玄関のドアを開けるとリビングに明かりがついているのが見えた。後ろ手で鍵を閉め、なかなか脱げないブーツをもどかしく思いながら苦戦していると、リビングへ続くドアが開いてその隙間から涼太が顔をひょいと覗かせた。
「おかえり」
私はようやくブーツをごとりと脱ぎ、冷えた足をスリッパに差し込みながら
「ただいま」
涼太は嬉しそうに笑いながら面倒見よく私のマフラーに手を伸ばしたので、私は自分が子どもに戻ったような気分になった。そういえば明かりのついた家に戻ること自体が久しぶりのことだった。
マフラーを外し終えた涼太は私に軽いキスをすると
「雪、転ばなかったっスか?」
「すべったけど転ばなかったよ」
「よかったよかった」
涼太はマフラーを私に手渡すと、私の頭を優しく撫でた。今日の涼太はとても上機嫌だ。何故だろうと首を傾げかけて、涼太とちゃんとしゃべれたのが一週間振りだったことを思い出した。私は大学、涼太はモデルの仕事が忙しくて、同棲してるというのになかなか顔を合わせることがないのだ。
会うまではこの一週間降り積もった色々なことをしゃべりたいと思っていたのに、会った途端安心して私はただふにゃふにゃ笑うばかりになる。
私は鞄を部屋に置いてコートを脱ぐと
「魚崎に会ってきたよ」
と言った。魚崎とは高校時代の友だちで、卒業したいまもときどき会っているのだ。ああ、と涼太は頷き、「よかったっスね」とだけ言った。そのたった一言なのに涼太が私の気持ちをよく理解しているとわかるから、すごく嬉しい。そう、よかったんだよ、と私は繰り返した。
「じゃあ夜食べた?」
「イタリアン食べたの、美味しかった」
涼太が少ししゅんとした様子なのに気づいて、私は慌てて「でもまだお腹すいてる」と言った。
「ほんと?」
「ほんと」
「えへへー」
涼太と一緒にリビングにいくと、あたたかいスープのいいにおいがした。
「何つくったの?」
「カブとベーコンのミルクスープ」
「おーっ」
私は手を洗うとそそくさと席に着いた。向かい側に涼太が座る。いっしょに「いただきます」と手を合わせると、スプーンを取った。
「おいしー」
「あざーす」
「んふふ」
「ふふふ」
久しぶりに一緒にご飯を食べられる嬉しさにお互いにやけるのが止められなかった。暫く私たちはときどき笑いながらスープを飲んだ。温かいスープはさっきまで寒さで強ばっていた私の身体によく染みた。やさしい味がした。
「魚崎がねえ、涼太の犬になりたいって言ってたよ」
「なんスかそれ」
「高校のころの話ね?隠れファンだったんだって」
「へえー」
「よっモテモテ!」
「俺が好きなのはきみだけっスけどね」
さらりと言われたので、私が咄嗟にうつむくと、「照れた?」と涼太がからかった。
「照れてない」
「照れたっしょ」
「照れてない!」
涼太は両手のひらで私の頬を包むと無理やり顔をあげさせ
「顔あかーい」
と笑った。
「うっさい」
「かーわーいー」
この状況から逃げるため、私は涼太のおでこにごつんと自分のおでこをぶつけた。涼太がふざけた悲鳴をあげたが、私のほうがダメージは大きかった。あまりの痛みに涙目になりながら、「石頭!」と私は罵倒した。
「照れちゃってー」
涼太はまだにやにやしている。
「前もこんなことあったっスよね」
「あったっけ?」
「こんなかんじに雪が積もってて。二人で雪だるまつくろーって外出たら階段のとこですべって尻餅ついて」
私はそのときのことを思い出して思わず苦い顔をした。あのとき涼太は助け起こしてくれたもののひいひい笑っていて、私は思わずさっきみたいにおでこをぶつけたのだ。
「もう忘れてよ!」
私が拗ねたように言うと、涼太はスープ皿を片付けながら「じゃあ」と言った。
「これから雪だるま作りにいってくれるなら!」
「ええ?」
「そんで次に雪が降った日もまた雪だるま作るんス!そーゆうの何回も積み重ねてったら忘れる!かも?」
私が大袈裟に溜め息を吐いてみせると、涼太はにこっと笑った。
どうせ涼太は忘れる気なんてなくて雪だるまを作る口実が欲しいだけだ。いつまでも子どもみたいなことが好きなんだから、と思ったが、その子どもみたいなことが私自身好きなのだから仕方ない。
私はスープ皿を流しに置くと、先程脱いだコートをもう一度着て、マフラーを巻き直した。
クリーム色のマフラー。涼太が私のために買ってくれたものだ。玄関でブーツを履いていると、コートを着た涼太がマフラーを巻きながらやってきた。私とお揃いのデザインで、色違いのブルー。
玄関を開けると一気に冷たい風が吹き込んできて、私たちは同じタイミングで「さぶっ」と言うと身体を震わせ、それから顔を見合わせてけたけたと笑った。
「ねー涼太」
「ん?」
「私が好きなのも涼太だけだよ」
涼太はびっくりしたような顔で黙り込むと、暫くしてだらしなく頬をゆるめた。
「貴重なデレだー」
「うっさいっつの」
からかおうとする涼太から顔を逸らし、さっさと歩き出そうとした私の右手を涼太の左手が捕まえた。
私は不意打ちで涼太にキスしてやろうとして、涼太の肩を押して背伸びをしようとしたが、涼太はあっさり私のやろうとしたことを見破って身をわずかに屈めた。それからむっとした私が顔を離そうとする気配を感じ取って、笑いながらキスをした。
「すべったら道連れだね」
とぶっきらぼうに言うと、つないだ手にさらに力を込められ
「本望っスよ」
と冗談とも本気ともとれる顔で涼太が言った。
私たちは公園にたどり着くまで無言で歩いた。それは心地よい静寂だった。夜道は、雪の反射で明るかった。そしてとても綺麗だった。
吐く息は白かったが、つないだ手はあたたかかった。
他人だとは思えないくらい私たちはお互いの気持ちをわかることができる。これからもっと同じものを見て、同じものを聞いて、同じことに心を震わせる。そうやって一緒に生きていく。
25℃
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大学合格のお祝いに頂いた同棲黄瀬!25℃というタイトル自体も凄く好きです。謝礼として彼女には参考書を送りつけてやりました。
本当に本当にありがとう!!私も大好き!!