ケイティ・ベルが入院したと聞いたとき、ドラコはあやうく「あの間抜けめ!」と叫ぶところだった。早めに帰ることでフィルチの検査を逃れられるとわかったときは幸先いいぞと喜んだのに、ネックレスはフィルチの検閲をすり抜けるどころか校門をくぐり抜けることすらなかった。
(くそっ、何が“幸運の女神”だ。天候も状況も最悪じゃないか)
預かり物の包みを途中で開ける不届き者のせいで、1つ目の作戦は失敗に終わってしまった。しかも間の悪いことに、その現場にハリー・ポッターが居合わせたという。犯人はドラコ・マルフォイだと進言したらしく、ドラコはスネイプに呼び出されるはめになった。
(どいつもこいつも僕の邪魔をしやがって!)
姿を現すキャビネットを修理しに向かったドラコの元に、嵐のような勢いでヒナノが駆けてきた。一緒にホグズミードに行ったことで調子に乗ったらしく、出会いがしらにローブをつかんできた。
『ハリーがドラコを疑っているの。だから確かめておきたくて。ケイティの件よ』
「僕がやったという証拠はあるのか?」
『ないわ』
「ふぅん。お偉いポッターの話は絶対っていうわけか」
『ドラコじゃないのね?』
「違う」
『そうよね。よかった。変なこと聞いてごめん』
ほっとするヒナノを見て、ドラコは目を丸くした。
「……信じるのか?」
『そりゃそうよ。他人の憶測より、本人の言葉を信じるのは当然でしょ』
「おめでたいやつだな。本人が嘘をついているかもしれないじゃないか」
『なに?疑ってほしいの?』
「そうじゃない」
ドラコは困惑した。ヒナノは当然ハリー・ポッターの言い分を信じると思っていた。今までだって、噂が立つたびにポッターのことを庇ってきたのだから。
(本人の言葉を優先していただけだって言うのか?)
そんなはずはないと過去の記憶を辿っても、否定材料になりそうな出来事は見つからない。あらかじめ準備していた嫌味や煽りもあったのに、完全に言うタイミングを失ってしまった。
『どうしてそんなに驚くのよ。ドラコは他人の権力を笠に偉ぶるのが得意だけど、嘘はめったにつかないでしょ。秘密の部屋の事件のときだって、自分が継承者だと言って威張ることもできたのに、そうしなかったわ』
「もし僕が犯人だったらどうするんだ」
『ひっぱたいて理由を聞いて、一緒に謝りにいくわ』
「へえ。驚きだな。僕の話なんて1度も聞いたことがないくせに」
『それは……そうかもしれないけど』
ヒナノは目を伏せ、ため息をつくように『これからはちゃんと聞いて話し合えるよう気をつける』と呟いた。
『じゃあね。見回りもいいけど、体調悪いなら早く寝てね』
くるりと回転し、駆けていくヒナノを見送り、ドラコは左腕をさすりながら必要の部屋へ向かった。
* * *
その晩以降、ヒナノがドラコの周りをうろつくことはなくなった。
ドラコがそのことに気づいたのは1週間後。本格的なクィディッチシーズンが到来してからだ。そうか練習で忙しかったからかと納得すると同時にどこか残念な気持ちになっていることに気づき、ドラコは眉根を寄せて邪念を振り払った。
ドラコには他に考えなければならないことが山ほどあった。
その筆頭が失敗してしまった先の任務の後始末だ。呪いのネックレスがスネイプの手に渡ってしまった以上、ボージンアンドバークスの品だと気づかれるのは覚悟しておかなければならないだろう。出所がわかれば、スネイプはきっと購入者を調べに行く。
硬く口止めしておいたからボージンが口を割る心配はないが、スネイプが真実薬や開心術まで使うつもりならどうなるかわからない。気をつけるよう手紙を送っておくべきか、それとも記憶を消すか――そういった行動をドラコが取ることを見越し、罠を張っている可能性もある。
(面倒だな)
死喰い人で寮監という立ち位置のスネイプは、実にやっかいな存在だった。
情報収集という名目でホグズミードでの行動を尋ねてきたスネイプは、嘘があれば絶対に見逃さないぞという目をしていた。幸いにもドラコはヒナノというアリバイを用意していたため、自分の行動を嘘偽りなく話すだけでよかった。
堂々と「ヒナノにも聞いてみてください」と言うドラコに「そうしよう」と返したスネイプの眉間に寄っていたしわが、追求する余地がなかったことを示している。
(やっぱり、早めに次の手を考えるべきなんだろうな)
たとえスネイプがボージンからドラコの名前を引き出したとしても、ドラコがケイティ・ベルに三本の箒のトイレでネックレスを渡したという証拠はないわけだから、捕らえたり裁いたりすることはできないはずだ。だったら焦って下手な火消しをするより、キャビネットの修復や次の作戦を練ることに時間を使ったほうがいい。
問題は、その時間がなかなか取れないということだ。開幕戦が迫って練習が増加しているのはドラコも同じことで、周囲の目を避けようと思うと寝静まった頃にこっそり寮を抜け出すしかなく、とても満足に修理できたものではない。このままではいけないと判断したドラコは、試合の3日前にハーパーを呼び出した。
「僕の代わりに試合に出ろ」
ドラコが命じると、ハーパーは目を丸くして驚いた。
「理由は聞かないことが条件だ。それから当日まで誰にも言うな。先生にもだ。代わりに僕のニンバスも貸してやる」
「なんだって?いったいどういう風の吹き回しだ」
「別に。ただもうクィディッチなんていう幼稚な遊びには興味がなくなっただけだ。……だけどほら、寮杯もあるだろう?引き継ぐなら勝つ見込みがあるやつがいいと思ってね」
「そりゃ……だけどお前……僕……えっ、本当に?」
思いがけず花形のポジションを手に入れたハーパーは、喜びやらプレッシャーやらで、しばらく混乱していた。それでもドラコが「気が向かないなら別のやつに頼む」と言って背を向けると「やるよ!」と叫んで鼻息を荒くした。
「やるよ。僕がやる。条件ものむ」
「オーケー、交渉成立だ」
正直シーカーの座を譲るのにはかなりの抵抗があった。それがグリフィンドール戦ともなればなおさらだ。けれどドラコは決断した。
クィディッチの勝敗なんて小さなことはどうでもいい。寮杯だって何の意味もない。自分はもっと大きな勝負をしているんだ。こっちで勝てば、すべてがうまくいく。――そう、自分に言い聞かせて。
* * *
クィディッチ開幕戦の日は、風の少ない、よく晴れたいい天気だった。かつてのドラコなら、絶好のクィディッチ日和だと思ったことだろう。
しかし今日は違う。天気がどうであろうと、クィディッチの試合の日が意味するところは1つ、誰にも見られず自由に校内を動き回れる日だということだ。
ドラコは青白い顔をひっさげて、いつも通りユニフォームを着て朝食へ向かった。ハーパーは制服で出てきている。もちろんスネイプ対策だが、ハーパー本人には、ギリギリまでドラコが出るように見せかける奇襲作戦だということにしておいた。
グリフィンドールのテーブルでは、ガチガチに固まったロン・ウィーズリーが寮生に声を掛けられて吐きそうな顔をしていた。去年だったら歌のひとつでも歌っていたところう。しかし今のドラコには、そこまでの余裕がない。なるべく教職員席を見ないように朝食を食べきり、チームメイトと一緒に大広間を出て、すぐにハーパーと入れ替わった。
11時になれば、全校生徒が競技場に集まるため城が空っぽになる。ドラコは近くの空き教室で会場へ向かう人の波が収まるのを待ち、遠くに歓声を聞きながら8階に向かった。
誰にも見つからずに作業ができる場所を見つけ、キャビネットを移動させるところまではとんとん拍子に進んでいた。ところが肝心の修理に入った途端、急に暗礁に乗り上げた。どこが悪いのか、どんな魔法を使えばいいのか……先生方に聞くわけにもいかず、試行錯誤の日々が続いている。
正直、元どおりになる見込みは低いと思う。ボージンの説明はとにかく不親切で、見ないとわからないの一点張りだ。
だからネックレスを仕掛けたわけだが、結果はドラコの行動が制限されるだけに終わった。そもそもネックレスの件は何が悪かったのか――目立ちすぎたのか、服従の呪文が弱かったのか――いずれにせよ、これからはもっと慎重に行動しなければならない。
(クラッブとゴイルを見張りにつけることを考えたほうがいいかもしれないな)
とにかく時間が足りない。ドラコはため息をひとつついた後、夜になるまで作業に没頭した。
* * *
ヒナノが正選手ではなく、ケイティ・ベルの代理だったとドラコが知ったのは翌週になってからだった。ずいぶんと活躍をしたらしく、スラグホーンがお気に入り認定をしたという。「敵チームなのに」「だけど確かに一見の価値はあった」と話す生徒たちの横を通りながら、ドラコは人知れず舌打ちをした。
(僕はずっと前からチェイサーが向いていると思ってた)
今年の選抜試験を受けていなかったことも、急遽チェイサーを任されたことも、ドラコは知らなかった。ドラコ自身がヒナノを避けていたし、去年までのような情報収集もしていなかったから当然のことだ。それでも他人の口からヒナノのことを語られるのはおもしろくない。ドラコは鬱憤を晴らすために、ひと月ぶりにヒナノを待ち伏せした。
「やあ野蛮人。ようやく自分が女の子だって気づいたらしいな」
『ドラコ!どうして試合に出なかったの?病気って風邪?もう平気なの?』
「お前には関係ない」
『あるわよ。賭けをしているんだもの』
「あれはもうなしだ」
『そう……ねえドラコ……大丈夫?』
「お前に心配されるようなことなんて何もない」
『でも私は気になるわ』
口を引き結んだヒナノは、ぐっと首を伸ばし、蜂蜜色の瞳を見開いてドラコの顔や服装をじろじろと舐めるように見回した。
「スラグホーンの“お気に入り”になったらしいじゃないか」
居心地が悪くなったドラコは視線を逸らし、フンと鼻を鳴らした。するとヒナノは前のめりになるのをやめて『そうみたい』と苦笑いした。
『何人か生徒を集めて食事会を開いているみたい。変わった先生よね。両親の話をしたら喜んでいたわ』
「へぇ。血を裏切るものと野蛮人の話で喜ぶとはねぇ……そりゃ確かに変人だ」
『そう?ドラコと気が合いそうだなって思ったけど』
「僕が?あのもうろくした爺と?絶対にないね」
『あの先生、地位や権力が大好きみたいよ』
「自分にそれらがないからだろ」
ドラコはつっけんどんに返した。するとなぜだか急に、鍋いっぱいのヌガーを食べたかのように胃が重くなった。
『それでね、今度クリスマスパーティをするみたいなんだけどね、誰か1人誘っていいって言われたの』
「へえ。誰を誘うんだい?おべんちゃらクリービーか?それともスかしたスミスか?教えてくれよ。お見舞いのひと言を入れてあげたいからねぇ」
『じゃあ鏡を見て言うといいわ』
「鏡?……まさか僕を誘う気じゃないだろうね?』
『いけない?友達としてよ、もちろん。そういうのもありなんでしょ』
「冗談だろう?いつまで友達面をする気だ」
ドラコは努めて冷たい声を出した。そして父親が受けた屈辱を思い出し、ヒナノを目一杯にらみつけた。
絶交宣言をしたのに今までどおり話しかけてくるヒナノの無神経さもさることながら、自分を誘うつもりだったと聞いて一瞬でも浮き足立った自分の馬鹿さ加減に腹が立った。
「お前はポッターの船に乗ったんだ。そっちが沈もうが燃えようが、僕はもう助けない。こっちにかけた足は外してもらおう」
『またその話?言っておくけど、私は“ハリーの船”を選んだわけじゃないわ。私の行きたい方向に進んでいる船にハリーも乗っていただけよ』
「ものは言いようだな」
『そうね。だって私は魔女だもの。船がなくても空を飛んでいけるわ。ドラコも船なんかにこだわってないで、自由に飛んだら?シーカー(探索する者)なんでしょ』
「うるさい。僕に説教するな」
ドラコは「裏切り者が」と吐き捨て、地下へ戻った。本来の目的は忘れていた。むしろ忘れようと――気づかないようにしていた。言い合いでもいいから何か話したかっただなんて、認めるわけにはいかなかった。
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