※大正パロ(あくまで雰囲気)

 昨年の冬、兄上の知り合いである男性と見合いをした。日本では珍しい燃えるような赤い髪と左右色の違う瞳を持つ彼に怖気づき、安易に快諾した事を私は少しだけ後悔した。しかしそれを悟ったのか、彼は始終笑顔で私に接してくださった。笑うと一気に幼くなる彼に私は胸の高鳴りを覚えて、ああなんて単純な、と己を恥じたのを覚えている。兄上はそんな私に直様気付き、あれよあれよとあまり彼を知る事なく結婚の段取りは進められ、年明けに私達はめでたく結婚した。


 私の主人となった赤司征十郎さんは、亜細亜や欧羅巴に物を売る仕事をしているらしい。女である私にはよく分からないが、以前異国の言葉を巧みに使いながら談笑をしているお姿を拝見し、彼は私なんぞが嫁いではいけないくらい優れた方なのだと感じた。女学校での私の英語の成績は目を瞑りたくなる程酷いもので、私が唯一覚えているのは、「はろう」と「そうりぃ」位である。その事を話すと、征十郎さんはおかしそうに笑い、「それが言えれば充分だ」と仰ってくれた。またそこで胸が高鳴って、なんともいえない気分になった。そんな事が日増しに増えていき、顔を見るだけで私は息が苦しくなった。きっとこれが恋なのね、美恵子ちゃん、と先に嫁に行ってしまった友達に心の中で問いかける。一回その事を手紙にしたためて送ったのだけれど、返事はまだ来ない。




「奥様、まだ旦那様はお電話を?」
「そうみたいですね、少し様子を見てきます」

 我が家には、普通の家にはないものが、たくさんある。その一つが電話だ。なんでも、遠くにいる人と同じ時間を共有しながら話せるらしい。女中の恵さんも私も凄いとは思うのだが、なんだか不気味で、実際にそれを使うのは征十郎さんひとりだけであった。

「失礼します」

 襖をそっと開けると、仕事着を着たままの征十郎さんの背中と対面する事になる。彼は私に気付いておらず、受話器を器用に片耳で挟みながら、しきりに手を動かしていた。見ると、右手には彼の愛用の万年筆が握られており、電話の内容を覚書しているようであった。邪魔してはいけないと思い、襖の前に座して機会を伺った。時折漏れる、私に向けられるのとは些か違う雰囲気を含んだ彼の笑い声に、何故か心が締め付けられる。それから四半刻過ぎようとした頃、彼はふいにこちらを振り返り、目を大きく見開いた。私が会釈すると、彼は何かを言いかけたが、受話器から彼の名を呼ぶ声が漏れ、彼の意識はまたそちらに戻ってしまう。すると、私の心に言い様のない醜い気持ちが湧き上がる。私は頭を大きく振り、己を唆す化物を蹴散らした。しかし、悲しいのは事実。これ以上は、と私は腰をゆっくり上げ、襖に手をかける。

 視界の隅で、白い手が手招きをするのが見えた。見間違いかと思い、私は向き直り、そちらをきちんと見る。その白い手は紛れもなく征十郎さんの腕から、肩から、身体から伸びていた。顔はこちらに向いていないが、私を呼んでいる事は確かだった。そろり、と忍び寄ると、何かが書かれた紙切れを眼前に突き出される。私は慌ててそれを両手に挟んだ。私が受け取った事を察すると、行けという様に彼は手を軽く振った。私は満足に紙切れの内容を見る事が出来ないまま部屋を後にする。襖を後ろ手で閉め、手の内の、少し皺のよった紙切れをおそるおそる広げた。そしてそのまま、私は襖に背をつけながらずるずると座り込む事になる。

 いいえ、いいえ、美恵子ちゃん。これは"きっと"なんかじゃないわ、恋よ、恋なのよ!私は彼を愛しているんだわ!あなたがあの人を盲目的に愛していた様に!




「奥様、旦那様はなんと?」
「恵さんは先に召し上がってくださいな」
「雇われの身であるわたくしが先に頂くなどあってはなりません」
「ではこれは旦那様と私の言いつけです。…それと今晩は冷えますから、先にお休みになられてください」
「奥様、」
「恵さんの腰が悪化したら、何にも出来ない私は右往左往して、また旦那様に笑われてしまいますわ」

 そう言って微笑むと、恵さんは躊躇いながらも「お言葉に甘えて」と答え奥に引き下がった。その姿を確認してから、袖の中から先程の紙切れを取り出して、ひとり微笑む。幸せというのはこういう事を指すのだろう。

 いつの間にか眠っていたらしい。目を瞬かせながら机から体を起こし、冷え切った体をさする。何時だろうか。彼から始めてもらった贈り物で、いつも首からかけてある懐中時計を開くと、時計の針は11を指していた。まだ西洋の時間は慣れない、けれど、それが遅い時間だとは分かる。

 征十郎さん。あの背中を思い出し、様子を見に行こうと立ち上がりかけた時、襖が開き二つの眼と目が合う。

「先に休め、と書いただろう。何をしている」

 征十郎さんは部屋に踏み入り、机の上の紙切れに手を伸ばした。そしてその紙切れは彼の手によってぐしゃぐしゃにされる。

「ああ!」

 私は屑籠に放られた紙切れを大急ぎで拾い、征十郎さんから守る為に胸の前で握りしめた。彼の顔が解しがたいとでもいう様に歪む。

「何がしたい」
「こ、これは征十郎さんからもらったもの、なので」
「そんなもの、」
「私にはこの懐中時計くらい大切なんです」

 ああ、何を言っているのだろう。半ば叫ぶ形になってしまい、頬に熱が集まる。恥ずかしい。気持ち悪いと思われたかもしれない。征十郎さんの反応を見るのが怖くて、私はぎゅうっと目を閉じた。彼の香が近付いてきて、ますます私は体を堅くする。と、頭の上にひやりとしたものが乗った。目を開けると直ぐ上に彼の顔があり、頭の上に乗っているのは彼の手であった。そのまま数回優しく叩かれる。驚きと当惑でただ目を見開いてると、彼は口の端を緩やかにあげて、目を細めた。

「お前は変な物で喜ぶ」
「はい?」
「その時計だって女には似合わない装飾なのに、毎日身に付けているだろう」
「だって、これは征十郎さんが」

 初めて、そう言おうとした時、唐突に口が塞がれる。肩を掴まれているので身動きが出来ず征十郎さんの思うがままに唇を弄ばれる。こういった事は彼が初めてで、夫婦になって一年経った今でも全く慣れておらず、次第に息が上がり、足が震えた。彼はそんな私の腰に手を回し、自身の方へぐっと引き寄せる。

 やっと唇が離され、唾液が顎を伝う。それを目の当たりにした恥ずかしさで、私は彼の胸元に額を押し付けた。

「そういう所が愛しいと思うよ」

 私の髪に指を入れながら、征十郎さんは笑った。私が今死んでしまいたいくらい羞恥心で一杯なのを知っているくせに。負けてたまるものですか、私はまだ真っ赤であろう顔を上げて彼を睨む。

「今日は、征十郎さんが好きな湯豆腐でしたのよ」
「そうか。僕の分はあるのかな」
「いいえ。征十郎さんはお電話の方が好きでいらっしゃる様ですので、私と恵さんで全部食べてしまいましたわ!」
「それはそれは惜しい事をした」

 私の腰紐をするりとほどきながら全然惜しくない様に言うので、私は征十郎さんから無理矢理離れて、腰紐を結び直す。彼はまた笑った。

「主人に嘘をつくからだ。さて頂こうか」
「…その前に着替えてらして」
「ああ」
「ここで、ではありません!」

 口煩い嫁をもらったものだ、征十郎さんはそう言いつつも部屋を出ていく。一回深く息を吐いてから、私は大慌てで夕食の準備に取りかかった。




 かなり遅い夕食を終え、風呂を済ませ、布団の中で微睡む。私はこの時間が1番好きだ。征十郎さんが珍しく腕枕をしてくださるというので、一応は悪いと思っているのだなと差し出された腕に頭を乗せる。

「欧羅巴での大きい戦争が終わったらしい」
「それはいい事ですね。これで人が死なずにすみます」
「そうだが、これから経営が苦しくなるかもしれない。今まで欧羅巴に輸出していた軍需品が必要ではなくなる」

 欧羅巴、輸出、軍需品、頭の中で漢字を思い描く。眠気を催しつつある私にはどうでもいいように思ってしまう。

「それでも、それでもついてきてくれるか?」
「…ええ必ず」

 ありがとう、そんな声が聞こえた気がしたが、私はもう眠りの底に引きずり込まれていたし、況してや彼が言うような言葉ではないので、気のせいだと思う事にした。




 深夜からかけて明け方に降り続いた雪は、庭一面を雪景色に変えた。雪国で育った私にとっては待ち望んでいたものであり、年甲斐もなく庭に下り、初雪を踏みしめて回った。そんな私を恵さんは諌めながら、手紙が届いた事を告げてくれた。縁側に腰掛け、差出人を見てみると、美恵子と書かれており、とても嬉しくて横に座って飼い猫のたまを撫でる征十郎さんに見せびらかす。手紙にはたくさんの事が書かれていた。返事が遅れた事に対しての謝罪、夫について欧羅巴に渡っていた事、春に戻ってくる事。そして最後には私の初めての恋を祝福する言葉がつらつらと綴れていた。私は彼女に自分の恋心を明かしていた事をすっかり忘れていて、一緒に読んでいた彼に笑われてしまった。

 冬はまだ始まったばかりだというのに、私の鼻孔にもう春の匂いが掠めた。笑われるに違いないので、彼には内緒である。

冬を綴じたので
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