07

「あいつらの連れが俺の車の前を飛び出してきて危うく轢きかけてな、のくせこの何を勘違いしたかあのガキが逆ギレして……」

 食事中、ガエリオはよく喋った。私はふむふむと聞くふりをしながら、食べることに集中する。オルガとミカはとっくに食べ終わっていて、向こうのソファで今日放送のドラマに見入っていた。ミカの腕の中にはミミがいて、ガエリオは気に食わなそうに時折その様子を見ながら話を続ける。

「で、どういった関係なんだ」
「どういったもなにも、お隣さんだよ。2人で暮らしてんの。まだ若いのにほとんどのお金を自分たちで払ってるんだよ、すごいよね」

 チーズケーキに巻かれていた透明のフィルムを取りながら、ガエリオは初めて感心したような声を出した。彼も大学生の頃、学費以外の費用は全部自分で賄っていたのだ。そして彼に料理を教えたのは私だった。随分昔の話だ。彼は今でも料理をするのだろうか?

「そういえばお前の分は。冷蔵庫にもうひとつあっただろう」
「え?ああ、あれはあの子たちの友達の分。明日学校で渡してもらおうと思って。ここのチーズケーキ、その子も好きなんだけど学生が買うには少々高いからね」

 それを聞いたガエリオは少し思案した後、皿の上にあるチーズケーキをフォークで半分に切った。そのまま先のとんがった方をフォークで刺し、一口で食べきってしまう。なんて行儀が悪い。きっと私の前だからそんな事をするのだ。ガエリオは口を動かしながらフォークとケーキが乗った皿を私の方へ寄越した。さすがに食べながら話すことはしないらしい。

「なに、別にいいよ」

 ガエリオの方に皿を突き返すと、また目の前に置かれてしまった。年齢から見ても性格から見ても私はそんなに子どもではないというのに、彼にとって私はまだ十分に子どもなのだろう。彼はこうやって私を子ども扱いするのが好きだった。

「ありがとう、いただきます」

 私が食べ始めると、ガエリオは口元を緩ませてテレビの方へ目を向けた。テレビの中では、主人公がスプラッターな死に方をした被害者の死体を丁度見つけるところで、それを見てしまった彼の表情は一変し、大変気分が悪そうな顔になった。テーブルに肘を付き、自分の両眼を片手で覆う。なんて分かりやすいのだろう。可笑しくて笑うと、睨まれたが、ますます可笑しい気分になり、喉を引きつらせて笑ってしまった。私は彼のそういった豊かさが好きだった。私の笑い声に気付いたオルガがこちらを見て、なにやら勘違いをしたようだった。私はスプラッターなものを見て笑うような性格の持ち主ではない、断じて!

 テレビではまだまだサイコパスなドラマが流れ続けていたが、出張の準備をしなくてはいけないガエリオは夕食を食べ終わると帰り支度を始めた。玄関へ行く前にミカの方へ歩み寄って「俺の猫に怪我をさせてみろ、訴えてやるからな」と大変大人げない顔で大変大人げないことを言ってのけた。のくせミミを撫でる表情や手つきは相変わらず優しく慈愛に満ちたものだった。ミカはそんなガエリオを見ながらただ素直に「うん」とだけ言った。腕の中でミミが寂しそうに「ニャア」と鳴く。

 スリッパと靴を履き替えたガエリオが中々帰ろうとしないので、「早く帰りなよ」と急かすと、彼は左の腕時計をいじりながら曖昧な返事をした。文字盤の中のΩがいかにその時計が高いかを物語っている。こんな安っぽいアパートメントには不釣り合いだ。彼が身に付けるものも、彼自身も。

「どうしたの」
「あー、帰ったら話がある」
「それは今じゃ駄目なこと?」
「駄目だ」
「そう」
「こっちに戻ってくるのは、次の火曜日になる」
「へえ」
「……逃げるなよ」

 何を根拠に、と笑おうとしたが、うまく笑えず私は変な顔になる。なんだか泣きそうな気分だ。ガエリオの大きい手が私の頭に伸びてきて、ぐしゃぐしゃにかき乱した。「やめてよ」嫌がるとガエリオはふふんといつもの顔で笑う。満足したらしい彼は、ドアノブに手を伸ばした。

「戸締りはちゃんとしろよ」

 私は何にも言えなかった。何かが変わろうとしている。あの時みたいに。私はまた置いて行かれるのだろうか。
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