今年初めてのホグズミードから2ヶ月が経とうとしていた。降り続く雪はホグワーツ一帯を覆いつくし、世界はすっかり色を失っている。
パチパチと燃える暖炉の残り火を眺めながら、ヒナノは最近めっきり見かけなくなったアイスブルーの瞳の持ち主のことを考えていた。
噂によると、最近のドラコは宿題もろくにやらず、監督生として威張り散らす権利すら放棄しているらしい。闇の勢力が勢いを増している中、そんな態度は“らしく”なく、ハリーは口癖のように「何かを企んでいるに違いない」と言ってくる。
(父親のことを考えたら、諸手を挙げて喜べないのは当然だと思うけど……)
ああ見えてドラコは繊細で打たれ弱いところがある。こと家族に関しては敏感で、父親が理事を下ろされたときも、死喰い人として新聞に名前が挙げられたときも、ドラコはしょんぼりして隅でおとなしくしていた。
ハーマイオニーが言っていた「親衛隊特権という甘い蜜を吸ってしまったドラコに、普通の監督生は魅力的に映らないのだろう」という意見も一理あると思う。しかしハリーはめげることなく「もっと違う事に夢中だからに違いない」と声高に主張している。
早い話が、一度は落ち着いた“ドラコ死喰い人説を唱える病”が再発したのだ。
事の始まりは数週間前、スラグホーンが学期最後に開催されるクリスマスパーティにハリーを招待したことだ。パーティにつきもののパートナー探しという課題を課せられたハリーは、またしても女の子たちの期待の眼差しに曝されつづけるという難儀な日々を送らざるを得なくなっていた。
そんな折、ハーマイオニーが女子トイレで聞き捨てならない会話を耳にした。といってもそれはドラコや死喰い人に関わるものではなく、なんとしてもハリーのパートナーを務めたい一部の女子が、ハリーにW.W.W.の惚れ薬を盛ろうと計画しているというものだった。
その場で薬を没収することができなかったハーマイオニーは、食べ物や飲み物に十分注意するようハリーに伝えた。ところがハリーは、自分の身に迫る危険よりも、W.W.W.の商品が咳止め薬に偽装して郵送されていることに興味を持った。呪いのネックレスも、同じように偽装して持ち込まれたのではないか、と。
『……そんなわけないじゃない』
ヒナノはポツリと呟いて指を組んで腕を曲げ、寝るときだけ耳から移動させているリングへ顎を乗せた。
何かしらの偽装が施されていたなら、先生方の手に渡った時点で明らかにされているはずだ。たとえ何らかの方法で持ち込むことが可能だったとしても、それを行ったのはドラコではない。なぜならドラコは、事件に関わっていないと言っていたのだから――。
(だけど……それじゃどうしてあんなに様子がおかしいの?)
今年に入ってから、ドラコは明らかに変わった。それは対ヒナノに限ったことではない。前述の通り勉強や仕事への取り組み方もそうだし、他のスリザリンの生徒ともつるまなくなっている。
付き合っているという噂のパーキンソンでさえ、一緒にいる姿は食事時くらいしか見かけない。それもパーキンソンが一方的に話しかけているだけで、ドラコはいつも心ここにあらずといった状態だ。
(家のことが原因だったとして、クィディッチまで嫌になるなんてことある?)
ドラコはかつて「父上は僕が選手になれなかったらそれこそ犯罪だっていう風に言うんだ」と言っていた。クィディッチが心底好きで、自信があるからこそあんなことを堂々と言えたのだろう。
負けたときに柄にもなく落ち込むのも、ズルをするのも、ドラコがクィディッチに夢中になっている証拠だ。それなのに宿敵であるグリフィンドールとの開幕戦を欠場するなんて、どう考えてもおかしい。
(よっぽど具合が悪いとか……?)
最近のドラコの顔色の悪さを考えると、本当に病気である可能性もある。ただ、それにしては周囲の反応がおかしい。ドラコの代理で出場したハーパーも、急に代打を頼まれたにしては妙にこなれていて、まるでドラコが病欠することがわかっていたかのような落ち着きっぷりだった。
(もっとちゃんと話を聞けたらいいのに)
ホグズミードで見られた関係修復の兆しは、あれきりパタリと途絶えてしまっている。思い切って誘ったクリスマスパーティも見事に撃沈。このままでは、アリバイ作りに利用されただけだというハリーの言い分に頷いてしまいそうだ。
「あれ?ヒナノ、まだ部屋に戻っていなかったの?」
『うん、もう寝るところ。ジニーは――』
顔を上げたヒナノは、太った婦人の隠し扉をくぐってきたジニーの目が真っ赤に腫れていることに気づいて慌てた。
『どうしたの?何かあったの?こんなに遅くまで、どこにいたの?』
「なんでもないわ。ちょっとデートついでに喧嘩して、気づいたらこの時間だっただけ。……あの人、私のこと、何も出来ない赤ちゃんみたいに扱うんだから」
ジニーは鼻をスンと鳴らし、「傷心中だから減点は勘弁して」と冗談を飛ばしながらヒナノの横に座った。
「それより聞いた?スラグホーンのクリスマスパーティ、ハーマイオニーはコーマック・マクラーゲンを誘うことにしたみたいよ」
『コーマックって、あのキーパー選抜に来ていた?』
「そう。ロンへの当てつけですって」
『あ、当てつけ……』
ヒナノは唖然とした。
ロンがラベンダーと付き合うようになったことは知っていた。そのことでハーマイオニーが涙を流したことも知っている。だからといってあの聡明なハーマイオニーが、ロンへの嫌がらせのためだけにクリスマスのパートナーを選ぶなんて俄かには信じられなかった。
『そんなことをして、余計にこじれることにならないといいけど……』
「案外いい薬になるかもしれないわ。ショックで目が冷めるかも」
『……やっぱりロンって、ラベンダーのことが好きで付き合ってるわけじゃないよね』
「でしょうね。本人は運命の人だと思ってるみたいだけど」
笑っちゃう、と言ってジニーは先程と違う調子で鼻を鳴らした。
「まあ、ある意味仕方なしよね。ロンだけ取り残されていたんだもの。適当な人で練習して人並みになっておくのも、長い目で見れば悪くないと思うわ。見たでしょあのキス。ラベンダーの顔を食べているのかと思ったわ」
『うん……まあ……』
まるでこの年ならキスをしたことがあって当然のように言うジニーに、ヒナノは曖昧な相槌を打った。
イギリスの文化はそれなりに理解をしているつもりだ。ヤドリギの一件もあって、イギリス人のキスのハードルが思っていたより低いことも知っている。他人は他人、自分は自分だとも思っている。それでもドラコが他のみんなと同じように、誰かと平気でキスをしているのかもしれないと思うと胸が苦しかった。
* * *
他人事に思えなかったヒナノは、後日ハーマイオニーを捕まえて『ロンがパーティに出ないなら当てつけにならないんじゃない?』と言ってみた。
ハリーに友人として誘われた直後だったこともあってか、ハーマイオニーの心は少し揺らいだようだった。しかし結局、パーティ当日にハーマイオニーと一緒に現れたのはロンでもハリーでもなく、得意気なコーマック・マクラーゲンだった。
大声でクィディッチの腕自慢をする声がこちらまで聞こえてくるし、強引にハーマイオニーをヤドリギの下に連れ込もうとする姿もチラリと見えた。スニッチ顔負けの身のこなしで人ごみに逃げ込むハーマイオニーの表情は、どこからどう見ても“してやったり”とは程遠い。ヒナノはコリンと一緒に大きな花瓶の影に行き、小声でハーマイオニーを手招いた。
『はいこれ。喉渇いたでしょ』
「ああヒナノ、ありがとう。なんだかこの部屋、暑いわね」
『ハーマイオニーが走り回っているからよ』
すっかり髪型が崩れてしまったハーマイオニーにゴブレットを渡し、ヒナノは『馬鹿なことするからだわ』とたしなめた。
『ロンへの嫌がらせのために自分が嫌な目にあってどうするのよ』
「あいつがここまでしつこいって思っていなかったのよ」
『どうするの?コーマックってば、完全にハーマイオニーが自分に気があると勘違いしてるじゃない』
「なんとかするわよ。自分で撒いた種なんだから」
言い終わるか終わらないかというタイミングで、ハーマイオニーがさっと別の人のところへ向かった。何事かと思いきや、まもなくして、イラつき気味のコーマックが大柄の魔法戦士の影から出てきた。
「今グレンジャーがここにいなかったか?」
『いたけど、もういないわ』
「ったく、いつまであいさつ回りをするつもりだ」
『ハーマイオニーらしくていいじゃない。社交的で勉強熱心で……』
「上昇志向は結構だが、パートナーの相手をするのも忘れてもらっちゃ困るね」
ヒナノが時間稼ぎのために勧めたロックケーキをバリバリ噛み砕きながら、コーマックはハイエナのような目を部屋へ走らせた。
『残念だけど、ハーマイオニーはあなたのことをちゃんとしたパートナーだと認めていないようね』
「グレンジャーがそう言ったのか?」
『言わなくてもわかるわよ。ねえコリン』
「ウン!気合の入れ方が全然違うもの。やっぱり世界レベルじゃないとダメなんだと思うな。クラムが相手だったときのハーマイオニーは、すっごくきれいだったよ!」
コリンが大げさに頷き、コーマックが舌打ちをする。
これで諦めてくれればと思ったが、コーマックは何も言わず、袖で口をぬぐって窓辺へ消えていった。
『ありがとうコリン。話を合わせてくれて』
「全然!それより僕はちゃんとヒナノのパートナー役をこなせてる?魔法界のパーティって初めてだから、僕全然わからなくて」
『いつもどおりでいいのよ。友達として来てるんだから』
「よかった!それにしてもスラグホーンってすっごいね。新聞や雑誌で見たことある人ばっかりだ!」
目を輝かせるコリンは、先ほどから写真ばかり撮っている。エスコートする立場としてはどうかと思うが、“される側”が苦手なヒナノにはちょうどいい。何よりこんなに喜んでもらえると、コリンを誘った甲斐がある。
「ウワーッ、見てよヒナノ、あの人吸血鬼だって!」
『ちょっと。指をさしたら失礼よ』
「うん。でも見て、あっちには……え、マルフォイ?」
シャッターを切る音が止まり、コリンがファインダーから顔を上げた。くりっとした目の先に、確かにドラコがいる。場にそぐわぬ制服姿で、なぜかフィルチに耳を引っ張られている。
「こいつが上の階をうろついているところを見つけました。先生のパーティに招かれていると――」
「ああ、招待はされていない!これで満足か?」
フィルチが言い終わる前に、ドラコがその手を振りほどいて怒鳴った。その目にはなぜか怯えのようなものが見える。散々仕事や宿題を投げ出しておいて、今更スネイプに怒られるのが怖いとでもいうのだろうか。
「マルフォイもパーティーに来たかったのかな?」
『まさか……そんなはずないわ』
ドラコがスラグクラブを馬鹿にしていたことは、ザビニから聞いて知っている。それにドラコは“羨ましくて”パーティに忍び込んでしまうような人じゃない。だってドラコはいつでもパーティを主催できる豪邸を持っていて、自分のパーティ慣れを自慢するような人なのだから。
ヒナノは、何が起こっているのか確かめようと、驚き立ち尽くしている魔法戦士の間を抜けて前に出た。しかしドラコの元にたどり着く前に、スネイプがドラコを連れ出してしまう。
「さあさあ、仕切りなおしだ」
スラグホーンが手を叩き、止まっていた時間と人が動き出す。お盆を持って現れたボーイで視界が遮られる前に、ハリーの後姿が廊下に消えていくのが見えた。
「アンタは追わないの?」
『うん……大丈夫』
ヒナノはバタービールを2つもらい、横から現れた夢見心地なルーナと一緒にコリンの元へ戻った。