私はバルバット国の第一子、第一王女としてこの世に生を受けた。それを誇りに思っていたため、女として学んでおかなくてらならない事全て拒絶し、王宮にいる若い兵などに交じり彼らと色々な稽古に明け暮れた。特に私が得意としていたのは、剣を使った武術で、同年代の兵の中で私に敵うものはいなかった。そんな私の姿を当然下女達は眉をひそめて見ていたが、私には関係のない事だった。というより、この国を守るためには強くならなくてはならない。あの頃はそれしか考えていなかった。
私には2人の弟がいた。2人は私と正反対で、傷が出来るような稽古を酷く嫌がった。そんな彼らを見て、やはり自分がしっかりせねばならない、とますます使命感にかられ、稽古に励んだ。しかし、私が成長して、胸が膨らみ始め、体が女に向かっていくと、今までは何も言わなかった下女たちがだんだんと私に口を出してくるようになった。
「姫様はそんな事なさらなくて結構なのです」
「姫様はもっとおしとやかになられなくては」
「またこんなにお怪我をなさって。嫁の貰い手がありませんよ」
「きちんとした格好をしたらとても可愛らしいのに」
私はそれを全て無視した。わざと怪我をしたり、出された服を破いたりした。私は男に媚びて生きるような器ではない、いずれこの国をおさめる女王になるのだ!いくら声高に言っても下女たちは決して諦めようとせず、逃げる私を追い回した。
13歳の春、初めて剣術で負けた。負けた相手は私が小さい頃から一緒に稽古をしてきた親しい少年兵だった。
「姫様、男と女はやはり力の差があるのです。これからは、姫様も女らしく生きるべきです。国の安全は俺達に任せてください」
悔しかった。悲しかった。将来の国の理想論をあんなに語り合って、笑い合っていたのに。--友達の目は輝きを失い、もう私を写していなかった。私の後ろの何かを見ていた。彼は踵を返し、去っていこうとした。認めたくない一心で、彼の背中に向かって大きく剣を振り上げた。しかし彼は私の気配に気付き、すぐさま剣を抜いた。正当防衛。地面に崩れ落ちた私を抱え上げて少年が泣き叫ぶ。私はそこで意識を手放した。
目が覚めると、ベッドに寝ていた。鈍痛に顔を歪ませながら己の体を見やると、首から腰付近まで左斜めに包帯が巻かれていた。白い包帯が朱色に染まっていて、自分の傷が相当深い事を悟る。私はそれでもまだ認めていなかった。
あとは残ってしまったが怪我は数週間でほぼ完治した。下女が他事をしている隙を見計らって、私は部屋を抜け出し稽古場に向かう。彼に会いたかった。そしてまたもう一戦したかった。
しかし、稽古場には彼の姿は見当たらなかった。彼の所在を周りの者に尋ねると、皆ばつが悪そうな顔をして言葉を濁らした。それでも私がしつこく問いただすと、やっと1人が重々しい口調で訳を話してくれた。
「……あいつはここを去りましたよ」
「何故!」
「当たり前でしょう。姫様に大怪我を負わせたんだ」
「それは私が悪い。指図したのは誰だ?話をつけて」
「違います。“本来守らなければならない姫様を自分は傷付けてしまったからもうここにはいられない”そういってあいつは自分から出ていきました」
「そんな、連れ戻してくる!」
「もういい加減にしてください!俺達がどれだけ迷惑しているかまだお分かりにならないのですか!?」
目の前が真っ白になった。周りを見渡すと、皆は視線を反らして私を見ようとはしてくれない。ああ、そういう事か。私は歓迎などされていなかったのだ、最初から。皆私に合わせていてくれたのだ。私は、彼らが私を理解してくれているのだと思っていた。それは間違いで、私はどの人にとっても目の上のたんこぶだったのだ。そして彼が出ていく羽目になったのは私が弱いからだ。私が王女だからだ。私が女だからだ。私が守られる対象だからだ。やっと全てを理解した。しかし理解したからといって彼が戻ってくる訳ではなかった。私の居場所はどこにも、ない。
その日、私は片時も放さなかった剣を箱の中に仕舞い込んで鍵をかけた。そうして女として生きる事を決めた。もう誰にも迷惑をかけたくなかった。いや、本心は誰かに必要とされたかっただけなのかもしれない。
18歳になった頃、また弟が出来た。父が若い頃に知り合った女の子どもだという。聞いた話によると、国王は将来の国に不安を感じ、いざという時のためにもう一人跡継ぎが欲しかったらしい。父でさえも私を頼ってくれない。最近なんぞ、父は私を呼ぼうともしない。昔は事あるごとに呼び出されていたというのに。傷物の使えない女は蚊帳の外だ。どんなに求められた姿になろうと、私は誰からも必要とされていない。私はひとりだ。不思議と悲しさはなく、ただもうどうでもよくなっていた。
夜中夜風に当たりたくなり、外に出ると、噴水のそばに人影があった。それがつい最近できた弟のアリババだという事を髪の色と雰囲気で判断した。私はまだ一回も彼を見た事がなかったのだ。彼は寂しそうに月を見ていた。その姿がなんとなく私みたいで思わず声をかけてしまった。それがきっかけだった。私と彼は瞬く間に仲良くなった。
「姉さんは昔すっげー剣術が強かったんだろ!」
「なにそれ、誰に聞いたの」
「稽古場の奴らが言ってた」
「彼らは私を嫌ってるよ」
「そんな事ねえよ!姉さんが男だったら国も安泰なのにって言ってたし」
アリババが稽古場に行くといつも皆が私の事を話してくれるという。聞く話はどれも懐かしく愛しい記憶ばかりで、私は知らない内に涙を流していた。月が雲に隠れ、私の涙を優しく隠す。嫌われていたのかと思っていたが、それはどうやら違うらしい。私は皆に愛されていたのだ。愛しているが上、私を突き放したのだ。月が再びほのかに周りを照らし出す。私は自分が照らされる前に、服の袖で慌てて涙を拭う。私の武勇伝を何も知らず楽しそうに語る彼の笑顔に、私がどれだけ救われただろうか。
「なあ姉さん!俺に剣術の稽古つけてくれよ!」
「何言ってるの、私は女だよ」
「そんなの関係ないだろ!内緒にしときゃバレないし、多分」
「多分って…仕方ないなあ」
鍵をなくした事に気付き、私はありったけの力をこめて箱を地面に叩きつけた。木の破片が私の手に突き刺さったが、気分が高揚していたため、痛さは感じられない。久しぶりに握る剣の重さに体が震える。湧き上がる熱い感情が抑えきれない。やはり、私はこちらの方が向いているのだ。
それから月が出ている晩、私たちはこっそり特訓した。アリババは飲み込みがとても早く、めきめきと腕を上げていった。抜かれるのも時間の問題だ。自分はこれ以上強くなれないというのが分かり悲しくなるが、彼が嬉しそうに昼間先生に褒められたと話すのを見ると、こちらまで嬉しくなってまあいいかと思えるようになった。
「姉さんは結婚しないのか?」
「傷物だからねえ。できないんじゃないかな」
「姉さんは…綺麗だよ。それに強くてあったかくて優しいし。俺だったら即結婚を申し込むぜ!」
「じゃあどうしても結婚できなかったらアリババがもらってね」
そう言うと、アリババは顔を真っ赤にさせて年相応に慌て出した。さっき少し男の顔だったのに、ちょっと残念だ。
「冗談だよ」
「そういうの本当やめて!」
「はは、そういえばアリババは王様になりたいとか思ったことないの?」
「いや、俺はスラム出だし」
「この間性別なんか関係ないって言ってたの誰ー?性別も身分も関係ないでしょう?そう思わない?」
「姉さんは王族なのに変だ。……でも俺もそう思う」
「ひどいなあ。私ね、いつかここを出てやるんだ。そんで何もかも関係ない国を作り上げるんだ!」
「賛成!賛成!俺も手伝う!」
夢物語。私は出られるはずもない。アリババに隠してはいたが、私は近々結婚するのだ。その前にどうしても彼に言っておきたい事があった。
「アリババ、あのね私がね国を継げないのは私が女だからって理由じゃないんだよ」
「どういう意味だ?」
「私は本当は王族の血なんか流れちゃいないんだよ。貰われ子なの。詳しくは知らないんだけど。これは秘密だからね、誰にも言っては駄目」
アリババが息を呑むのが分かった。幼い頃、父に直接聞いた話だ。私が何故この国を告げないのか喚き立てたら教えてくれた。ただ、一言。お前は私の子供ではないからだ、と。
「…俺達は他人同士なのか」
「そういう事になるね」
「だ、だったらさ、俺達は結婚できるって事だよな」
急に真剣な眼差しを向けられ、息が詰まる。いつの間にか手を握られており、逃げる事さえままならない。月が隠れていて良かった。真っ赤であろう顔をアリババに見られなくて済む。
「俺、ずっと姉さん、いや**の事が好きだったんだ」
「それは違うよ」
「憧れとかそんなんじゃねえ!俺は本気だ!」
叫びながらぼろぼろと涙を溢すものだから、困ってしまう。泣きたいのはこっちの方だ。もう嫌だ、何もかもが。
「アリババがもっと大きくなったらいいよ」
「ほ、本当か?」
「そんで誰にも負けないくらい強くなったらね」
全て嘘だ。しかしこの場をおさめる為には仕方のない事だった。拳を握りしめて嬉しがるアリババの姿に少しだけ心が痛んだが、私は空の方を向き、溢れだしそうになる何かに耐えた。
結婚式まであと一週間を切った。アリババだけには何も教えないように周りに頼み込んだおかげか、彼は何も知らないようだった。ただ私が稽古をつけてくれないのに、ひどく拗ねているようで城内で出会ってもあからさまに無視をされた。寧ろ好都合だ。
結婚式まであと3日。今日は新月で明かりをつけないと部屋は真っ暗だった。私は部屋にかかっているドレスをひとなでした後、必要最低限の荷物を持ち、覚悟を決める。長い廊下を目を凝らしながら慎重に歩く。最後に、そう思いアリババの部屋の前で足を止め、音を立てぬよう扉を開ける。
アリババは明かりをつけたままベッドの隅で気持ち良さそうに眠っていた。それに笑いがこぼれる。近くの椅子を引き寄せ、しばらく彼を見つめた。しかしそれだけでは満足できなくなり、そっと彼の前髪をかき上げ、額にひとつキスを落とした。
「さらば、愛しの弟よ」
燭台の炎を吹き消すと、周りが暗闇と静寂に包まれる。私は腰元の剣を静かに抜き、サイドテーブルに立て掛ける。これで本当にさよならだ。
人気のない道を選びながら私は城を後にする。もう心残りは何もない。私は自由だ。ずっと望んでいたはずなのに、一歩一歩踏み出す度に何故か涙が頬を伝う。先程の彼の寝顔が頭にちらつき、はなれない。振り払うように私は頭を大きく振り、しっかりと前を向いて歩く。
夜風が幾度も私の頬を荒々しく撫で上げ、私に少しだけ痛い思いをさせた。
ハロー,ハロー,ミスターエンド
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