いいことが重なった。1つは監督生になれたことだ。鼻が高いと両親に褒められ、以前から欲しかったレアものの歴史書を買ってもらえた。もう1つは相方がトム・リドルだったことだ。そうだろうなと思っていた。彼はずば抜けて頭がいいし、先生や生徒たちからの信頼も厚い、スラグクラブの常連だ。
「よろしく」
新学期の初日に、爽やかな笑顔で挨拶されただけで、監督生になれてよかったと思えた。トムの「君だろうなと思っていたよ」と言われて喜ばない人がいるなら教えてもらいたい。そのくらいトムはみんなの憧れの存在であり、特別な人だった。
「へえ、サラザール・スリザリンに」
『そうなの。途中でホグワーツを出ていっちゃったから他の3人に比べて情報が少ないでしょ?だから余計に探究心がくすぐられるというかなんというか』
「わかるよ。彼の経歴はとても興味深い」
高嶺の花すぎて近づきがたいイメージがあったトムだが、仕事中に話を振ってみると、意外と気さくに答えてくれた。魔法史が好きだと言うと大抵珍しがられるのに、トムは馬鹿にすることもなく丁寧に話を聞いてくれる。そこで調子に乗った私が自寮の創設者に関する並々ならぬ愛を語ったわけだが、トムは引くどころか興味を持ち、“サラザールがホグワーツに隠した秘密の部屋”というコアなネタを振ってきた。
「君は秘密の部屋が存在すると思う?」
『もちろん!てかすごいねトム、よく部屋のこと知ってたね』
「君が知っていることなら、僕も知っていて当然だとは思わない?」
『あ……えと、他の教科に関してならそうかもしれないけど、サラザールのことなら、私、変態的に追いかけてるから……』
「ふうん。でも、秘密の部屋のことなら“ホグワーツの歴史”にも載っていることだ」
『ごめん。もうどれが一般的な情報かわからなくなっちゃって』
「いいよ、僕にもよくあることだ」
(か、かっこいい)
私の失礼な発言を許してくれたことはもちろん、その理由に「よくあることだ」とさらっと言えてしまうのは、秀才のトム・リドルだからこそだろう。普段からどれだけレベルの高い会話をしているかが窺えるひと言だ。私が羨望の眼差しを送っていると、トムは気だるそうな表情で口の片端を引き上げた。
「先生方はみんなそんなものは存在しないって言っているけど?」
『当然よ。“真の継承者”のみが開けるんだから、資格がない人には見つけられなくて当然。わかる人にだけわかってもらえばいいって、いかにもサラザールっぽくない?』
「そうだね。“真の継承者”というくらいだから、直系の血族か、同等の能力を持つ者か、あるいは――」
『杖を引き継いだ人とか』
ピンと人差し指を立てた私を、トムが珍しいものでも見るかのような目で見た。
「杖?」
『そう。サラザールの子孫の1人がアメリカに渡っているみたいなんだけどね、そのときに彼の杖を持っていったみたい』
「それ、どこで知ったの?」
『イルヴァーモーニー魔法魔術学校の歴史書』
さすがのトムも、私が両親にねだって手に入れた外国の本の内容までは知らないようだった。これはサラザールオタクとしては嬉しいことだった。私はトムに本を貸す約束をし、トムはこの件で私を認めてくれたのか、トムのほうから話しかけてくれるようにもなった。
の、だが。
どうやらトムのプライドを刺激してしまったらしく、トムはたびたびサラザール・スリザリンの情報を持ってきて私を試すようになった。そして、私が知らなかった情報だとわかると、決まって勝ち誇った笑みを浮かべ、賞賛の眼差しを要求した。トムの紳士的で優等生な振る舞いの影には、強大な承認欲求と自尊心の塊が隠れていたのだ。
「ナマエ、興味深い本を見つけたんだけど、知りたい?」
『う、うん』
「君がどうしてもというなら、教えてあげてもいいよ」
『えー、じゃあ、どうしても』
「じゃあ?」
『お願いします。トム・リドル様』
「いいよ。ついておいで」
トムは、すっかりめんどくさい人になってしまった。
仲が良くなるにつれて、トムの態度はどんどん尊大なものになっていった。それでもまだ、みんなが憧れるトムの意外な一面を知れたことや、名前で呼んでくれるようになったことへの喜びの方が大きかった。それに、たまに見せる嫌味っぽい言動以外は、相変わらず魅力的な青年だった。
「ナマエ、いいものを見せてあげよう。君にその資格があれば読めるはずだ」
『ホグワーツ魔法魔術学校……における、サラザールの……功績!?――えっ、すごい!何これどうしたの!?』
「へえ、読めるんだ」
『そりゃ一応監督生だし、オタクだし……それより中身も見せて!』
「自分で借りて読めばいい」
『そうする!ありがとう!』
「まあ、君に全てを解読できるとは思わないけど」
トムはわずかに口角を上げ、本を元の位置に戻してしまった。背の高いトムに口元だけで笑われると、どうしても見下されている気分になる。「わからない部分があったら僕に聞きにきなよ」と言ってくれるあたりはやっぱりいい人なんだろうが、偉そうな言い方のせいで素直に喜べない。
(まあいいか)
トムよりサラザールだ。本人が書いた書物には信奉者にしか読めないような呪いがかけられていると聞いたことはあったが、実物を見るのは初めてだ。大興奮した私は、これを見つけたトムを『友よ!』『天才!』『愛してる!』と褒めちぎり、呪い崩しに成功したページを毎日報告しにいった。
* * * トムとよく話をするようになったことで、私はいつの間にかスリザリンの中心グループに所属するようになっていた。彼らのほとんどは、最近出版された本で“間違いなく純血だ”と証明された名家の子どもたちで、本来であれば私のようなちょっと成績がいいだけの普通の家のオタクが気安く近づける存在ではない。そんな純血主義のエリートたちを孤児のトムが従えているのは、よく考えれば異様なことなのだが、あまりにトムが優等生だったため、誰も不思議がる人はいなかった。
そう、トムはあくまで優等生だったのだ。だから、6年生になったある日、女子トイレから出てくるトムの姿を見たときは我が目を疑った。あのトム・リドルが女子トイレに忍び込むなんてありえない。きっと見間違いだろう――。そう思ったのに、振り返った顔は間違いなくトムだった。
「やあ、ナマエ」
トムは、何事もなかったかのように挨拶をしてきた。
「先生を呼んできてくれないかな」
『どうして?』
「生徒が死んでいるんだ」
淡々と、動揺の欠片もなく告げられた言葉に、私はしばし反応ができなかった。トムの口元には、うっすらと笑みが浮かんでいる。ゾクッと悪寒が走った。
『トム、今なんて?』
「穢れた血が――継承者の敵が死んだ」
『え……継承者……?』
「大丈夫。ここは僕が見ているから」
何が大丈夫なのかわからないが、私はトムをその場に残して先生を呼びに行った。あっという間に大騒ぎになって、ばたばたと人が出入りし、数週間後に犯人が捕まった。
「ほらね、大丈夫だった」
ハグリッドが連行されていくのを時計台から見るトムは得意気だった。
「僕の仮説は正しかった」
『仮説って、秘密の部屋の?』
「そう。君ならとっくに答えに行き着いていると思っていたけど」
『あー、んー、それだと犯人はあの場にいたトムってことになっちゃうよ』
「犯人?」
『ごめん、冗談』
「だよね。継承者は君にとって神のような存在のはずだ」
(私そんなこと言ったっけ?)
「ダンブルドアさえいなければすぐにでも証明できるのに……いずれ必ず、君をあの場所へ連れていってあげる」
トムは――おそらく初めて顔全体を使って――やわらかく微笑んだ。1年前の私だったなら、赤面して呼吸困難になっていたかもしれない。しかし、一連の事件の真相を知ってしまった私は、別の意味で呼吸困難になりかけた。
「その顔、とても素敵だ……僕への畏怖の念を感じる」
『ど、どうもありがとう』
「特別に最初に僕を“ヴォルデモート卿”と呼ぶ権利をあげるよ」
『こ、光栄です。ヴォルデモート卿』
(もしかしなくてもトムって危ない人……?)
あだ名と呼ぶにはあまりに元の名前とかけ離れている名前を呼ばれて恍惚とした表情を浮かべたトムを見て、天才も行き過ぎると問題だなと私は思った。
* * * トムはダンブルドアの詮索を恐れていたが、1ヶ月もするとマートルの騒動はすっかり落ち着いた。表彰されたトムの人気はうなぎのぼりで、一緒にいると自分まで注目されているようで落ち着かない。だから私はなるべくトムと2人で出歩くことを避けたのだが、注目されることに慣れているトムは普段通り私に声をかけてきた。
「ナマエ、僕に無断でどこへ行く気?」
『図書館。本を返しにいくの。これ、トムに断りが必要?』
「君はまだ理解していないようだからはっきり言っておくけど――」
ついてきたトムが、周囲に誰もいなくなったときを見計らって口を開いた。
「――僕と君は恋人同士ということになっている」
『はあ!?』
つい大きな声を出してしまったら、下品だと怒られた。驚くなというほうが無理だと言うと、どうして驚くんだとさらに怒られる。混乱のあまり眉間にしわが寄っていた私を見て、トムは不愉快極まりないといった表情を見せた。
「不満なわけ?この僕が?」
『不満というか、疑問しかないんだけど』
「不満はないんだよね?」
『いや、だから、その前に疑問がね』
「まどろっこしいのは嫌いなんだ。イエスかノーかで答えて」
天才様の会話に凡人がついていくのは難しかった。10ふくろうをもってしても、トムの不機嫌の理由も、2択のうちどちらが正解なのかも、見当がつかない。
『の、ノー』
よくわからないままイエスというのは怖かったので、とりあえずそう答えてみた。すると突然トムの目つきが鋭くなり、肩をつかんで壁に押し付けられた。目の前には杖。それを持つ人に優等生の面影はない。
「君にこの僕の申し出を断る資格があると思っているの?」
『えっ……ない……の、かな?』
「そうだよ。あるはずがない」
『あの……あなた、トム・マールヴォロ・リドルさんですよね……?』
「何を馬鹿なことを聞いているの?」
『あ、はい、すみません。ヴォルデモート卿』
「わかればいいんだ」
杖を下ろしたトムは、私に向かって軽く肘を曲げてきた。男性が女性をエスコートするときのポーズだから、腕を組めということなのだろう。無視をするわけにもいかないので、開いた隙間に手を入れるが、トムはまだ不満そうだ。手から本を奪われた私は、仕方なくトムに腕を絡めてピトッとくっついた。するとトムはようやく表情を優等生に戻し、何事もなかったかのように歩き始めた。
(天才を通り越して鬼才だったみたいね……人間には理解できないわ)
図書館にたどり着く頃には、私たちの周囲には遠巻きに輪ができ、ざわついていた。そりゃそうだ。紳士的ではあってもパーソナルスペースが広いトム・リドルが、パーティでもないのに女の子を連れて歩いているのだ。私だってざわつく側に混ざりたい。
「ちょうどいい」
私の混乱も突き刺さる視線もおかまいなしに、トムは本を返却したところでキスをしてきた。
* * * 1週間くらいが経ってようやく、私はトム・リドルの恋人“役”に抜擢されたようだということを理解した。言い寄ってくる女の子たちの相手をするのが面倒にでもなったのだろう。ちょうどよく近くに転がっていた、純血で、監督生で、10ふくろうを取った従順なサラザールオタクは、鬼才様のストレスフリーな生活のための尊い犠牲になったのだ。
(まあいいけど)
たまに危ない発言をする以外は、頭がいい紳士的なイケメンなのだ。羨ましがられるし、目の保養になるし、サラザールについて語れるし、私にも得なことが多い。
ただ、私たちの関係が恋人同士と言えるかどうかは、微妙なところだった。トムはとにかく自己中心的で、手をつなぐのも、キスをするのも、私からのアプローチは基本的に全て嫌がった。ちなみに私がトムの誘いを断ることは許されていない。そもそも誘い方が「一緒に図書館に行かない?」とかじゃなく、「行くよ」なのだ。『どこに?』と聞いただけで「言う必要がある?」と睨まれる。
『トムって私のことが好きなんだよね?』
「……何?キスしてほしいわけ?」
『いや、』
「嫌?」
そうじゃなくて、と言うことすらできなかった。言い方が気に障ったらしいトムは、私の喉に手をかけ、強引に唇を奪った。
「僕を否定することは許さない」
『うん。わかってる』
一方的で乱暴なのに、トムのキスはとても気持ちがいい。だから私はいつもこうして物理的に口を塞がれ、性格に少々難があるくらい目をつぶってもいいかなと思わされてしまうのだ。
日が経つにつれ、トムの化けの皮はきれいにはがれていった。それはもう見事に薄く薄くはがれていくものだから、監督生になりたての頃のトムが出てくる夢を見て、ああ今のトムはずいぶん鬼畜になってしまったんだなと理解したくらいだ。
「この僕が話しかけているときに考え事だなんて、いい度胸じゃないか」
うっかり2人で見回りをしているときに物思いにふけったのを、トムは見逃さなかった。甲冑の影に連れ込んで、「何を考えていた?」と凄んでくる。私の顔の横に剣がきているのも、トムの計算だろう。さすがにさっくりいくことはないだろうが、圧迫感による脅しの効果くらいはある。
『今朝見た夢を思い出していただけよ』
「へえ。どんな夢?」
『昔のトムの夢』
「ふうん」
私は、自分のことだと知ったトムが機嫌を直してくれることを期待した。しかしトムは「気に入らない」と吐き捨てた。そして私の心を読んだかのように、「君が脳内で作り出したそいつは僕じゃない」と言ってきた。
「そいつと何をした?何を話した?」
『聞いてどうするの?』
「僕が全てやりなおすに決まっているだろう。そうでもしないと、馬鹿な君は僕の方が優れていると認識できないだろうからね」
『そんな、自分にまで嫉妬しなくてもいいのに』
「そいつは僕じゃないと言っただろう」
トムの怒りの矛先は完全に私に向いていた。初めて一緒に見回りをしたときのことだと説明しても納得してくれない。逆に、同じことをしているのに夢を思い出して口元を緩めたことを知って腹を立てた。
「今の僕が昔の僕に劣るとでも?」
『ううん、ふと昔のトムは優しかったなーって思っただけ』
「それじゃ今の僕は優しくないと聞こえる」
『優しくないわ』
「せっかく浮気を許してあげようと思ったのに、そういうことを言うんだ」
『だ、だって夢のトムは、私のことをたくさん褒めてくれて、かわいいねって頭をなでてくれて、夢のことでも嫉妬するのはそれだけ君が好きだからだよって言いながら優しくキスしてくれたもん!』
「……へえ」
私はとっさに嘘をついた。トムは自分からやると言ったことはどんなことがあろうと実行する人間だ。宣言どおり、全部やりなおしてくれればと思った。しかし、トム相手に小手先の工作が通用するはずがなかった。トムはあっけなく私の魂胆を見抜き、「馬鹿じゃないの」という侮蔑の言葉と共に嘘つきの罪を追加してきた。
「君の愚かさは賞賛に値するよ」
青ざめる私の首を締めるようにネクタイを引っ張り上げたトムは、苦しむ私を見て優越感に満ちた笑みを浮かべた。
「その敗北感に満ち溢れた表情も悪くない。ナマエは僕の好みをよくわかっている」
『こ、好み……?』
「この僕を苛立たせる才能は世界一だ」
『それって褒めてるの?』
「文句ある?」
あるわけないよねと言いながら、トムは唇を重ねてきた。優しさを感じられたのは最初だけで、すぐに舌が蛇のように絡み付いてきて離れなくなる。丁寧に唇を舐めあげられる頃には、意識が朦朧として立っているのがやっとの状態になった。
「僕とそいつと、どちらが気持ちいい?」
したり顔で言うトムを見て、やられたと思った。私はまた、トムにいいように弄ばれている。
「ほら、言いなよ。早く」
『わ、わかんないから、もう1回』
「君は嘘が下手だね、ナマエ。はっきり言わないならもう2度とキスはしない」
『う……今のトムが好き、です』
「……この状況で、よくそんなことが考えられるね」
『えっ』
「目の前の僕を見ろ――この僕を!」
トムは完全に私の心を読んでいた。こんなんじゃまた夢に出てきてしまうと思った瞬間、トムの目が眼光だけで人を射殺せそうなほど鋭くなった。
「どうやら君には寝られなくなる呪いをかける必要がありそうだ」
『め、目の前のトムが好きだから夢にまで出てくるのよ!』
「ふうん」
『トムは私の夢を見たことないの?』
「見るよ」
トムお得意の“自分だけは特別”は、いつも突然やってくる。トムは私に浮気だと言ったことなど忘れたかのように、挑戦的な目を向けてきた。
「ナマエにも同じことをしてあげよう」
『いえ、遠慮しときます』
「大丈夫。跡は残らない程度にするよ。寝られなくなるし、丁度いい」
(だからトムの大丈夫はどこが大丈夫なのかわからないんだって)
いかがわしい意味なのか、痛い意味なのか。たぶん後者なのだろうなと、杖を弄ぶトムを見ながら思った。
鬼才のキス Fin.