08
あっという間に火曜日は来てしまう。ガエリオはいつ来るかなんて言っていなかった。けどおそらく今日だ。土日出勤で休みになってしまった私は朝から落ち着かず、夕方頃にはミミを抱えてとうとう家を飛び出してしまった。私が向かった先は、人が聞けば「なんてこいつは馬鹿なんだろう」と思うところで。けれど、彼がきっと考え付かないところだ。
「お兄様なら出張中ですわよ、今日の11時の便で戻ってくるらしいけれど。あと5時間くらいね」
「うん、分かってる、分かってるから来たんだよ。今日泊まって行っていい?」
「あら本当!じゃあパジャマパーティーをしましょう!最近学校ではやっているの。お母様のネグリジェを出してきてもらいますわね。**さんには何色が似合うかしら」
「泊めてくれるならなんでもいいよ」
いきなり来たにも関わらず、アルミリアは快く迎え入れてくれた。快く、というか私が来たと分かると飛びついて喜んでくれた。前見た時よりますます可愛らしくなっていて、どうかガエリオみたいなことにはなりませんようにと願う。(彼の幼少の頃の写真を初めて見た時は大変吃驚したものだ。)
「私がいくらお誘いしても中々来て下さらなかったのに、今日はどうして?」
「家にいると会いたくない人間に会う羽目になるからだよ」
「それって、お兄様?」
「ち、違う」
「お兄様ね、**さんってお兄様と一緒で本当に分かりやすいんだから」
まったくこの年頃の勘の鋭さにはいつも驚かされる。私はアルミリアが淹れてくれた紅茶が入っているティーカップを無駄に撫でまわした。彼女は好奇心の目をこちらに向けていて逃れそうな雰囲気はない。
「……帰ってきたら話があるって」
「あら!とうとう!」
「とうとうって?」
「お兄様ね、この間見合い話があった時、お父様に言ったらしいの。”結婚したい人がいるから、必要となったら申し込む”って。それでお父様が”そんな相手がいるなら早く申し込んでおかないと逃げられてしまうぞ”って急かしたらしくて。あ、これお手伝いさんから聞いた話だから、お父様とお兄様には内緒よ」
「とうとうお兄様も身を固める気ね」アルミリアが笑う。私は頭が真っ白になり、手からティーカップが離れ、割れる音が客間に響いた。慌てて欠片を拾おうとして、深く指を切ってしまう。指から流れる血が、石でできた白い床に落ちていく。
「触ってはだめよ!ねえ誰か掃除道具持ってきて頂戴!あと救急箱も!」
周りに控えていたお手伝いさんたちが「はい、ただいま!」とバタバタ駆ける音がした。私は荒くなる呼吸を整えようとするけれど、うまく出来ずにせき込んでしまう。小さな手が私の背中をさする。恐れていた時が来てしまった。そんな予兆はあったのだ。あまりそういったことを口にしない彼が自ら話題に出していたのだから。私は永遠に置いて行かれる。あの時みたいに期限はない。
彼女に「ごめんね」と言おうとしたところで、テーブルに置かれていた私の携帯が勢いよく鳴った。画面に表示されているのは、彼の名前だ。出る気なんてなかったのに、アルミリアが電話を取ってしまった。
「あ、お兄様?いまどこなの?なんでっていう話は置いといて、ああ、ひとつ早いのに乗ったからもうこっちに着いているのね。**さんなら私たちの家よ。**さん、お兄様の結婚の話をしたら、マリッジブルーみたいな感じになっちゃって……だから!とにかく早く帰っていらして!」
アルミリアがあまりにも早口でまくしたてるので、何を言っているかよく聞こえなかった。とにかく動悸は治まったので、「もう大丈夫だよ」と言おうとすると、大柄な執事が中に入ってきて私の身体を持ち上げた。
「え、ちょっと!」
「ゲストルームに運んであげて」
そのまま何かを言う暇もなく強引にゲストルームのベッドに運ばれ、大げさすぎる手当てをされてしまった。ベッドに寝かされた私の様子を見に来たアルミリアは、私の手を握りながら言う。
「**さん、お兄様、すぐこっちに来るらしいわ。それまで休んでいらして。お兄様が帰ってきたらたくさん話もあるでしょうし」
彼から逃げてきたというのに、まさかこんな形になるとは思わなかった。よく分からないが完璧に逢瀬のセッティングをされてしまった。アルミリアが部屋を出たのを確認すると、私は部屋の窓から外に出て、ボードウィン家から逃げ出す。外はすっかり闇に包まれていた。