※暗く、重い上に暴力シーンが入っています。
戦争で死んでしまったお父さんは、私がいじめっ子の男の子たちと喧嘩して帰ってくる度に、これだけは覚えておいて、と言う。男の子たちの素行の悪さに未だ憤って、自分自身ですら手に負えない私を宥める様な声色で諭してくれる。出来たばかりの青痣を優しく撫でながら、眉毛を八の字に曲げながら、お父さんは繰り返し言うのだ。
「自分が本当に悪い事をした時にきちんと謝る事ができる子は、本当に悪い子ではないんだ。だからそう男の子たちを悪く言うのは止めなさい」
「でも、でも、ジーンはまだ一回も謝ったことないのよ」
「それは自分がまだ悪い事をしたっていう自覚がないからさ。まだ、子供だからね」
そうして、だんだん気分が落ち着いてきて、仕舞いの方には、正義のためにふるったはずの拳が、じんじん疼いて仕方がなくなってしまう。お父さんに、ばれたくなくて、そっと後ろに手を隠すのだけれど、お父さんはいつも絶対に見逃さなかった。
「でも、はその子たちよりは、少し、大人だ。分かるだろう?」
熱と化した手を弱くしかし決して逃れられないように掴み、お父さんは私をじっと見据える。静かな瞳の奥で、自分は丸裸。ここで必ず私は泣く。ごめんなさい、もうしませんって。だけど、やはり男の子たちの悪さを目の前にすると、自分の獣を抑える事が出来ずに、思うままに暴れだす。堂々巡り。お父さんはそれでも声を上げて叱った事は一度だってなかった。死んでしまったのだから、これからも永遠にあり得ない。そして同時に、憤り、我を忘れた私を諭してくれる人もいない。それ故、私は私で自分を押さえ込む。あの、瞳の、深い深い深海を、ひたすら思い浮かべる。瞳は何も語りかけてはこない。ただ目の前にあるだけだ。しかし瞳は私の全てを見ている。怒りも悲しみも喜びも。そう思うといくらかはましになるのだ。そう、振り上げた拳を下ろすぐらいには。
お母さんは、私が物心つく頃に死んでしまった。記憶はほとんどないけれど、ひとつだけ、覚えている事がある。ある時、私が癇癪を起こしたせいで、鏡が粉々に割れ、四方八方に飛び回った。それは私にも被害を及ぼすわけで、破片が幾度も頬を引き裂いて、痛みでさらに私は泣き喚いた。お母さんが、自分が血だらけになるのも厭わずに、私の元へ駆け寄って泣き止むまでずっと抱き締めてくれたのだ。今でも時々思い出す。あたたかい、母親のぬくもりを。
お父さんも、お母さんも、変な力を持った私を精一杯愛してくれたのだ。だから、私は何も恐れなかった。私は常に自信で満ちていた。どんなに気味悪がれても、どんなに笑われても。
お父さんの遺体は帰ってこずに、私は孤児院に入れられた。そこで一人の少年と出会った。名はトム・M・リドル。後のヴォルデモート。
すぐに私たちはぶつかった。当時、孤児院の王様であったリドルは、私の正義の全てに反していたのだ。本当に真逆の性格であった。唯一似ていたのは、力、魔法が使える事だった。時には互いの力が相手の生身の肌を傷付けたが、勇気のある誰かが止めに入るのまで、私たちは血だらけになりながら取っ組み合った。誰も私の正義を誉めてくれるものはおらず、私は孤児院で二番目の問題児に君臨した。しかし、他の子供たちは私を慕ってくれた。リドルが権力をふるうたび、子供たちは私を呼び、正義をふるうのが常であった。私の周りはたくさんの人で満ちていた。逆にリドルはいつもひとりであった。
葡萄の形をした髪飾り。それはお父さんが戦争へ行く前に買ってくれたものだった。私はとても大事にしていて、いつも自室の宝箱にしまっていた。明るい夜には時々月光に照らして昔を思い出しながらそっと枕を濡らすのだった。しかし、ある日私は何気なしに髪につけて朝御飯に行ってしまった。リドルは悪賢い。すぐに髪飾りが私にとってどういうものかを理解した。だから彼はわざと私の目の前でそれを粉々にした。まるで葡萄の房から一粒一粒ちぎれたかのように。とても綺麗な壊し方だった。
私はその時初めて人前で泣いた。沸き上がってくる感情は怒りでもなく、憎しみでもなく、悲しみでもなく、ただ絶望だった。リドルに対する絶望。一体何に期待して絶望したのだろうか。彼は本当に悪い事はしないとでも思っていたのだろうか。リドルはひたすら涙をこぼし続ける私を最初はいやらしい目で見ていたが、何もやり返してこない私に気付くと、少し困ったようだった。
「おい、なんか言ってみろよ」
「…リドルなんか嫌いだ」
発せられた私の言葉に互いが息を呑んだ。私はリドルを好いていた?嫌っていなかった?そんなはずはない。私は確かにリドルを嫌っていた。では何故?
「別にお前に嫌われたって僕にはどうでもいいことだ」
リドルが手で何かを引き寄せるような仕草をすると、足元にちらばる残骸は彼の小さな手のひらに次々飛び込んでいった。きびすを返して去っていく彼の後ろ姿を見て、私はああと思った。
リドルはきっと少しだけれど傷ついたのだ。私は無意識に分かっていたに違いない。彼を傷つけるためにどうすればよいのか。
互いが互いにちょっぴり期待して、私は絶望し彼は傷ついた。つまり私達は心の底からは嫌っていなかった。同じ力を持つものとして、ダニ程度ぐらいには好いていたのかもしれない。だが、今し方私達の関係は壊れた。明日からどうなるのだろう。言い知れぬ不安にかぶりを振り思う。まだ期待しているじゃないか。私はとんでもなく、馬鹿だ。
次の日、扉を開くと、何かに当たった。見ると、あの葡萄の髪飾りがあった。少し歪だけれど、元に戻っている。手のひらに乗せてその重みを感じると、思わず顔が綻んだ。
「悪かった」
いつの間にかリドルが目の前に立っていた。私は屈んでいたので必然的に彼を見上げる事になる。瞳は髪に隠れていて、彼の本意は掴めない。何も言わないまま見つめていると、彼は舌打ちをして大股で来た道を戻っていった。私は再び歪な葡萄を見つめて、お父さんの言葉を思い出す。
リドルは、本当に悪い子じゃない。物事の善し悪しが分からないんだ。愛に飢えているだけなんだ。彼がこれからどんな悪さをしても私だけは彼を好きでいよう。彼は賢い。必ず自分の過ちに気付く筈だ。その時まで傍に居れるよう、ひっそりと願った。
「それはお前の甘さだ」
アラスターはよくそう言って、私をなじった。
私と彼はあのあとホグワーツに入った。私だけおかしいのではないのだと酷く安心したのだけれど、リドルはそう思わなかったみたいだった。自分だけが特別なのだと。しかし彼はホグワーツでそんな気さえ感じさせず、優等生を貫き通した。裏では考えられないくらいに色々やっていだが、私は止めなかった。寧ろ手助けをした。早く過ちに気づいてほしかった。
間違いだと気づいたのは、ホグワーツを卒業してしばらく経った頃であった。私はダンブルドアに己の左腕を見せ、何度も懺悔した。ダンブルドアは笑顔で許してくださった。私はリドルを必ず救うと誓いを立てた。
「どんな事があっても裏切らないと思っていたが、違ったようだな」
ハイリスクハイリターン。そう私は失敗した。急ぎすぎたのだ。左太股からあふれでる血を押さえながらぼんやりとそう思った。この部屋は暗いが、彼がいつも以上に憤っているのがよく分かる。それでも許されざる呪文にまで至らないのは、まだ彼が私に対して何らかの感情を持っていてくれるからだろうか。それなら、口が十分に動く内に彼にとっておきの魔法をかけてあげよう。
「裏切ってなんかない。でもリドル、あんたは間違ってる。私はそれを正したいだけ」
「俺が間違っている?何を根拠に?第一、それが裏切りというのだ」
「…あんたはまだ分からないんだね。でもいずれ分かる。自分の行いがどれだけ非道なものだったかを、身をもって知るんだ!」
「Crucio!」
体のあらゆる所に味わった事のない程の激痛が走り、私は強制的に口を噤まされた。しかし、死んだ方がマシ、とまではいかない。やはりリドルは私に甘い。私の髪飾りを壊した時から、彼は私に僅かだが畏怖の念を抱いている。それが分かり、嬉しく思う。自らの手に爪を立て、私は口を必死で動かした。
「今ならまだ間に合う。自分の罪を認めればいい。私は知ってる。ただ、分かっていないだけで、本当は悪い子じゃ、ぅああああ!」
痛みが強くなる。その痛みと共に流れ込んでくるのは憎悪と、絶望。それでも口を動かそうとすると、彼は私の所まで歩み寄り、私の頭を力強く蹴飛ばした。
「俺は間違っていない!それに俺が子供だと!?ふざけるな!」
「いくらだって、言うよ。あんたは間違って、っは」
もう痛みの飽和点に突破して、何も感じなくなる。視界もどんどん狭まってきた。リドルはそれを許さないかのように、私の髪の毛を掴みあげて、何かを喚いた。
私には夢があった。リドルが己の罪を認め改心して、互いに穏やかに笑い合う未来を、ずっと夢見てきた。それも、もう叶わぬ夢なのだ。私は何もかも諦め、体の力を抜いた。
「Avada Kedavra!」
緑色の閃光が、閉じた瞼の中で淡く放散する。死の呪文にしては、随分生優しい。間際に薄く目を開けるとリドルの顔が間近にあった。
ほぅら、あなたは悪い子じゃない。ねえ、その泣きそうな顔は、何。
自分の頭部が鈍い音を立てて床に落ちる。それと同時に、葡萄の粒が再びばらけて四方八方に広がっていくのを、私は死の淵で見た。
終わりを告げる夢20121008
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