「**、傘は?」

 風呂を済ませた安室が、そう聞いてきて**はしまったと思った。外に出た事を彼女のあみだくじで知っていた安室は、傘を干そうと玄関へ行ったのだった。しかし傘はなく。**はライの車に忘れてきたとは言えず、分からないと首を振るしかない。

「**が自分の事で分からない事があるなんて珍しいね。いいよ、ベンチかどこかに置き忘れたんだろう」

 **と同じようにソファに腰を下ろした安室は彼女の細い肩に頭を寄せた。今日はひどく疲れていた。たまたま触れた小さな手に、ごく自然に己の指を絡ませ目を瞑る。彼女の呼吸音がすぐ近くに聞こえ、心地よさに身を投じた。弱く握り返してくる彼女が愛しいと思う。安室と**は世間でいう恋人みたいな関係ではない。それでも2人はこうして身体を寄せ合うし、キスも、セックスだってたまにする。普通の環境下で育てられていない**はその事になんの疑問も抱いていない。むしろ安室が自分を慈しむように触れてくれる事に幸せを感じている。だからこそ後ろめたさあれど、安室はこうして彼女を隣に置いておける。

 夢を語り合い、拳を合わせあった大切な友人は、彼の任務中に、または目の前で、みな逝ってしまった。幼少の頃慕っていた人は、自分を置いて消えてしまった。彼女は自分が手放さない限り、どこへ行く事もない。**の戻るべき場所はないけれど、はたから見たら男のエゴで飼われているこのような状況(実際組織の者はそう認識している)よりも、マシな環境で暮らす事はいくらでも出来るのだ。彼女はそれを知らない。きっと知ったとしてもここが良いと言うだろう。彼女は安室と長く居すぎたのだ。日なんぞ当たらないのに、この場所は、日が当たり心地よいと、思っている。

「なあ、赤井……ライが死ぬわけないよな、そうだろう」

 **の瞳が動揺で揺れる。安室は瞼を閉じたままなので気付いていない。ここしばらく安室は彼の死の真相を暴くのに必死になっていた。何度も何度も彼が死ぬ瞬間を再生しては巻き戻し、時にはスローモーションで、時には早送りで、普段吸わない煙草を吸い、度数の高い酒を飲み、暗い部屋で明るい画面をひたすら眺めていた。そのくらい安室にとって彼の死は信じられなかった。その執着にはスコッチの事が大きく関与していたが、彼の実力を認めていたからこそでもある。お前まであっさり逝ってしまうのか、俺を置いて。彼の死を聞いた時、安室は間違いなく絶望した。

 人間として歩みを始め出したばかりの**にはあまり多くは分からない。それでもバーボンが、スコッチの時のようにライの死に嘆いている事は分かった。約束を破って「生きているよ」と伝えても良かった。しかし伝えたところで、彼が**とライの生に喜びを分かち合うことはない。だって、バーボンは彼を死ぬほど憎んでいる。**はそれが悲しい。そんな必要性なんてどこにもないのに、どうしてなんだろう。カンカンと誰かが階段を上る音が耳の内で聞こえる。**に声があれば、踏み出す勇気があれば、なにか変わっていたはずだ。自分が――していれば、スコッチは死ななかった。そう思っているのは**だけではない。隣で浅い眠りについている男も、姿を変えて生き延びている男もきっと同じだ。

 あの時、スコッチはなんと言っていたのだろう。それが分かれば**が抱いている気持ちも少しは救われる気がした。救われようとも思っていないけれど。だって、本当は誰も悪くないのだから。
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