくれないんだ」


 開ける必要があるのだろうかと思いつつ、私は歌った。この上なく恥ずかしかったが、照れくさそうに頬をかくリーマスに頼まれて断れるはずもない。1小節を歌いきった私の前で、古びた木の扉は蝶番をきしませて開いた。


『通路?』
「そう。こっち」


 リーマスは私の手を引いて薄暗い通路を進んた。石壁に囲まれた細い通路の先に、ぽっかり長方形の穴が開いている。近づいてみると、校庭を岐路に着く生徒たちの様子が眼下に確認できた。


「気をつけて」


 柵もガラスもない大きな縦長の窓枠に腰掛け、リーマスが私を隣に呼ぶ。


「もうじきいい時間だ」
『いい時間って?』
「見ていればわかるよ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべたリーマスの顔が徐々に橙色に染まっていく。ジェームズたちといるときのリーマスはよくこんな顔をするなぁなんて思っていると、その時間は訪れた。


『……わぁ!』
「きれいだよね」
『うんうん、魔法がかかってるみたい!』


 私は寮から見えるものとは違う、夕日に染まった美しい風景にしばし見とれた。


『すごいね、場所によってこんなに見え方が違うんだね』


 黄金色の芝生が波打つ大海原を、三角帽子の塔の影が帆船のようにゆっくり進んでいく。次第に大きくなっていく美しい城のシルエットを見ていると、遠くに見えるクィディッチのゴールポストが太陽の光を反射して1番星のようにキラッキラッと瞬いた。


「雨上がりの夕方にしか見られないんだ」


 6時を告げる大時計の鐘が鳴り響く中、リーマスが言った。その横顔は、いつもよりずっと大人っぽく、男らしく見える。初めて見る表情にときめく一方で、私の心の中にも闇が広がっていった。


『……前は誰と来たの?』
「1人だよ。見回りのときに偶然見つけたんだ」
『嘘よ。だって歌わないと開かないんでしょう?』
「ああ……先週嬉しいことがあって、鼻歌をね」


 照れくさそうに言うリーマスを見て私の心がチクリと痛む。だって、さっきは「なかなか開かない」って言ってたのに。鼻歌で偶然開いたなんて、嘘に決まっている。

 仮に本当だとしても、リーマスに鼻歌を歌わせたものがあると思うと複雑な気持ちになる。リーマスはよく笑うけれど、どこか一線を引いている感じがするし、ジェームズのように感情を爆発させることはあまりないから。


『リーマスって怒ることあるの?』
「そりゃ、あるよ」
『えー、信じられない。どんなときに怒るの?』
「そうだな……ナマエが誰かに傷付けられたら、怒るかな」
『そういう優しい系じゃなくて、もっとこう……あいつムカツク!とか、イライラする!とか』
「ああ……」


 勢い余って身を乗り出した私の視線から逃げるようにリーマスが上を向く。心当たりがある顔だ。

(意外……)

 リーマスが声を荒げて怒っているところなんて全然想像がつかない。リーマスはいつも穏やかで、ユーモアがあって、ジェームズたちが馬鹿をして罰則に巻き込まれても怒ることなく付き合っている。大人しい人ほど怒らせると怖いと言うが、心の中では怒り狂っていたりするのだろうか……。


「他の男子生徒と仲良く話していたらムカムカするかな」
『え?』
「あとはこんな風に、僕を試すようなことをされたらイラッとする」
『……こんな風って?』
「薄暗い部屋、2人きり、上目遣い、嫉妬するような発言――」


 視線を戻したリーマスが、ひと言言うたびに顔を寄せてくる。押されるように後退した私の背は、すぐに石壁にぶつかった。


「イライラというより、ムラムラかもしれないけどね」
『えーと……リーマス?シリウスじゃないよね?』
「シリウスじゃなくても、男なら大抵こういうことを考えているよ」


 空いた手が私の頬を撫で、輪郭沿って滑った指先が顎を上に向ける。そのまま沈黙が訪れ、私が目を閉じるのと同時にリーマスは離れた。


『……やめちゃうの?』
「本気じゃないよ。忠告したかっただけだ。簡単に男を信用してこんなところについてきちゃダメだってね」
『ひどい』
「そうだね。ひどい奴だ」


 はははという渇いた笑い声とともに、リーマスが引き返していく。『待って』と引き止める私に向けられた顔は、暗闇でもわかるくらい悲しげだった。


『リーマス、私――』
「僕は怒らないんじゃない。怒れないんだ。僕は……臆病だから」


 私の言葉を遮ったリーマスが静かに首を振る。それ以上は言うなと、その目が物語っている。


『――っ、リーマス!』


 再び背を向けたリーマスの腕をつかんだ私は、彼の膝裏へ自らの膝を押し込んだ。


「ぅわ!?」
『私、リーマスのこと好きだから!』


 倒れこんだリーマスの襟首を掴み、私は叫んだ。


『リーマスは臆病なんかじゃないわ!臆病な人は、こんなずるいことしない!』
「……ず、ずるい?」
『いつも優しい、とっておきの場所に連れてきてくれる、キスをやめて悲しそうな顔で私から離れる――』


 目を丸くしたリーマスが正気を取り戻す前に、私のほうからキスをする。ポスンと胸に顔を埋めれば、ドクンドクンと脈打つ心臓が私と同じくらい早く動いているのがわかった。


『……女の子だって、いろいろ考えるよ』


 ぎゅっと抱きつくと、リーマスの喉がゴクリと鳴るのがわかった。続けて恐る恐るといった様子で腕が持ち上がる。時間をかけて背中に回った手は、少し震えていたけど、しっかりと私を包み込んでくれた。

 それから私たちは泣いてるんだか笑っているんだかわからない顔で見つめあい、もう1度キスをした。

 リーマスが案外腹黒く、優しさの裏には臆病とは違う何かがあると知ったのはそれからしばらく経った頃。晴れた日に手を繋いであの部屋に行くのが定番になって、歌わなくても扉が開くと気づいてからだった。
臆病者の狂詩曲 Fin.
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