奥様が征十郎の5歳の誕生日の時に何が欲しいかと尋ねなさると、彼は「生きていて、あったかくて、自分のいう事しかきかなくて、簡単に壊れない玩具が欲しい」と言ったらしい。あの燃えるような瞳を奥様に向けながら。まるで「ぬいぐるみが欲しい」とでもいうように。何の迷いもなく。ぷっくりとしたあの桜色の唇で。

奥様は大変困り、旦那様に相談されたそうだ。小さい頃の征十郎は独占欲がとても強く、自分の玩具が他人に触れられるのを酷く嫌っていた。そして大切なものであればあるほど壊した。きっと幼いながらの防衛本能だ。触られたくないから、壊す。なんと子どもらしい発想だろうか。そしてなんと貪欲な。

旦那様は征十郎に「では子犬を買おう」と提案なさった。征十郎は首を横に振り、「この間来た犬は一生懸命世話をしたのに八恵ばあになついた。だから犬は嫌だ。猫も嫌だ。毛が生えた玩具以外がいい」と答えたらしい。限られてる生き物はひとつだった。「分かったよ」と旦那様が仰ると、征十郎は年相応の微笑みをつくり、くたびれた人形に「楽しみだね」と呟いたそうだ。旦那様の背筋が粟立ったのは言うまでもない。征十郎は自らその言葉を発する事なく両親に何が欲しいかを理解させた。

征十郎の誕生日の3日後私は表向きは養女として赤司家に迎え入れられた。リュックひとつ分の全財産を背負った私に孤児院の先生は繰り返し私に言った。「あなたはとても幸福な子です。それに感謝しなさい。そして新しい家ではきちんと言う事を聞きなさい。いい子でなさい。そうすれば神は貴女を更に幸福な道へと誘ってくださる事でしょう」と。私はよく分からなかったので胸の前で覚えたての十字架を切って見せた。先生は涙を流して喜んだ。それをしたのは人生で一回だけだった。

何故、男の子ではなく女の子である私が選ばれたのか。それは女の子相手ならそんなに無茶苦茶な事をしないだろうと考えた結果からだった。現に征十郎は私に無茶苦茶な事はしなかった。私が先生の教えを守り、征十郎の言う事全てをきくいい子であったからだ。つまり言う事さえきけば性別なんぞ関係なかったのだ。征十郎は私が「征十郎」と呼ぶ事を許し、そして自分と対等でいる事を許した。それくらいに私は征十郎の言いつけを守り、それくらいに征十郎は私を可愛がってくれた。

私は百という言葉は大袈裟だ、見栄だ、西洋かぶれだと思っている。百より十の方がリアリティがある。十の方が完璧に近い気がする。「一を聞いて十を知る」という論語があるように、「全て」を指す言葉は「十」なのだ。だから征十郎はその全てを、十を、従えられる人間なのだ。今はこの家だけだが、その内彼はもっと、もっと。

私があまりにも賢く、美しく育った為、名の知れた中高一貫のお嬢様学校に入れられた。私と征十郎の仲の良さを見てあわよくば、と考えていたらしい。征十郎は帝光中学に進学し、バスケ部に入った。私は勉強についていくのに必死だったし、征十郎は帰りが遅くなっていったので、話す時間は小学生に比べてめっきり減った。それでもお互いが家にいる時は一緒にいるように努めた。征十郎は話し相手が欲しいわけではなく、ただ単に私がそばでいい子にしていればよかったので、私達は一緒にいながらも違う事をして過ごした。

中2の春、ひとり将棋をしている征十郎の横で恋愛小説に思いを馳せていると、彼が珍しく話しかけてきた。私は本を投げ捨て即座に征十郎のそばに鎮座した。征十郎はさらりと「セックスをしてみないか」と臆面なく言ってきた。私は保健の授業を思い出しながら頷いた。断るなどという選択肢は私に存在していなかった。それに少しだけ、興味があった。セックスは痛かった。それだけだった。こんなものか。そんな感じだった。征十郎も同じ事を思ったらしく、事を終えた後つまらなそうにため息をついていた。

中3な蒸し暑い夕暮れ、他校の男子に待ち伏せをされ、告白された。彼が吐露する私に対する思いがあまりにも切実で私は思わずOKを出してしまった。征十郎に付き合ってはいけない等と言われた事はなかったので大丈夫だと思っていた。私は帰ってすぐ征十郎に報告した。エナメルバッグを床に下ろしながら征十郎は「ふうん」と言っただけで他に何も言わなかった。私は何故だかがっかりした。その男子とは3ヶ月を迎える前に別れた。あまりにも幼稚だったのだ。よくよく考えると、私は今まで生きてきて征十郎以外の同年代の男を知らなかった。私は知らず知らずの内に男に対する評価が高くなっていたのである。仕方のない事だった。

中3の記録的な雪が降った夜、久々に征十郎と将棋をした。その時、征十郎は「京都に行くよ」と静かに言った。私は「じゃあ私は学校を転入しなきゃね」と右手で駒を弄びながら答えた。「その必要はない」私は駒を落とした。床に落ちた「歩」が朱色の「と」に変化する。

「なん、で」
「高校からもあの学校に通ってくれて構わない。俺はひとりで京都に行く」

征十郎は「と」を拾い、盤上で「歩」に直す。そして続けろと言うように机を数回人差し指で叩いた。こちらを一度も見なかった。

征十郎の仲のいい緑色や紫色の人も一緒に京都に行くのかと思っていた私は、本当に彼が「ひとり」で行くのだと知り、動揺した。征十郎は玩具に飽きたのだ。キセキに、そして私に。

征十郎は呆気なく京都に旅立った。赤司家にまるで未練なんてないように。征十郎が行ってしまってから赤司家は生気が感じられなくなった。当たり前だ。今まで跡取り息子、大事なお坊っちゃん。それに手を尽くす事だけに力を入れていたのだから。私はある意味で壊された。征十郎がいなくては私の世界は成り立たない。征十郎はそれを知っている。キセキがどうだか知らないが、私はきちんと言いつけを守ってきたというのに!何故!やり場のない怒りで私は気が狂いそうだった。

征十郎がいなくなって数日後、嵐が来た。私は雷が大嫌いで、雷が鳴っている間は征十郎の布団で寝る事を許されていた。しかし征十郎はいない。私は布団にくるまり、ひとりでその轟音にたえた。そこで征十郎が言っていた事をふと思い出した。

「俺の言う事だけをきけばいい」
私は戦いた。私は約束を破ったのだ。あの男子の言葉をきき、それに従ったのだから。捨てられて当然なのだ!雷の音など最早取るに足りない。布団の中で大声を上げながら私は泣き謝った。声が枯れる頃、嵐は過ぎ去り、いつも通りの朝が来た。

夏、征十郎が帰省した。私の前をどうでもよさげに通り過ぎようとする征十郎の腕を掴まえ赦しを請うた。土下座し、何回も何回も頭を床に擦りつけた。何時間か経った頃、征十郎はケイタイを取り出して文字を打ち、私に見せた。「それで?」その言葉に私はしゃくりあげながら「もう一度あなたの玩具にしてください」と言った。

征十郎は満足げに目を細め、私の頭を撫でながら分かりやすいようにゆっくりと「いい子だ」と口を動かして頬骨を上げた。この上ない至福を感じた私を笑いたければ笑うがいい。私は征十郎の言葉以外何も聞こえない、何とも思わない。だって私にはもう耳がない。

噛み契る


20121127
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