始業時間間近に、バタバタと駆け込んでくる足音があった。悪戯仕掛人として有名な4人組だ。まとまった席がないことを知った彼らが、1人ずつ空いている席に分かれて座る。
「ここ、いいかな?」
にこっと笑って、リーマス・ルーピンが隣に滑り込んでくる。『どうぞ』と言って慌てて荷物を避けていると、私がリーマスを好きなことを知っている友人からウインクが飛んできた。
(まさか本当に一緒に座れるとは思わなかったわ)
バラバラに座って隣を空けておけば一緒に座れる可能性があるんじゃないかという彼女の作戦は見事に成功した。彼女は彼女で、目当てのシリウス・ブラックの隣を確保することができたようだ。ビンズ先生が黒板を通り抜けて入ってきたにもかかわらず、キャーキャー言っている。2人掛けの長椅子とはいえ、ゆったりした作りなのに、肩が触れ合うほどにまで近づいている勇気はたいしたもんだ。
(リーマスはパーソナルスペース広そうだなあ)
チラリと想い人を見ると、あくびをかみ殺していたリーマスがすぐに視線に気づいて照れたような笑みを浮かべた。
(かっ、かわいい……っ)
男の子にかわいいなんて失礼かもしれないが、実際かわいいのだから仕方ない。「魔法史は眠くなるよね」なんて、まだ教科書も開いていないうちから言い訳っぽく言っているのもあざといくらいにかわいい。
『また夜更かし?』
「うん。昼寝でカバーするつもりだったんだけど、ちょっとハプニングがあって寝れなくてね」
『それで魔法史を睡眠時間にすることにしたの?』
「シリウスはそうするみたいだね」
いつの間にやらシリウスは友人にもたれかかって寝始めていた。うらやましい限りだ。
『リーマスは?』
「僕はシリウスと違って頭が良くないから、ちゃんと授業を聞いていないと」
『偉いね』
「偉い人は夜更かししないよ」
もっともなことを言って、授業に集中し始める。悪戯仕掛人でありながら、監督生を任されるのは、こういう真面目な面があるからなのだと思う。隠すことなく大あくびをしているジェームズや、口を開けて寝ているピーターにはできない芸当だ。ビンズ先生の話よりも眠気と戦うリーマスのほうが興味をそそり、私は隣ばかり見ていた。
(疲れてるのかな)
やがてリーマスは船をこぎ始めた。あくびはともかく、居眠りをするなんて珍しい。
目の下にくまがあるし、よく見ると少しやつれているようにも見える。辛うじて羽ペンを握っている手には何かで引っかいたような傷もある。ハプニングがどうとか言っていたから、誰かと喧嘩をしたか、危険な遊びでもしたのかもしれない。
(確かに偉くはないわね)
リーマスの頭がカクンと揺れ、教科書に斜めに線が横切る。私は忍び笑いをしてそっとリーマスの手から羽ペンを抜き取り、リーマスが起きたときに見せられるようにいつもより丁寧にノートをとった。
* * * 授業が終わってもリーマスは起きなかった。終業のベルと共に伸びをした生徒たちが次々に廊下に出て行き、ジェームズたちもリーマスに声をかけることなく行ってしまう。
(どうしよう)
いくら次の授業がないとはいえ、1人残していくのはかわいそうだ。起こすのも忍びない。――というのは言い訳で、せっかくのチャンスを無駄にしたくなかった。周囲を見回して他に誰も残っていないことを確認し、少しリーマスに寄ってみる。
起きる気配がないので、もう少し。気づかれるかもしれないという緊張と背徳感でドキドキが止まらない。さらに近づき、リーマスとの距離が30cm程になる。
(――っこれ以上はムリ!)
リーマスにも悪いし戻ろうとしたそのとき、リーマスの頭がコテンと私の肩に乗った。
心臓が爆発したかと思った。もうドキドキどころではない。肩にかかる重みと、ふわりと漂ってきたわずかに甘い香りが思考回路すら破壊する。おかげで私は監督生のお風呂はシャンプーもいいやつなのかもしれないなんてことを考え始めてしまった。
(違う違う落ち着かなきゃ!)
気を紛らわせるために羽ペンを戻し、インク瓶に蓋をする。ついでにほつれている袖を直そうと杖を振る。
「ん……」
呪文を唱えたとき、声に反応してリーマスが身じろぎした。私は慌てて飛びのいた。間一髪だった。かろうじて冷静を装って『おはよ』と言うことができた。
『もうみんな行っちゃったよ』
「ああ、寝ちゃってたのか……」
リーマスは教室を見回した後、斜めに線が走る教科書に目を落として眉を下げた。
「どこまでやった?」
『128ページまで』
「うーん、結構進んだなあ……」
頭をかきながら教科書をめくるリーマスに、当初の予定通り『ノート見る?』と聞く。リーマスは「いいの?助かるよ」と喜び、閉めたばかりのインク瓶の蓋を開けた。
(なんか緊張してきた……)
放課後の教室に2人きりという同じ状況でも、相手が起きているかどうかでずいぶんと違く感じる。リーマスの目が文字を追っている様子を見ていると、自分が見られているような気分になった。
「きれいだね」
『へっ!?』
「字。すごく読みやすい」
『あ、ありがとう』
(丁寧に書いてよかった)
リーマスは斜めの線を器用に避けながら書き写していった。「ありがとう」という笑顔はとても素敵で、こんな顔が見られるなら全部の授業で代わりにノートをとってもいいと思えた。
「あ、ごめんやっぱり待って」
返却されたノートをしまおうとしたとき、手をつかまれた。「いくつか質問してもいいかな?」というリーマスに、声を裏返らせることなく返事ができたのは奇跡だと思う。リーマスは私の手をつかんだまま、逆の手で自分の教科書を示した。
「ここなんだけど……矢印の先に何も書いてないみたいで」
『ああ、そこは来週の授業でやるみたい』
「そっか。じゃあこっちの星マークは?」
『テストに出そうなところ。ビンズ先生って単調だけど、重要なところだと生徒の反応を気にして一瞬間が空くんだって』
「へえ。知らなかったな」
『私も先週7年生に教えてもらったばっかりなの』
「あ、あともう1つ」
(まだあるの!?)
もう頭はパンク寸前だ。とりあえず手だけでもと引っ込めようとするが、リーマスがさせなかった。教科書から目を離して頬杖をつき、私の反応を楽しむようにニコニコしている。
「僕が起きるのを待っていてくれたの?」
『そういうわけじゃ……』
「でも、もう授業が終わってから30分経ってるよね」
リーマスの目には、確信めいたものがあった。書き写していた時間を差し引いても10分近く2人きりの時間があったことを気づいているに違いない。どう言い訳したらいいかわからずパニックになっていると、リーマスがクスクス笑い出した。
「実は起きてた、って言ったらどうする?」
『ううう嘘でしょ!?』
「はは、そんなに慌てて、何かやましいことでもしてたの?」
『し、してないっ』
ちょっと近寄っただけだ。あと羽ペンとインク瓶を片づけて、袖のほつれを直した。やましくはない。うん。
「じゃあ、ただ見てただけ?」
『なっ』
「授業中もずっと見てたよね」
『き、気づいてたの!?』
「もっと近くで見る?」
ニコニコしたまま、リーマスがスッと寄ってくる。至近距離から悪戯っぽい笑みを向けられ、顔に熱が集中するのがわかった。もう冷静を装い続けるなんて無理だ。というかまともに顔が見れない。
「ほら、見てよ」
『い、いい。大丈夫』
「見てってば」
『!?』
強引に顔の向きを変えられ、至近距離にリーマスの顔がくる。教室に差し込む西日の中、リーマスは照れたような笑みを浮かべていた。
「僕の思い違いかな?」
『いや……えと……その……』
「ん?何?」
『なっ、中身シリウスでしょ!?』
「……え?」
『だ、だって今日のリーマス変だよっ』
「そう?僕は元からこういう性格だよ」
『嘘よ。リーマスが女の子をからかってるところなんて見たことないもん』
「それは、えーと……そうしたいと思う相手が1人しかいないから、じゃないかな」
(なにそれどういう意味!?)
「でも、シリウスと間違われるのは困るからやめておくよ」
『ま、待ってリーマス!』
今度は私が離れ行く手を引き止める番だった。さっきからずっとドキドキしっぱななしだが、そのどれよりも緊張した。
『ら、来週も隣に座っていい?』
「いつでも歓迎するよ」
精一杯の勇気を振り絞った言葉に、やわらかい笑みが返ってくる。それだけで十分幸せだった。
それなのにリーマスが「今からでも」なんて言いながら指を絡めてくるもんだから、私は『じゃあそれでお願い致します』なんて無駄に丁寧な口調になってしまって。リーマスが笑いだしてせっかくの良い雰囲気が台無しになってしまった。
居眠りFin.
以下おまけ
教室を出ると、シリウスと友人が腕を組んで待っていた。「うまくやたようだな」とシリウスが繋がれた私たちの手を見てニヤリとする。何のことかわからずポカンとする私に、友人が「最初から全部お芝居よ」と衝撃的な告白をした。
『最初って、どこ!?』
「ぜーんぶよ」
『だから全部ってどこから!?』
3人を順番に見るが、答えてくれる人は誰もいない。リーマスが「ばらしちゃだめじゃないか」と言って頬をかいていて、シリウスは「怒られる前に退散するぞ」と友人を連れて行ってしまう。
『ど……どういうこと?』
「んー、どういうことだろうね?」
『あくびも!?』
「どうかな」
『あざとい!』
「はは、サービスだよ」
だから僕はこういう人だと言ったじゃないかと、リーマスはよくわからない開き直りをしている。
「さて、夕食までまだ少しあるからもうひと眠りしたいんだけど、どこかいい場所あるかな?」
『普通に部屋でいいんじゃないの?』
「部屋まで来てくれるの?」
ぶんぶん首を横に振る私を見てリーマスが笑い、出てきたばかりの教室へ戻る。それから約1時間。私はリーマスの枕として微動だにできないできないまま夕焼けが夜へと変わるのを見ていた。