群青4 | ナノ
恩返しがしたい。
この言葉に嘘偽りは微塵もない。
どんな言葉のナイフを投げかけられても、暴力を受けても、時には強姦されようとも…それに耐えることが生き長らえる唯一の術だった。
痛い、苦しい、辛い、止めてくれ。そんな言葉を全て飲み込んで感情を偽り10年以上生きてきたけれど、目の前で頭を深く下げる彼に恩返しがしたい。
寒空の下に倒れていた自分に、優しさとはこういうものなんだと、喜びという感情を与えてくれた彼に与えられるものが俺には何もないから。
そんな自分が唯一彼のために出来ることがあるならば、どんなことだってしたい。
そう思ったのは嘘じゃない。

自分なりに最上級の笑顔を見せてみた仁王の身体を、跡部はあの夜震える仁王を初めて抱きしめたときと全く同じように抱きしめた。
「全てが終わるまで…俺が絶対にお前を守ってやるから。」
この広い胸を、温もりを、香りをまた感じることが出来るなら、その先の未来がなんであれ構わない。
跡部の腕の中でそう思う仁王には、目頭に溜まる涙が何なのかは分からなかった。

「なぁ仁王、なんか俺にしてほしいことはあるか?」
「…してほしいこと?」
「ああ。明日からはお前にしてやれることも限られるし…今出来ることとか欲しいものがあればなんでもいいぜ。」
「…そんなんいらんのに。」
恩返しの恩返しなんていらない。
でも1つだけ願いを聞いてもらえるとしたら、また跡部の腕の中で眠りたい。
そんなことを言えるはずもなく、仁王はほんの少しだけ身を跡部の方へと寄せる。
他人への恐怖がなくならないのか、それまで自分から近付いてくることのなかった仁王が、僅かながら身を近付けてきたことに気付いた跡部は仁王の気持ちを察しそっと抱き寄せた。
小さく笑みを零した仁王の頬に跡部は思わずキスを落とした。

その瞬間仁王はヒィッと僅かに声を漏らす。
「あ…悪い…」
拒絶を表す声に跡部は若干傷つきながら身を離し枕元の灯りをつけ仁王を見ると、身体を硬直させ爪を下唇につきたて、そこから血が滲んでいる。
「おい!血出てんじゃねぇか…!」
無理やり手を引き剥がし、名前を呼びかけると仁王はハッとして起き上がると頭を左右に降り始めた。
「…違うんよ…!お前さんのせいじゃなかっ…!俺が…ごめんなさいっ」
「なんでお前が謝るんだよ?仁王は何も悪くねーだろ?俺が急に…」
「これ以上っ嫌いにならんで…!」
跡部の声が聞こえているのかいないのか、 ベッドシーツを掴み今にも泣き出しそうな顔で訴える仁王に跡部は「嫌いになるわけねーだろ?」と当然だというように言ってみせた。
″これ以上″…過去のトラウマと現在とを重ね合わせてしまったのだろう。
話を聞いただけでも泣きたくなるような人生を送ってきて、忘れろ。思い出すな。という方が無理だろう。
さっきの様子から察するに、あの夜口にはしなかったが、所謂性的虐待もしくは強姦まがいのことをされ続けていたのだろう。
他にも俺の知らない辛い経験を、この弱々しい身体に刻まれた無数のキズと同じくらいしてきたのだろう。
きっとこいつはこれからもそんな過去に怯え続ける。
その震える身体を抱きしめる資格が俺にはあるのだろうか?
そんなことを思いながら、いつもより仁王から少し離れて跡部は目を閉じた。

「それじゃあ行くか。」
翌朝、跡部の弟の代わりに仁王をあの手紙の主へと引き渡しに出発することになった。
引き出しから取り出した1枚の写真を見つめる跡部の笑顔がとても愛おしそうで、初めて見るその表情に仁王は顔を反らす。
家族なのだから、愛おしいのは当然のこと。
しかし本当の親や兄弟にすらそんな表情を向けられたことのない仁王にとっては、跡部の中における写真の彼と自分との差を痛感するものでしかなかった。

「それではお二人ともお気をつけて。」
「ああ。行ってくる。」
「…お世話になりましたき。」
「いえ。此方こそありがとうございます。行ってらっしゃいませ。」
門前で執事との挨拶を済ませ跡部と仁王はここからはかなりある目的地へと出発した。
歩き出すや否や足がもつれ転倒した仁王に跡部はいつもと同じ余裕気な優しい笑顔で手を差し伸べた。
「ったく。危なっかしい奴だな。気をつけろよ?」

差し出してくれたその手をいつまでも離さないで欲しいと思った。
しかし仁王を立ち上がらせるとパッと手を離した跡部が仁王に残したのは、1つの決意。
それ以外の全ての感情を飲み込んで仁王はぺこりと頭を下げる。
「迷惑だけは…かけんように気をつけますき。」

哀れな自分に与えてくれる優しさを、もう求めてはいけないんだ。






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