3 | ナノ

口に出すのも怖かった過去を打ち明けることが出来たのは何故だろう。
こんなにも安心して眠ることができたのはいつぶりだろう。
出会ったばかりの彼の…跡部の腕の中で、そのあたたかさと優しい香りを感じて、初めての気持ちを感じた。

窓から差し込んでくる光を感じ目を開けると目の前に跡部の顔があり、驚いて勢いよく身を起こす。
「おはよう。よく眠れたみてーだな。」
「…おはようさん。」
「朝飯は和洋中どれがいい?なんでも作らせるが…」
「俺、帰らんと…!」
そう。自分は跡部の家族でも友人でもなんでもないのだ。
一晩こうして何も求めずに自分を置いてくれた。
それだけでも充分なのに朝食までご馳走になるわけにはいかない。
そう思って大きなベッドから身をおろす。
「帰るって…何処に帰るんだよ?」
「それは…そこらへんの…」
行く先なんてあるわけがない。
言葉に詰まる俺に跡部はさも当たり前というような顔で返す。
「だったら余計なこと気にしてねーで俺様の家にいたらいいじゃねーの。このままはい、さようなら。なんて出来るわけねーだろ?ほら。飯食いに行くぞ。」
そう言って跡部は戸惑う仁王の手をとる。

どうしてここまでしてくれるのか。
出会ったばかりの、何も出来ない自分にこんなにも優しく微笑みかけてくれるのは何故なんだろう。
初めての連続に戸惑いながらも、差し出された手を疑うことは不思議と出来なかった。


跡部の家にお世話になって一週間がすぎた。
未だ戸惑いはなくならないが1日1日が、一瞬一瞬が穏やかで、ただ時がすぎていくのを待っていた一週間前までとは、別の人間の人生を送ってるのではないかと思うくらいに、跡部は自分を大切にしてくれた。
何か恩返しは出来ないだろうか。と仁王は思考を巡らす。

「また分からんくなったぜよ…」
長い廊下に数え切れないほどの部屋。
入浴を終え跡部の自室へと戻ろうとした仁王は廊下の端で途方にくれる。

その時近くから跡部の声が聞こえ、その声の方へと駆け寄りドアに耳をあて耳を澄ませる。
やはり中に跡部がいるようだ。
この部屋だったか、と思いドアを押すと確かにそこに跡部はいて執事と何か話し込んでいる。
しかし目の前に広がる部屋は跡部の部屋ではなくて、間違えた。と部屋に入らずドアを閉めようとしたとき仁王の耳に跡部の大きな声が入ってきた。

「そんなこと…何度も言われねーでも分かってんだよ…!」
初めて聞く大きな声にどうしたのだろうか?と申し訳ないと思いつつもドア越しに会話を盗み聞く。
「申し訳ありません。ですが彼…仁王雅治を身代わりに……様の身のためです。早くしなければ……どちらが大切……様でしょう?」
「軽々しく呼んでんじゃねーよ。…分かってる。今日仁王に……」
全てはっきりとは聞こえなかったが、何が起ころうとしているのかを理解するには、仁王の心を動かすのには充分すぎた。
聞いてしまった会話に仁王は拳を握りしめ唇を強く噛んだ。

「…おや、ドアが少し開いていますね。誰かいるのですか?」
「まさか…仁王か?!」
執事がほんの数センチ開いたドアに向かい廊下を見渡す。
「誰もいないようです。最初から開いていたのでしょうね。」
その言葉に跡部はそっと胸をなで下ろしたが、これからのことに顔を歪めた。


自室に戻ると部屋の隅で小さく体育座りをしている仁王の姿に、これから自分が言わんとしてることを思うと我ながら恐ろしく思う。
「仁王…頼みがあるんだが…聞いてくれるか?」
「おん、どうしたん?」
いつもと変わらない、相変わらずの人の顔色をうかがうような声で、小さく笑って首を傾げる仁王に…俺はあの夜から決めていたことをようやく打ち明けた。


跡部財閥は国で1、2を争う大きな財閥である。
当然、と言うべきか所謂裏取引を行うことも多い。
その事実を掴んだ敵対している財閥に、公にしない代わりにと交換条件が与えられた。
郵送された手紙、跡部と仁王が出会った夜に跡部が車内で読んでいた手紙にはこう書いてあった。

『裏取引の事実を公にされたくなければ、君の何より大切な弟を渡してくれ。ただし、君と弟2人で僕の屋敷まで来ること。それだけで事実を打ち明けたりはしない。約束だ。』

馬鹿げている。
大切な弟をそんな取引に利用するなんてことを受けいれられるわけがない。
しかし、事実が公になれば財閥に未来はないだろう。
もうじき自分の代となる財閥を捨てる勇気もない。
断ったとして、今は別に暮らしている弟の身の安全は保証出来ない。

そんなときに仁王を見つけた。
弟の顔は知られていない。
こいつを弟の代わりに…

自分たちの考えていることの残酷さは痛いほど理解していた。
これまでどれほどの涙を流し、どれほどの傷を心と身体に負ったか分からない、その細い身体と危うい心をこの手で壊してしまうかもしれない。

「お前にしか…頼めないんだ!」
なんてズルい言葉と共に頭を下げた跡部に仁王はそっと声をかける。
「跡部、顔あげて?」
「…お前さんの頼みなら何だって聞きますき。」
恩返しじゃ。そう言って懸命に笑った仁王の笑顔はとても温かくて優しくて、儚くて危うかった。


裏切られたなんて思わなかった。
あの日自分を救ってくれたこと。
包まれたあの香りと温もり。
与えてくれた初めての優しさ。
大嫌いな自分の容姿を綺麗だと言ってくれたこと。

どんな思惑があったとしても、彼のくれた1つ1つが冷え切った心を溶かしてくれたことは事実だから。
自分のもつ全てを捧げたい、そう思ったんだ。

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