朝食や授業の準備で生徒たちがせわしなく行き交う朝。太ったレディの肖像画の向かい側に、腕を組んで壁にもたれかかっている1人のスリザリン生がいた。
談話室から出てきた生徒に何か言われるたびに睨み返しているため、眉間には深い皺が刻まれている。そんな不機嫌極まりない生徒――セブルス・スネイプの元へ向かうのが、ここ最近のナマエの日課だった。
『おはようスネイプ』
通り過ぎる人にじろじろ見られるたびに睨み返していたスネイプは、ナマエの姿を見てようやく緊張を解き、眉間に力を入れるのをやめた。
『今日も来ていたのね』
「あと3日だからな」
ナマエが笑いかけると、スネイプも口元を緩めた。野次が飛ぶ中「いくぞ」と短く言い歩き始めるスネイプの2〜3歩後ろを、ナマエがついていく。徐々に近づきつつある距離に、ナマエの顔から自然と笑みがこぼれる。
ナマエがスネイプに告白されて1ヶ月。スネイプは毎日グリフィンドール塔にナマエを迎えに来ているが、2人はまだ恋人同士ではない。
* * *『なにそれ、新手の嫌がらせ?』
1ヶ月前、何の前触れもなくスネイプに好きだと言われたナマエは、まともに取り合わなかった。
「違う。ナマエ、僕は本気だ」
『グリフィンドールの私がスリザリンのあなたの言うことをそう簡単に信じると思う?』
「どうしたら信じてくれるんだ!」
『そうねぇ……』
最初はまったく相手にしていなかったナマエだが、授業が一緒になるたびに付き合ってほしいとしつこく迫られ、仕方なく条件を出したのだ。
『じゃあ、これから1ヶ月間、毎朝グリフィンドール搭に迎えに来てくれたら付き合ってあげる』
「……わかった」
『毎日よ?談話室の前までよ?』
スリザリンの生徒なら近寄りたくもないグリフィンドール搭。しかも、スネイプをいじめる悪戯仕掛人がいる。ナマエは条件を出した時点でスネイプがあきらめると思っていたのだが、予想に反しスネイプは顔色ひとつ変えず快諾した。そしてそれから毎日、約束どおりスネイプはグリフィンドール塔まで来た。
最初の1週間はとにかく嫌で嫌で仕方がなかった。自分で言い出した手前、来ないでくれとも言えず、ナマエは他のグリフィンドール生と同様に、毎朝スネイプに冷たい視線を浴びせた。
早く諦めてほしくて、待っているスネイプを無視して通り過ぎたり、悪戯し掛け人に追い払うよう頼んだこともあった。それでも毎朝欠かさず会いに来るスネイプに、ナマエの気持ちに少しずつ変化が出てきた。
大きく見方が変わったのは10日目。ナマエが何気なく『おはよう』と声をかけたとき、スネイプは目を丸くして驚いたあと、顔を赤くしてうつむきながら返事をした。
その姿がかわいくて、ナマエは自分がスネイプに対して偏見を持っているのではないかと気づいたのだ。
スネイプのことをもっと知りたくなったナマエは、次の日から大広間までスネイプと一緒に向かうようにした。一緒にといっても、始めのうちはだいぶ離れてスネイプの後姿を追うだけだった。
徐々にその距離を縮め、声が届く距離になると、とりとめのない会話をするようになる。そして話をしているうちに、やはり自分は偏見を持っていたのだなと実感した。
『薬学得意でしょ』と言えば、嬉しそうに笑った。荷物があるときは持ってくれた。ほんの少しの変化にも気づく細かさや、体調の悪いナマエを気遣う優しさも持ち合わせている。その気持を、不器用ながらも一生懸命に伝えようとしてくれる――。いつの間にか、ナマエはスネイプに惹かれていた。
スネイプのことが好きだ気づいてからは、1カ月という条件がもどかしく感じられた。自分で条件を出しておきながら、途中で心変わりされてしまったらどうしようと不安になる。
そんなナマエの心配をよそに、次の日も、その次の日もスネイプは変わらずグリフィンドール塔へナマエを迎えに来た。
* * *『ねえスネイプ、いまさらだけど、本当に本気なの?』
「本気じゃなかったらわざわざこんなところまで毎日来るわけないだろ」
翌日、大広間に向かいながらナマエが尋ねると、スネイプは少し顔を赤らめながら答えた。
『……ならいんだけど』
「え?」
『ううん、なんでもない。じゃあまた明日ね』
笑顔で手を振って別れようとナマエがスネイプを追い越し背を向けた瞬間、「ナマエ」と名前を呼ばれる。ナマエが振り返ると、ナマエのローブの端をスネイプが遠慮がちにつかんでいた。
『何?』
「なんでもない……また、明日」
『うん……変なスネイプ』
不思議そうな顔をしてグリフィンドールの席へ向かうナマエの後姿を、スネイプは入り口に立ったまま目で追った。
明日会うことを楽しみにしているかのような発言、スネイプに向けられる笑顔に、いやおうなしに期待してしまう。
(からかっているわけじゃないよな……?)
明日で約束の1ヶ月目になる。嫌だと言われても、もう引ける状態じゃなかった。
* * * そして次の日。ナマエは最後の日くらい自分が先に出てスネイプを待っていようと思い、いつもより1時間早く起きて塔を下った。誰もいない談話室を通り抜けて寮から出ると、人気のない廊下に腕を組んで壁にもたれかかっているスリザリン生がいた。
『うそ……』
「なんだ、今日は早いんだな」
いつもと変わらない口調で話すスネイプを見て、ナマエは肖像画の前で口元を押さえて動けなくなる。
『今日は、って……いつもこんな早くから待っていたの?』
ナマエは寝坊こそしたことがないものの、毎日決まった時間に起きているわけではない。早いときもあれば遅いときもあった。それにもかかわらず、毎日必ずここで待っているスネイプが何時からいるのかなんて、気にしたことなどなかった。
「当たり前だろ。朝早く抜け出されて“いなかった”って言われたらおしまいだからな」
当然のように言われた返答に、喉の奥が詰まった。1ヶ月間ずっと、毎日、グリフィンドール生が行き来する場所に、1時間以上も待ち続けていたなんて――。
「今日早かったのは、最後の日に僕を出し抜くためじゃないよな?」
スネイプは寄りかかっていた壁から背を離した。仕掛扉の前から動く気配がないナマエの元へ、歩み寄る。心なしか睨んでいるように見え、ナマエは焦った。
『そんなこと思ったこと1度もないわ!今日だって、たまには私がスネイプを待ってようと……その、最後の日だし……わっ!』
顔を赤らめながら言うナマエの後頭部にスネイプが手を回して引き寄せた。コツンとナマエの頭におでこをくっつけ、「ならいいんだ」とほっとしたように呟く。
いつもより1時間も早く出てきて、スネイプを見た途端に息をのんで立ち尽くしたナマエを見て、もしかしたら、と思ったのだ。最後の日に絶望させるために、今まで優しくしてきたんじゃないか――と。
「僕の考えすぎでよかった」
スネイプはナマエの背に手を回し、真っ赤になっているナマエを優しく引き寄せた。突然スネイプの胸へダイブしたナマエは逃れようともがいたが、力でかなうはずもなく、より強く抱きしめられる。
『や、ちょっと、離してっ』
「嫌だ。じっとしてろ」
耳元で聞こえる強くて落ち着いた口調とは裏腹に、スネイプの心臓はナマエと同じくらい早鐘を打っている。スネイプの胸に顔をうずめてその音を聴き、妙に安心感を覚えたナマエは抵抗するのをやめた。
「ずっと、こうしたいと思っていたんだ。ナマエを、僕のものにしたいって……」
スネイプは抱きしめていた腕の力を抜き、ナマエの目をのぞきこんだ。2つの黒い目がナマエの顔だけを映す。
「ナマエ、僕は君が好きだ。僕と付き合ってほしい」
『……うん。ありがとう』
私を好きなってくれて。1ヶ月も通い続けてくれて。
『私、セブルスに好きになってもらえてよかったわ』
ナマエはおずおずとスネイプの背中に手を伸ばし、ローブをぎゅっとにぎった。
「今、僕の名前……」
『――っ、だ、だって!』
今日、会ったら名前を呼んで挨拶しようとナマエは決めていた。しかし、まさか先に待たれているとは思わっていなかった、言うタイミングを逃してしまった。だから、さりげなく言ったつもりだったのだが……。
「よく聞こえなかったからもう1度言ってくれ」
『無理無理、恥ずかしいっ!』
「ナマエ、……もう1回」
改まって指摘され、じっと見つめられると恥ずかしさで息が止まりそうになる。ナマエ以上にスネイプが赤くなっていることが唯一の救いだ。
『セブルス、私……セブルスが好きよ』
ナマエは腕に力を込め、スネイプを抱きしめた。
百夜通い Fin.
リクエスト:学生セブルス(甘)