※政略結婚パロ※
※反道徳的※「邦雄です」
「あ、*** **です……」
「**さん、何を言ってるんですか、貴女は僕と結婚して実井となるのですよ」
「そう、そうですね」
そうやって物腰柔らかに笑う男に**は心底ほっとした。今まで抱えてきた不安や恐れはその時にすべて払拭された。彼女は人を疑うにはあまりにも純真無垢過ぎた。
邦雄と**は謂わば許嫁同士だった。幼少期の頃から既に決められていた事であり、貿易業を営む父には「お前はいずれ結婚して実井家の人間になるのだよ」と度々言われていた。彼女はその事になんの反発心も抱いていなかった。父は穏やかで優しい人であり、母も同樣に優しく、料理上手で、そしてよく笑う人だった。歳の離れた兄は家の貿易業を継ぐべく、海外にいる事が多かったが、それでも帰省する度に彼女と必ず遊んでくれた。本を読む事が好きであった**は、まだ会った事も、見た事もないその婚約者を、海外の恋愛小説と結び付けてきっと素敵な人なのだろうと夢を含ませていた。甘い幻想に生きる彼女が、許嫁を見てみたいと願うのは至極当然な事であった。
**は一度だけ親に隠れて、実井家に足を運んだ事がある。十を少し過ぎたばかりの頃だった。鉄で出来た柵の向こうには大きな洋風の庭園が広がっており、自分と同じくらいの男の子が犬と戯れている様子が見えた。しかし背の低い彼女にはよく見えなかった。柵から突き出ている枝を頼りに背伸びをすると、運悪く、握っていたその枝が鈍い音を立てて折れてしまった。しまったと、狼狽えていると、その音に気付いた犬が、吠え立てながら柵の方に向かってきてしまった。驚いた彼女は道路の方に勢い良く尻もちをついてしまった。
「ウィル、ストップ!」
ボーイソプラノの声がすると、ぴたりと犬は吠えるのをやめた。ガサガサと音がして、少年の顔が柵前に現れた。少年はぱちくりと大きな瞬きをすると、やがてにっこり笑って言った。それは、幸福に満ち溢れた笑顔だった。
「君は、もしかして、***家の子?」
どうしてそれが、と言いかけて、自分が恥ずかしい格好をしている事に気付き、いたたまれなくなった彼女は顔を真赤にしてそこから一目散に逃げ出してしまった。走りながら思い浮かぶのは少年のあの笑顔ばかりで、その日から彼女は彼の顔が忘れられなくなってしまった。
そんな甘酸っぱい初めての逢瀬から数年後、少女から女性へと成長した**は結婚前に彼にもう一度会いたいと強く願うようになった。
しかし、**の婚約者はなにかにつけて彼女と会おうとしなかった。勉学に忙しい、海外に出張に行かなければならない、体調がすぐれない。理由は様々であり、断られる回数が増す度に、彼女は「(彼は変わってしまったのかもしれない)」と思うようになった。それでも、と希望は捨てないでおいた。
結納式に現われた彼は、男性らしく成長していたが、思ったよりも線が細く、頼りなさげだった。しかしあの頃と変わらない柔和な態度に彼女は一瞬でも彼を疑った事を恥じた。こんなにも周りに気が利き、朗らかな人が、自分と会う事を拒むはずがない。時折**に向けられる眼差しはあたたかく、慈愛に満ちたようすであったので、彼女は人知れずまた彼に恋をした。彼とならばきっと誰もが羨む夫婦になれるに違いないと、そう思ったのだ。その時は、本当に。
彼女の名字が***から実井に変わり、ふたりだけの新居に移ってから1週間。彼が帰って来る事は滅多になかった。彼女はそれでも彼の為に朝食を作り、弁当をこさえ、晩御飯にも腕を振るったが、彼がそれらを食べる事は一切なかった。寝室は別であり、広すぎる新居は彼女を不安にさせた。自分が何か粗相でもしたのだろうか。考えてみても思い当たる節はなく、けれども何かしたからこそ、彼は自分と顔を合わせようとしないのだと思った。慣れない西洋式の寝具で彼女は眠れぬ日々を過ごした。
夫婦となって幾月か過ぎた深夜、彼女の寝室の扉を開ける者があった。誰だろうと、起き上がり寝具の上で身を固くしていると、薄明かりに邦雄らしい姿が見えた。表情はよく見えず、ただ酒の匂いがした。
「邦雄さん、どうされました」
「服、早く脱いでください」
「え?」
「物分かりの悪い人だな、服を脱げと言ったんです」
はらりと床に落ちたのは、彼が身に付けていたタイであろう。気が付いた時には、彼は既に彼女を押し倒していた。彼の顔はすぐそこにあった。
「く、邦雄さん、急過ぎます。お互いの事をあまりよく知らないのに……」
「急も何も僕たちは夫婦ですよ、何を躊躇する事があるんですか」
彼の手が服の隙間からするりと入り込んでくる。その手は冷たく、**は生きた心地がしなかった。思わず身を捩ると、上から馬鹿にするような笑い声が聞こえた。
「あなたも馬鹿でなければ、結婚した理由くらい分かっていますよね?なんてことはない、ただ互いの家の利益の為です。後のことを考えれば、様々な事を円滑に進める為にも何が必要かは、自ずと見えてきます。…分からない?仕方がない人ですね。じゃあ教えてあげましょう。後継ぎ、ですよ。それに周りから後継ぎを望まれていることはあなたもよく分かっているでしょう?あなたのお父様も、お母様も望まれているのではないですか?かわいいかわいい、僕たちの孫をその手に抱きたいのでは?…ええ、子供を成すことによって円滑に進む事はあなたが思っている以上に沢山あるんですよ。使えるものは全て有効に活用しなくては勿体無いでしょう?どうして抵抗するんですか?あなたに拒む理由など何ひとつないはずですが。それに僕たちは"夫婦"でしょう?これ以上僕を失望させないでもらえますか」
淡々と語られる彼の話を**は怯えた様子で聞いていた。彼の言っている事は理解できたが、そんな風に考えていた事が信じられなかった。なんの反応もない彼女に、彼は大袈裟なため息をつくと、言葉もなく彼女の服を脱がせていく。彼女が抵抗したところで、止める気など一切無かった。寧ろ抵抗してくれれば少しはやりがいがあるものを、くらいに考えていた。
親に蝶よ花よと大事に育てられた**は当たり前のように男性経験がなく、邦雄が様々なところに触れる度にいちいち過度な反応をした。充分な前戯もされないまま邦雄は彼女の中に自分の一物を入れようとして、彼女はそこで初めて痛みと恐怖で声を上げた。彼は舌打ちをしながら、彼女の頬に自分の顔を寄せて「やりにくい。力を入れ過ぎです」と薄く笑って、そのまま突き入れた。内膜が裂け股から血が流れたが、彼は気にする様子もなく何度も突き上げて、最後は中に射精をした。時間にすれば数十分であったが、**にとって永遠にも続くように思われる、地獄のような時間であった。
それから邦雄は**の同意なく彼女を時折抱くようになった。彼女が思い描いていた、甘い言葉も優しい口付けも無く、ただ子種を中に散らすだけの行為だった。精液をどう処理していいかも分からない彼女は自分で掻き出す事も出来ず、膣圧や重力で流れ出る白いものを泣くの堪えながら拭った。奥に入っていたせいか日中どろりと下着に付着する事もたまにあり、彼女は自分が一体どうなってしまうのか恐ろしい気持ちで毎日を過ごした。
滅多に家に帰らず、帰ってきても乱雑に**を抱くだけの冷酷で暴君の邦雄であったが、公の場に2人で出る時は、彼女という存在を尊重する心優しい旦那、そして完璧なまでの紳士に変貌した。その変わり様についていけず、うまく振る舞えなかった夜は、彼はいつもより酷く彼女を抱いた。
そのような生活が半年も続いた頃、**は懐妊した。段々と大きくなる腹を抱えながら、彼女は「(子が生まれれば彼も変わるかもしれない)」と淡い希望を抱いた。彼女が妊娠を告げた頃から彼は益々家に全く帰ってこなくなった。
予定日より3日早く生まれた子は女の子だった。**の両親や兄、親族が沢山訪れて、祝ってくれた。邦雄は途中で遅れてやってきて、「仕事が抜けられなかった」と申し訳なさそうに言いながら、出産に立ち会えなかった事をひどく悔いた様子であったので、彼女の親族は「それならば仕方ないよ」と彼を慰めた。彼女がおそるおそる子を渡しながら「女の子ですよ」と言うと、邦雄は丁寧な手付きで子を抱き上げながら「そう、女の子ですか」と呟いた。その声がやけに冷めている様な気がしたけれど、**は気のせいだと思う事にした。
しかしそれは気のせいではなく、皆が帰った後、彼はいつもの様に冷酷無比な顔つきに戻り、彼女を詰った。「男でなければなんの意味もない。男を産みなさい」夫婦の緊迫した空気を感じたのか、生まれたばかりの子は泣き喚き、邦雄は不快そうに眉を寄せて「最初から女だと分かっていれば堕ろさせたのに」と吐き捨てた。そうしてそのまま、また家を出て行ってしまった。残された**は泣く我が子をあやしながら涙をこぼした。どうして、彼はこんなにまでも酷い事ができるというのか。自分は、父や母のような愛に溢れた家庭を築きあげたかっただけであるのに。
そんなある日、邦雄の友人だという男が、子どもの祝いに訪れた。休みの日だというのに相変わらず邦雄はいなかった。男は波多野と名乗り、彼とは学生時代からの付き合いだと言った。そういえば式の際、このような男がいたような気がした。
「あいつは?」
「今日は……」
「どこに?」
「分からないんです」
友人の居場所を聞いても分からないという、友人の妻は随分憔悴仕切っていた。彼女の胸に抱かれた子どもと目が合い、抱かせてはくれないかと波多野がいうと、震える手つきで彼女は波多野に子を差し出した。細い腕だった。
「実……旦那によく似ている」
波多野がそう言って子どもあやすと、子どもは声を上げて嬉しそうに笑った。その様子を見ていた**は無表情のまま突如瞳から大きな涙をぼたぼたと落とし出した。波多野はぎょっとして本当は子どもを触って欲しくなかったのかと、慌てて彼女に子を戻そうとしたが、彼女は両手で自分の顔を押さえながら顔を振った。限界だったのだ、何もかも。邦雄がこうやって子どもと接してくれる事を望んでいたのに、どうして子を愛おしそうに抱く人が、夫ではなく夫の友人なのだろう。
**はぽつりぽつりと今まであった事を涙ながらに話し始めた。それは波多野が薄々察していた事であり、彼女を哀れに思った。彼女は邦雄の過去を知らない。邦雄の過去が、彼を大きく支配しているからといって、彼女にはなんの関係もない。邦雄は合理的主義すぎるところがあったが、嫁を貰えば、家庭を持てば少しは変わるだろうと思っていた。式に参加した時、随分可愛らしい嫁をもらったものだと羨ましく思っていた波多野は、軽く憤りながら自分から彼に態度を改めるよう言おうかと提案すると、彼女は真っ青な顔で嫌がった。
「どうか、あの人には言わないでください」
「けどな、」
「私がこんな事を話したと知ったら、何をされるか……」
あまりにも懇願されるので、波多野の方がとうとう折れてしまった。その日はなんの進展もないまま彼らは別れたが、それから波多野はちょくちょく家に来るようになった。彼女の娘も彼の顔を覚えたようだった。
そうやっていつものように波多野が子と遊んでいると、邦雄がふらりと帰ってきた。3人の仲睦まじい様子を見て、少なからず驚いたようだった。「最近様子がおかしいと思えば、なるほどそういう事ですか」感情のない声に、波多野はために溜め込んだ怒りを爆発させ、邦雄の胸ぐらを掴んで左頬を強く殴った。**は止めに入りながら「私が、私が悪いんです」と必死に謝った。
波多野を落ち着かせて、あとは自分が説明するからと帰ってもらう事にどうにか成功し、息を吐きながら玄関の戸を閉めて振り返ると、夫がすぐ後ろに立っていた。声を出す間もなく髪を掴まれ廊下を引きずられる。彼の寝室の寝具に無理矢理上がらされると、彼女の顎を掴んで彼は問うた。
「彼には何回慰めてもらったんです?」
「何の話を、」
「だから、彼とは何回寝たのか聞いてるんですよ」
「……決してそんな事はしてません!」
「そうですか」
**が着ていたワンピースの釦のいくつかが床に転がる音がした。また手酷くされるに決まっている。けれどもいつもと何かが異なっていた。一体どこが?目の前の彼の顔を見る。そこにはいつもの飄々とした彼の姿はなく、苦悶に満ちた顔をした男がいた。
「あなたもあの女と一緒だ」
あの女というのは、邦雄の幼い頃、彼を置いて出て行った母だと**は直感的にそう思った。波多野から彼の幼少期についていくらか伺っていたのだ。
「邦雄さん、私は邦雄さんを裏切ったりなんか、しません」
だって、私は、貴方を愛しています。
彼女の言葉は荒々しく重ねられた彼の唇によって遮られた。初めての接吻は、生ぬるく、鉄の味がした。**の脳裏に浮かぶのは、初めて会った際、邦雄が彼女に向けてくれた陽だまりのような笑顔だった。
腐肉を啜る原案: F氏