性教育シリーズ(波多野編)


 D機関の訓練生に女は存在しない。結城中佐の考えにそぐわないからだ。そもそも軍に女は存在しない。女はか弱く、男が守るべきもの。男はそう謳うが、腐臭を放った蓋を開ければそこにあるのは男の“egoism”だ。

「で、何、俺に用って」

 訓練後、今日も今日とて皆で飲み屋に向かおうとしていたが、なぜだが俺だけ中佐に呼び止められた。内心動揺しつつも、何事もないようにただ中佐の後ろついていく俺を、皆口元に笑みを浮かべながら見送った。クソ、なんで俺だけ。体術の訓練の時怠けていたのが知れたのだろうか。いや、だったらその場できつい仕置きを食らわされたはずだ。

「話があるのは、私ではない。***訓練生だ」

 しばらく廊下を進んだところで、中佐はこちらを振り返って言った。***が?俺に用?

 ***の扱いは、他の訓練生とはかなり異なっている。例えばだが、***の部屋は別室が与えられている。風呂の時間や便所も別だ。なぜか。少し考えれば分かるだろう。

 D機関の訓練生に女は存在しない。――そう書類上は。

 ***の自室に行くよう言われたので、恐らく面倒事だろうなと思いながら向かった。戸を叩かずに開くと、窓辺に立っている***が勢い良く振り返った。男というには、細く、白い身体。黒い瞳が、こちらを不安げに見つめる。両手は***の腹あたりで固く結ばれていた。風呂あがりだからか、いつもは目立たない胸元がしっかりと強調されていた。

 そう*** **は、紛うこと無く女である。訓練生の中で、唯一の。最初は隠していたようだが、俺たちの目を欺ける訳もなく。訓練を始めて1週間ほどで彼女は自身が女である事を認めた。

 最初は、ほとんどの訓練生が「女が」と笑った。しかし、彼女は優秀だった。普段やる気なさげに、口を開けば「面倒くさい」だの「やりたくない事はやりたくない」とのたまい、いかに授業をうまくフケるかを考えているような女だったが、いざ集中すれば、平然と1位の席次をさらっていった。***が本気で取り組む事は殆どないため、全体の成績は基本底辺だった。それでも、皆彼女に一目は置いていた。「“アレ”は実地で化ける女だぜ」男たちの集まりで誰かが必ずそう噂した。

 そんな、彼女がいったい自分に何の用だろうか。仲は良い方だとは思う。しかし訓練生は皆、嘘の経歴を語り、嘘の名を呼び合っている仲だ。そのような状態で、何を以って仲が良いというのか、分からない。

「そんな、たいした用ではないんだけど」

 珍しく歯切れが悪い。目線がちろちろ動き、彼女らしくなかった。

「たいした用じゃないんなら、早く言えよ。俺も飲みに行きたいんだけど」
「そうなんだけどさ、そうなんだけど。でも他の人には口外しないって約束はして欲しくて。あ!本当にちょっとした事なんだよ!波多野からしたら、多分そんな事かよってなると思うんだ」

 でも私からしたら一世一代に近い話かもしれない。***はそう言いながら大きくため息をついた。それってつまりたいした事だろ、という言葉はひとまず心の中に閉まっておく事にする。

「とりあえず、もうちょっと奥に入ってきてもらっていい?あんま大きい声で言いたくないし」
「だったらサインかなんかで適当にやれば良くないか?ほら昨日丁度授業で……そういやお前いなかったな」
「え?何言ってんの!こんな大事な事をそんなもんで言いたくないに決まってる!」

 ああ、そうですか、はいはい。扉を閉めて、***のいる場所まで歩く。俺が真正面に立つと、彼女は肩を強張らせた。本当にいつものあの怠そうな、人を小馬鹿にした雰囲気はどこへ行ったんだ。

「私は必要ないって言ったんだけど、魔王が何があるか分からないから経験しておけって言うんだよ、けどこんなの誰にでも頼める話じゃないし」
「いいから早く言えって」
「波多野、ちょっと私と一回寝てくれない?今なら色々うまくいけそうな気がするから」
「は?」
「ほら早く!男の生態についてよく知らないけれど、年がら年中そういう気分なんでしょう!」

 そう言いながら***は自分の服の釦を外そうとしたので、その腕を掴んでやめさせる。腕はかすかに震えていた。

「待て、なんでそんな話になってんだ」
「だから、中佐が任務に就く前に男というものを一度や二度はって!前々から言われてて逃げてきたんだけどもう限界なんだよ……」

 なるほど。みんなが噂をしていた、中佐の愛人という説は消えた訳だ。確かに任務の都合上、ある男と懇ろになったり、結婚して子すら持ったりする事だって可能性としては大いにある。しかし、それでも。

「なんで俺が?」
「……そりゃあ1番仲が良いから?」

 ***は首を傾げて、俺を見た。仲が良いからという理由だけで、俺に決めたとは。なんて馬鹿なんだろう。俺がここで断れば彼女は違う訓練生の元へ頼みに行くに違いない。それは嫌だった。理由もなく女とそういう仲になるのは俺の信条から外れていたが、1年近くともに過ごしてきた同期の頼みである。俺は潔く引き受ける事にした。

「分かった、じゃあとりあえず横に」
「え?断ってくれていいんだよ!中佐に断られたって報告すればあと2・3日は粘れるし、ひとりずつそうやっていけば、1ヶ月近くは逃げきれる」
「そんなん今更あの人が許すわけないだろ。ほら早くしろよ」
「ほ、本当にやるの?」
「頼んできたのは***だ」

 いつまで経っても横になろうとしないので、半ば強制的に***の身体を寝具の上に引き倒す。逃げられても面倒なので、彼女の上に覆いかぶさるよう姿勢になると、普段女らしさなんぞ皆無な***だが、この時ばかりは頬を赤く染めており、男的には疼くものがあった。仕方ない、出来るだけ優しくしてやろう。



「そのままもう寝た方がいいんじゃねえの」
「うん、そうする……」

 そんなところ触らないで!痛い!無理!入るわけない!鬼!散々(***が)喚いたせいか時間はさほど経っていないのに、終わる頃にはお互い疲れきっていた。これを性行為と言っていいのか、些か疑問は残るが、本人曰く「これであのジジイに堂々と報告できる」らしい。

「波多野、ありがとうね」

  横で寝っ転がる***は俺の左腕に額をくっつけながらそう言った。彼女の熱がじわりとそこから広がっていく。俺が何かを言う前に、彼女は瞳を閉じ切って、浅い寝息を立て始めてしまった。

「こんなすぐ寝るようじゃスパイ向いてないだろ」

 そのままの体勢で、服を脱ぐ時に机に置いた煙草とマッチを取り、火をつける。暫くして息を吐くと、煙があたり一面に漂い、においが部屋に充満した。なんとなく、彼女の横顔に煙草の煙を吐きかけると、眉間に皺を寄せつつ低く唸って違う方向を向こうとしたので、彼女の汗ばむ肩を抱いて引き止める。

 もうすぐ訓練も終わる。皆それぞれ四方八方に散らばるだろう。***がもし任務上誰かとそういう仲になったとして、情事中思い出すのは今日の事だろうか。

昔読んだある詩集をふと思い出す。


Seltsam, im Nebel zu wandern!
Leben ist Einsamsein.
Kein Mensch kennt den andern,
Jeder ist allein...


 結城中佐が俺たちに待ち受けているのは真っ黒な孤独だと言った。その孤独の中で、彼女が時折自分の事を思い出せば良いと思う。ああ、俺も大概な“egoism”の持ち主だ。


霧の中

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