※デルモの実井くん※
時系列的にこれの前の話 11月が後半に近付くにつれて、普段見ている景色が段々とクリスマスの装飾で一杯になっていく。大学から帰って来ると、昨日までは何もなかったはずなのに、駅近くに植わっている木々にイルミネーションが施されていて、とても綺麗だった。何色もの色が、前を通る人たちを照らす。
**はその横を去年よりは浮かれた気分で歩いた。自分にも春が来たのだ。季節が冬なのは分かっている。これは単なる比喩で、つまりは、**にもとうとう彼氏が出来た。そして、彼と初めて過ごすクリスマス・イブ。別に約束はしてないけれど、きっと彼もその日は空けているだろうと思っていた。周りの学生カップルがそうだったから。
それがいけなかった。
「え、クリスマス・イブですか?」
「うん」
24日まで1週間を切ったところで、**は、その日はどうするかと彼に尋ねた。バカみたいに楽しみにしていると思われるとなんだか恥ずかしいので、できるだけさりげなく、事務的に。
彼、こと実井は、目の前にある鍋をかき混ぜながら、目をぱちくりした。小腹が空いたので、適当にスープを作ろうと**が提案し、実井が丁度それを作っているところだった。(**が彼を尻に敷いてるわけではなく、**よりも実井が作った方が早くて美味しいという結論に2人の中で既に至っているからである。)
実井の眼鏡が、湯気で若干曇る。彼は換気扇に手を伸ばしながら、「その日はちょっと」と呟いた。しかし、つけられた換気扇の音で**は言葉を聞き逃した。
「え?なに?」
「**がなにも言わないから、てっきりサークルのメンツとクリスマス会でもするのかと。だからモデルのクリスマスパーティーに行くって返事しちゃいましたよ。どうも偉い人が来るそうで断りきれなくて、面倒くさいったらありゃしない」
「えっ」
この時、**は雷に打たれたような気分になった。漫画であればおそらく自身がガラガラと崩れてしまっていたことだろう。しかし、**は変にプライドが高いところがあるので、その答えに「そう」としか返せなかった。
「もしかして約束してなかったんですか?」
「いや、約束してる」
「ですよね」
本当はサークルの仲のいいメンツに「性なる夜の感想よろしく」と言われ、最初からクリスマス会の人数に数えられていないなんて言えるわけがない。**はそこから押し黙るしかなかった。
できましたよ、と渡されたお椀をひっくり返してしまいたい気分に駆られる。しかし元はと言えばホウレンソウが出来ていなかった自分が悪い。そういえば彼は去年もモデルの集まりに行ってたじゃないか。その頃はこっちの片思いだったので、サークルの方には出てくれないのかとただ寂しかった。
**が一向にスープを受け取ろうとせず、どこか彼方を見てぼうっとしているので、実井はかけていた眼鏡を外して不意打ちで彼女にキスをした。
「!」
「ほらスープ」
「ありがとう、ございます」
口に含んだトマトスープは、普段よりもしょっぱく感じて、「しょっぱい」とそのままの気持ちを漏らす。実井は返された椀に、眉を寄せ訝しみながら口をつけた。しかし、普通のトマトスープである。**は「そんな事ない」と言う実井を横目に、しょっぱいのはきっと自分の気持ちだ、と目尻に浮かんできた涙を頑張って引っ込めながら、心の中で大きなため息をついた。
12月24日。**は自宅アパートに籠城する事を決めた。サークルの集まりに行ったら慰められる事は分かっている。惨めになりそうなので、SNSの通知は切った。夕方、おそらく街がクリスマスでどんどん活気付いている中、彼女はひとり炬燵に潜り込んで、前日に借りてきたシリーズもののDVDを、後ろにあるソファを背もたれにひたすら見ていた。朝から見ているため流石にお腹が減ってくる。しかし豪華な食事やケーキを食べる気にもなれず、実井がこの間知らないうちに作り置きしていったおからサラダを、皿にはうつさずタッパのまま口にした。
「あまりにも寂しすぎる」
咳をしてもひとり、というのはまさにこの事。外に出れば人に溢れているはずなのに、この世にたったひとり取り残されてしまった気分に陥る。嫌気がさした**は、リモコンの再生停止ボタンを押し、そのまま寝てみる事にした。眠気は不思議とすぐやってきて、今頃みんな浮かれに浮かれまくってるんだろうなあくそったれと、ひどい八つ当たりをしながら眠りについた。
チャイムが鳴っている。夢心地に思う。あまりにも何回も繰り返されるものだから、**は仕方なく半身を起こした。寝起きの頭で、近くに転がっていた携帯を見る。もう23時を過ぎていた。
とりあえず玄関に行かなければ、とろくに覚醒していない頭でのろのろと向かう。誰が来たかなんていうのは考えてなかった。
玄関の鍵に手を伸ばしかけたところで、向こう側から鍵を差し込む音が聞こえ、そのまま解錠音がする。扉が独りでに開かれて、目の前に立ってたのは、鼻の頭を真っ赤にした実井だった。眉間には深い溝ができている。それよりも、**は後ろの光景に目を奪われた。
「……実井くん」
「なんで言わなかったんですか」
怒気を孕んだ実井の言葉に気にも止めず、**は「雪!」と声を上げた。
「実井くん、ほら雪!雪降ってる!天気予報では降るなんて言ってなかったのに!あっ実井くんにもちょっと積もってる」
実井の髪も白くなっている事に気付いた**は、彼の頭に手を伸ばした。彼は呆れたように片手を自身の額に当て、深く息を吐いた。
「あれ?そういえば実井くん、パーティーは?」
南出身の**にとっては、雪が珍しく寝る前の気持ちなんてすっかり忘れてつい興奮してしまったが、よくよく考えると彼がなぜここにいるのだろうと今更ながら思った。
「**が正直に言ってくれれば、最初から行かずに済んだんですよ、なんで言わなかったんですか」
「実井くんが先に予定を……」
睨まれたので思わず手を引っ込みかける。実井はそんな**の手首を握りしめて、髪に降り積もった雪をぶるぶると彼女にかけてやった。ついでに冷え切ったもうひとつの手を彼女の首におし当てる。
「わっ、つめた!」
「当たり前ですよ!気を遣って慌てて来てあげたんですからね!」
なのに、**ときたら、と恨み言をぶつくさ言って拗ねたようになっている実井を見ながら、まるで数時間前の自分のようだと面白い気持ちになった。
「ごめんね、あと、ありがとう」
雪風にあたっていたせいか、随分と冷たくなっている実井の体に腕を回すと、彼もゆっくり**を抱き締めた。
裸足で石畳で出来た玄関の床に立っているし、ドアは開いて風がびゅうびゅう入ってくるので、今まで炬燵にいた**にとってあり得ないほど寒かったけれど、心の奥底はぽかぽかしていた。これをきっと幸せなんて言うのだ、と彼女には珍しく臭い事を考えた。
しかし、実井がくしゃみをしたので、浸っていた気持ちから覚める。
「ごめん、寒いよね。入ろ」
手を引いて、室内に招き入れる。実井は鼻をすすりながら言われるがまま**の後ろに続いた。
「シャワー浴びる?」
「いえ」
「でも風邪引いちゃうって。とりあえずあたたまらないと。あっ炬燵入っていいよ」
脱衣所から持ってきたタオルを渡し、**は何か温かい飲み物でも作ろうと、ソファから席を立とうとした。が、グイッと強い力によってそれは制された。瞬きしたのは一瞬だったのに、彼女の背はソファにあり、天井が見えた。上には男が乗っている。
「責任取って**があたためてください」
「えっ無理!」
即座に拒否の意を示した**は、その場から逃げ出そうとする。こんな事になるなんて思っておらず、女としての色々な処理を怠っていたのだ。
「本当に無理、ねっお風呂入ってきたらスッキリするよ」
「一緒に入ってくれるんですか?二度の意味でスッキリしそうですもんね。それは嬉しいなあ」
ここに来て、実井が結構、いやかなり怒っている事を知った**は抵抗する事を諦めて、風呂場へついていく事にした。はたから見れば死刑台に連行される囚人のようだ。
カーテンの隙間から、雪が降り続いているのが見える。この様子だと積もるだろう。雪だるまを作りたいだなんて言ったら彼は笑うだろうか。
呼吸が見えるある寒い日